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6月5日(raining today) Tales of the City  「Strange Days」





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「 StrangeDays 


それは、奇妙な一日だった、、







せっかくの「ローマの休日」というのに、その日は朝から雨が降り続いていた、

天空から舞い落ちる雨粒のヒトツひとつは地面に当たってヒトツひとつソレぞれの音を奏で始める、



私は、ピーター・グリーナウエイ(「建築家のはらわた」などの映画監督)が当時、定宿にしていたローマにしては「英国風」のホテルの「別棟」で眠っていた、

眠っている私の無意識なはずの意識の隙間にも雨音がしだいに忍び込んできて、私はついに目を開けた、



「 StrangeDays 




その「別棟」は軋る木の床と大理石の暖炉が切ってある古めかしいクラブルームのような「ロビー」を抜けて、中庭を通っていくと隠されているようにその姿を現す、

白い石造りの「別棟」は精密に小さく結晶している、とくに、地面から一段上がって設けられた玄関へと左右両方向から導く、手すりに精緻な彫刻が施された大理石の階段は、その熟れた優美さが古のローマの貴族社会を偲ばせた、

一階部分は半地下風になっていて、入り口は別に建物の右脇に小さくあった、そこにはホテルのレストランが設けられていたが、ホテルになる前には、こうした建物の通例で、多分、召使たちの部屋や洗濯室があったのだろう、


その別棟にはホテルの「特別室」が用意されていて、壁には真紅のサテンが張られ、巨大な猫足のバスタブや、ベルベットの分厚いカーテンなど、いかにもグリーナウエイが好みそうな豊穣すぎるほどの装飾が各部屋ごとに凝らさられていた、


その日は、雨音のせいで私にしては珍しくマトモナ時間に目が覚めた、「眠りたい」時間に眠り、「目覚める」時間に起きることを身上としている私も何故か旅の初日には早起きをするようだ、、、と、その時は気にも留めていなかった、

窓辺に行って、紅いベルベットのカーテンを開けると、中庭は降りしきる雨に濡れている、




ふと、これほど厚いカーテンに閉ざされていても雨音が部屋まで忍び込むものかと訝った、
たしかに窓辺に近寄ると雨音は聞こえはするものの目を覚ますほどのものとも思えない、
ためしに窓を開け放つと、湿った空気とともに地面や樹々をたたく雨音が一斉に部屋のなかに飛び込んできた、

私はたしかに、雨音に揺さぶられるように目を覚ましたはずなのに、、、


腑に落ちない気持ちで、しばし緑を濡らす雨に見とれていたせいで、早朝のしっとりと冷えた空気に寒気を覚えた私は、とりあえず、風呂につかることにした、


室内と同じように真紅の壁をして、古色のブラスで飾られた退廃的といえるほど装飾的なバスルームでゆっくりローマのお湯に浸かっても、時計を覗くと、まだ「早朝」といえる時刻だった、、



「 StrangeDays 



そうして時間を持て余した私は、ルームサービスではなく建物の半地下にあるレストランへ朝食を摂りに行くことにした、
このホテルの朝食は、朝から豪奢に様々な料理が大きなテーブル何台にも美しく飾り置かれる、陽気なオレンジや甘い匂いのする色とりどりの果物が飾り付けられた皿、肉の赤が残った生ハムの塊や、チーズが夥しく並んだ磨きぬかれた銀色のトレイ、、、それらはグリーナウェイの「コックと泥棒、その妻と愛人」の濃密な空気が淀んだグランドレストランを想いださせる、


アーチ状の天井を持つレストランは、清潔だが、これもどこか退廃的に気取っていて、その雰囲気のせいで、私はどこかにポッカリと口を開けていたローマという「別の時間」に滑り込んでいった、



「 StrangeDays 



早く目覚めた私はいつにも増して食欲があった、


中央のテーブルに控えているコックに、チーズ入りのたっぷりとバターを使った内はトロトロの半熟のオムレツを拵えてもらい、生ハムとソーセージの類、ローマの食文化を偲ばせる惣菜の幾つかと、パンや小ぶりで美味なコロネなど、自分でも驚くほどしこたま貪り終えて、これも美味いローマの濃く甘いコーヒーを味わいながら、さて、これからどうしたものかと考えた、

友人連中を誘うにはいかにも早すぎる、ヴィラめぐりの散歩に出掛けるにもこの雨だ、


それで、思いついたのが「いつもの床屋」に行くことだった、

「いつもの床屋」は、ここからベネト通りへと抜ける路地の途中で夫婦二人でやっている少し変わった床屋で、何が変わっているかというと親父さんは、その昔、イタリア映画の黄金期にチネチッタで髪結いをやっていたのだ、

だから、もちろんマストロヤンニをはじめあらゆるスターの髪を整えてきた、そして、無類の話好き、話上手ときている、その店も、小さいながらも古式に洒落ていて常連たちが今も親父さんを慕って訪ねてくる、

私は、散髪の必要のないときも、奥さんにマニキュアを頼んだり髭を剃ってもらったりして、親父さんの話聞きたさに暖簾(まさしく入り口は日本の縄のれんに似た設えになっている)をくぐる、



今日ほど、そこに足を運ぶ格好の日はないだろう、


「 StrangeDays 
 


私はフロントで傘を借りて、「床屋」に出掛けることにした、オークパネルが張られた古めかしい「ロビー」を通り抜けると、田舎風の石の暖炉には早々と火が入れられていた、

ホテルの名前が染め抜かれた赤い傘は、真っ赤な口紅をさしたコケテイッシュなチネチッタの女優のように雨のローマの冷たい朝の空気に陽気に鮮やかな色をみせて開いた、

その床屋は、坂道の途中にあった、私は水溜りをヒョイヒョイと避けて、奇妙に蛇行しながら坂を登っていく、


入り口の「縄のれん」はいつものままだった、小さな入り口には控えめな看板しかない、のれんを潜って店に入ると壁一面に往年のスターたちの写真や、手紙や、サインなどが洒落た額に入って飾られている、

そういえば、この小さな店も真紅の壁をしていた、

壁の真ん中あたりには、フェリーニが手ずから描いたマストロヤンニのイラストがあるはずだ、
それはB5版ほどの小さなもので、フェリーニはマジックペンで色鮮やかに若い頃のマストロヤンニを描いている、その表情はマストロヤンニを「ラテンラバー」として有名にした、まさしくあの独特などこか投げやりで、疲れたような陰のあるもので、この、放蕩の果てに男が見せる表情が、私の「ローマ」なのだ、それを見るたびに、私自身の「甘い生活」の記憶も心のどこかから浮かび上がって来て、その少しノスタルジックなドーパミン効果に私は幻惑される、

それは、記憶の濃縮液を注射針で血管に打ったように、遠く甘い「記憶」は静脈を辿って一瞬にして体内を駆け巡っていく、それは身も心もローマに滑り込んでいく「儀式」のようなもので、そういう意味では、この「床屋」は私が見つけたローマの「時空の穴」なのかもしれない、だから、いつも私は此処に来ると、先ずそのイラストを確かめずにはいられない、



フェリーニが描いたマストロヤンニの横には、国民的なコメデイアン、トトのサインと献辞が入った写真が誇らしげに飾ってあった、






イタリアに「チャップリン」がいるとすれば、それがトトだ、事実、トトのトレードマークもくたびれた山高帽子だった、多分、チャップリンの影響からトトの芸風は始まったのだろうが、トトには才能と強烈なキャラクターがあった、「敗戦国」の、決して豊かとは云えなかったイタリアでトトは国民に笑いを振りまきながら共に芸暦を重ねてきた、そうして実にイタリア人らしい「チャップリン」になっていった、チャップリンと違うのは決して母国を離れなかったことと(英語が苦手だったのかもしれない)、喜劇以外はやらなかったことだ、だからイタリア国民はトトを愛してやまない、


私生活のトトは、ダンデイとしても知られていた、いつも極上の素材で特別に誂えたスーツに身を包み、それに合わせた注文の靴やソックスの細部にまで気を配っていた、


そのトトは、生前、何の前触れも無く時折、この店を訪れたという、、



「 StrangeDays 
 



店には、まだ朝も早いというのに既に身なりの良さそうな年配の先客が一人、蒸しタオルを顔に白髪を染めてもらっていた、何故、髪を染めていたのが分かったかというと、この店では、そういう客のためにシャツに染料が飛ぶのを用心して、古ぼけたTシャツを貸し出すのだ、

その客に何か喋りかけていた親父さんは私を認めると何故だか慌てた様子で、いかにも陽気さを取り繕って、ご無沙汰でした、ローマにはいつ、お着きで?今朝は、あいにくの雨模様ですな、と矢継ぎ早に挨拶を済ますと、おい、セニュールがお越しだよ、と奥にいる女房を呼びつけた、


小さな店には二組の椅子しかなかった、私はその先客の隣に座ると一応居合わせたよしみで挨拶を投げかけた、年配の客は、蒸しタオルを顔にしたまま、何やら呟いて頷いたように見えたが、何を云ったのかは聞き取れなかった、

そこに、奥から女房が出てきて、まるで私と先客の間に割り込むようにマニキュアの用意をしながら小さな椅子を引き寄せると座り込んだ、私は、ローマに来ると必ずこの気の良いおかみさんにマニュキュアをしてもらう、おかみさんは、旅でしなびた私の手を揉みほぐし、爪に鑢をあて丹念にエレガントな指先をつくっていく、

「この日」は、私の指を小さなボウルに入ったお湯に浸しながら、おかみさんは顔もあげずに、強いローマなまりでふいにこう聞いてきた、
「旦那さん、旦那さんは幽霊って信じますかね、」、うしろで親父がぎょっとした表情になったのが鏡越しにも分かった、
どう答えて良いのやら、私は「日本じゃね、幽霊は夏の夜に出るのが相場なんだよ、もう秋じゃ季節はずれだ」と検討はずれの答えをひねり出したが、その言葉じりも終わらぬうちに、親父は「お前は、黙ってろ、旦那がお困りじゃないか」と女房を叱る、女房は親父の慌てぶりも意に解さず、「お前さん、旦那にあのチネチッタの幽霊の話をしておあげよ、」と蒸し返した、

「チネチッタの幽霊か、そいつは何だか色気がありそうだ、親父さん頼むよ、」私は、その時は、単に親父の面白い話を期待していたから、これ幸いと女房の機転に乗った、



「 StrangeDays 
 


親父は、困り果てたというより何故だか呆気にとられた様子に見えたが、ようやく意を決したのか、よく研がれてギラリと光る剃刀を取り上げると(親父さんは、昔風の「レィザーカット」をスタイルにしていて器用に剃刀で頭を整えた)、私の髪をひとつまみしてそれに剃刀を当てながらゆっくり口を開いた、

「あれは、エリザベス・テーラーがクレオパトラを撮っていた頃でござんした、旦那、あの映画、ご覧になりやしたか?
まあ、散々なトラブル続きの、興行的にも大失敗、期待が大きかっただけにさぞや製作者にとっては悔やんでも悔やみきれない思いがあったでしょうよ、」


「旦那はご存知ですかね、チネチッタではアタシら職人は撮影がある日にやぁ、ゲンを担いで紫色の服を着るのを避けるんですよ、昔からのならいでね、
迷信といわれようがローマの劇場関係者ならみんな守っていることですヨ、紫はアタシらにとっちャ不吉な色なんでサァ」、


「ところが、クレオパトラの衣装はよりによって紫だ、おまけに主演女優も紫の瞳で有名だ、アタシは親方といっしょに毎日スタジオに詰めて何百っていうエクストラの頭をヤってましたが、災難続きの撮影に誰しも<紫の呪い>を想い浮かべたもんでさぁ、」


「それでも当初は、世紀の美女が見れるってンでアタシらも愉しみにしてましたが、トラブル続きの撮影の遅れで監督が降ろされ、主演男優もあのリチャード・バートンに交代したあたりから雲行きがついに怪しくなった、

旦那もご存知のようにバートンとテーラーはあの当時ネンゴロで、撮影所のテーラーの豪華なトレーラーはいつの間にか二人の<愛の巣>になっちまった、これをパパラッチが放っておくはずがない、」



「トレーラーの周りには、どこから浸入したのか大勢のパパラッチが押し寄せて、アタシらまで借り出されてパパラッチを追い払ってました、しかし、ここはローマだ、そうこうするうちには、撮影所のスタッフまで鼻薬を嗅がされて二人の写真を隠し撮りするヤツも現れ始めた、


しかも、ちょうどジーナ・ロロブジーダーもチネチッタで撮影してましてね、旦那、ロロブリジーダーとテーラーはお互い会うのも避けるほどの犬猿の仲でね、撮影所は二人が顔を合わせないですむようにトレーラーを西と東の両端にワザワザ離してましたがね、


ロロブリジーダーはテーラーへの当てつけに出入りの職人や撮影所のスタッフに愛想を振りまいて、それとなくテーラーへの批判の声をバラまいていった、撮影所ではテーラー派とロロブリジーダー派にいつの間にか職人さえ分かれちまって、何だかイヤな雰囲気でしたよ、」



「そうこうしているうちに、バートンとテーラーが人目も憚らずイチャつくもんだから、バチカンがテーラーを<不純な女>として批判し始めましてね、何しろテーラーはバートンが3番目か4番目の旦那でしたから、、
何でもテーラーとバートンはローマで今すぐにでも結婚したがっていたそうですがね、


もう、撮影どころじゃありませんよ、あれほどチネチッタが大騒ぎしたのも前代未聞のコトですゼ、そして、今度はテーラーが肺炎を患いやがった、気の早い新聞は<エリザベス・テーラー死亡>とか書きたてるのもいたりしてね、」




「それで、テーラーと20世紀フォックスはパパラッチ対策と病状悪化の風評が映画にもたらす影響を考えて、テーラーの<影武者>を用意することを思いついたわけです、、、」



「 StrangeDays 
 


親父はテキパキと古式なローマの伊達男風に私の頭を整え、手持ちの鏡を広げて後頭部の仕上がりを私に見せる、

私が頷くと、これも古式なよく磨きこまれたクロームと黒革の椅子を髭を当たるために押し倒すと、熱い蒸しタオルを私の顔にのせた、それが旅に明け暮れた頬には心地よかった、


「旦那もご存知でしょう、映画スターの幾人かは自分と姿の似ている<影武者>をいつも何人か雇ってるってことは、

危ないスタントばかりじゃない、遠めで見えるシーンや時にはパパラッチを惑わすために、自分の服を着させて誘導作戦よろしくフラッシュを逃れたもんです、


実際、女優の場合は黒眼鏡をかけさせてスカーフでも巻かれりゃ、区別がつかなくなりまさァ、」


親父は、私の顔の蒸しタオルをはずすと髭が充分、熱い湿気を吸って柔らかくなったかを指を這わせて確認すると髭剃り用のさらにギラリと鋭く良く光る剃刀を開いた、

実際、この鋭利な、髭だけでなく人の肌をも難なくスッパリ切り落とせそうな剃刀というヤツはいかにも勝手に良く切れそうで、思わずいつも余計なことを思い浮かばせて私はつい眼を固く閉じてしまう、


親父が泡立てたシャボンは、よほど肌理(きめ)細かくブラシの獣の毛の感触を少し残しながら私の頬から顎、首の喉元あたりへと眠気をさそう暖かさをともなって滑っていく、

私は剃刀への「畏敬」と、泡の心地よさに眼をつむった、暗闇のむこうから親父の声がする、


「アタシらは、そういう<影武者>のことを『幽霊』って呼んでいたんでサぁ、」、、、



「 StrangeDays 
 



「テーラーの『幽霊』は北からやって来た女で、ヴァイオレットの瞳は持ち合わせちゃいませんでしたが、なかなかの美人でござんした、気の強い女でね、一度はセニュール フェリーニの映画に二言、三言、セリフのあるチョイ役で出たこともあったそうで、

その女が、テーラーの背格好にようく似ていて、なりをこらせば暗闇ならば間違えなくもない、製作者はその女に金をつかませて、テーラーが肺炎で療養している間、『幽霊』として雇うことにしたってわけで、、、」


「、、、ねぇ旦那、他人のフリをするってのはドンナ気持ちなンでしょうねぇ、」
 

眼をつむって、温かいシャボンと親父の職人技の滑らかな剃刀の心地良い感触に眠気さえ感じていた私の隣で、先客がピクリと身体を動かすのが分かった、





















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# by momotosedo | 2009-06-05 03:08 | ■Tales of the City

6月3日(陽) 「Classic haberdasher 六義」 オープンのお知らせ




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「Classichaberdasher
六義
 
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かつて、都会には、
ロンドンの「スウェニー&ブリッグ」(オクスフォードストリートにあった頃の)やパリやニューヨークの「シュルカ」など、
ワクワクするような紳士のための雑貨店がありました、

「紳士のための雑貨店」、それを「haberdasher」と呼びます、



6月3日(陽) 「Classic haberdasher 六義」 オープンのお知らせ_f0178697_13423395.jpg






若い私は、毎日のようにそういった店を覗くのが愉しみでした、
多分、一番、そういうものを欲していた時期だったからかもしれません、


その記憶が心の何処かにこびりついていて、その甘く魅惑的なものがどうしても忘れられません、

それは年々「美化」され、夢のなかではワクワクするものを溢れさせて私を待ち受けています、
その魅惑は抗し難いものになっていきます、、


街には「モノ」が溢れ、しかし反面、そういう店、「モノ」が
「銀座」に居ても残念ながら見当りません、

どこかに、ひっそりと潜んでいるんでしょうか?

そんな私が、いっそ、、、と思い始めるのは自然の成り行きでした、



6月3日(陽) 「Classic haberdasher 六義」 オープンのお知らせ_f0178697_1350090.jpg





しかし、六義庵はスペースも限られています、
アトリエでは、仮縫いや採寸という極めてプライベートなことが執り行われます、
大久保と私がよりパーソナルにお相手できる「完全予約制」というのは崩したくありません、


考えあぐねた末、
理想の「haberdasher」をウエブ上に開くことにしました、

ただし、私は老人でしかもマイペースが抜けず、
かつ、拘りの塊でもあります、
時間をかけながら、ひとつづつ納得できるものをつけ加えていきたいと思います、






西欧では、「7」をラッキーナンバーとしますが、日本では古くから「六」という数字が
ものごとの完成された秩序を現すものとして信仰されてきました、
六道、六法、六書、、、、


四つのブログと実はもうひとつの秘密、そしてこの「Classichaberdasherで、今回でちょうど6つのサイトが揃いました、
極めてマイペースですが、



どうぞ気長にお付き合い願えれば幸いです、

6月 吉日


「Classichaberdasher (*ほぼ毎日更新、初めて訪れる方はログイン登録が必要です)



R.H.





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# by momotosedo | 2009-06-03 13:00 | Classic Haberdasher

5月30日(晴れ)





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5月30日(晴れ)_f0178697_0584689.jpg


「BESPOKESHIRTS
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青春時代を過ごした70年代を想って
ビンテージのブルーストライプの絹で仕立てたビスポークシャツ、
あの頃、私はストライプのシャツばかり着ていた、

昔流にお揃いでカルソンも仕立て、

街に、初夏の光と風が溢れてくると袖を通したくなる、

一見、フレンチカフに見える独特のバレルカフは六義のハウススタイル、

いっしょに畏まっているのは、ビンテージのエルメスのタイ
この頃は、ループにはただ「H」とだけ織り込んであった、

愛してやまない馬にまつわるモチーフ、






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# by momotosedo | 2009-05-30 00:40 | ■BESPOKE SHIRTS

5月20日(夏のような光の街) 「BESPOKE SHIRTS」




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5月20日(夏のような光の街) 「BESPOKE SHIRTS」_f0178697_23415071.jpg

「BESPOKESHIRTS
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シャツの下に、下着を着るか、否か、それは、本人の着心地次第で実はそう大したことではないと思います、
ただし、男のシャツは是非とも「BESPOKE」であって欲しい、そして「ビスポーク シャツ」と「オーダー シャツ」とは、「違う」、そう私は思います、


「BESPOKESHIRTS



「ビスポーク シャツ」と「オーダーシャツ」の違い、先ず「ビスポークシャツ」には「仮縫い」がなければいけない、仮縫いがないというのは、つまりは「BESPOKE」する「場」がないということです、
仮縫いというのはビスポークの生命線です、そういう意味では、「仮縫い」の「技術革新」はもっとされるべきだと私は常々思っています、アトリエで、私と職人と二人がかりで、階段を昇り降りしてもらったり動きのある仮縫いをするのは、ひとりの目では見落としがちだということだけではありません、

シャツは芯地がないだけに、身体のクセが直接出て、下手をすれば上着よりも、その補正には技術がいります、その技術を生かすには丁寧な「仮縫い」が必要なことは考えてみれば分かります、



そして、「ビスポーク シャツ」は「定型」に拘るべきではないと思います、右が左より極端に前肩ならば身体にあわせてパターンをかえるはずです、ヨークが左右対称である必要はなく、ブーメランのように左右非対称にヒン曲がっていても良いはずです、或いは、首の周りを正円にする必要もないはずです、

実際にやってみると分かりますが、クライアントにはクライントごとの身体のクセがあります、特に、シャツは芯地でごまかせませんから、ひとつひとつの骨の出方を考慮していかなければなりません、これを、「たったひとつの定型」で、全てまかなおうとするのはどだい無理があります、


「BESPOKESHIRTS



つまり、「ビスポークシャツ」を真剣に捉えようとすると、「シャツづくり」にある固定概念を捨てなければならないように私は思えてきました、
とくに、私の好きな「シルクシャツ」を仕立てようとすればなおさらです、
シルクのシャツは、ヨーロッパでもいまや消滅しようとしています、シルクを縫う手間を職人は嫌がり、頼み込んだとしても法外なエクストラチャージを要求されることも少なくありません、


私は一時、ヨーロッパのクラシックビスポークシャツを徹底して調べたことがあります、そこで、分かったことは、「男のシルクシャツ」が贅沢品であることは変わりないとしてもそう珍しくはない時代、1930年代にはやはり良いシャツ屋がありました、そして「シルクのシャツ」が消滅し始める60年代以降に次々と良いシャツ屋も姿を消していきます、

シルクというのは、コットンと違って「垂れ」てきて、縫うのに手間が要り美しく仕上げるには細心の注意が必要です、当然、仮縫いも別布でする必要があります、

穿った云い方をすれば、シルクを当たり前に縫っていた時代に良いシャツ屋が多かったのは、それだけシャツ屋に問われる技量が高かったのではないかと思えます、


「BESPOKESHIRTS



検証してみると、30年代から50年代のビスポークシャツの幾つかは、かなりひん曲がった明らかに顧客のボデイを意識したパーソナルパターンが見られます、しかし、60年代以降のシャツは、何か決まったパターンのなかでの、グレーデイングや補正が多いような気が私はします、
(ただ、これは、個人蒐集のサンプルなので、その数には限りがありますから、そう云いきれるものではありませんが、)



「BESPOKESHIRTS




つまり、意外に完全な「パーソナルパターン」というのは少ないのではないか、50年代あたりで、ビスポークシャツというのは進歩が止まってしまったのではないか、

その良き時代のビスポークシャツの「型紙つくり」や「補正の仕方」は「アート」だと思います、私は、シャツを「アート」と「非アート」=インダストリアルなシャツに区分しています、

アートなシャツとは、クライアント個々のボデイを意識したパーソナルパターン(型紙)でつくられたものに他ありません、

(ちょっと誤解を招くヤヤこしいことを言うと、例え、補正に少しのズレがあったとしてもパーソナルパターンで仕立てられたシャツは、それなりのアートな表情を持っています、雰囲気をもっているといえます、
逆に、フィットしているように思えても、既製のパターンをもとに仕立てられたシャツは、インダストリアルで、雰囲気が違います、私にはそう思えて仕方ありません)




「シルクシャツ」と合わせて、これが、六義の「ビスポークシャツ」を始めるときの現状把握でした、




「BESPOKESHIRTS



「BESPOKE」は革新をし続けるべきものだと思います、ただ、「革新」というのは突飛なデザインをすることではありません、逆に今の時代に、本質的なクラシックを造ろうとすればかなりタフに積極的に動かなければいけないと私は痛感しています、それは、生地、仕立て、裏地やボタンなどもろもろについてもそう云えます、


「本質」をつくるという意味では、「BESPOKE」はアトリエのサイズとしても、一着づつ手作りである柔軟性も、クライアントの方との距離感も、かえって今の時代には適していると思います、


「BESPOKESHIRTS




別布で、しっかりと手間と時間をかけて「仮縫い」をしてくれて、衿も上着に合わせて開きの角度も調整してくれる、身体に沿わせた完全なパーソナルパターンを諦めずに試行錯誤してくれて、しかもシルクなど難しい生地も厭わない、そういうシャツ屋を、私は随分探しましたが、見つかりませんでした、

この条件に加えて、古の良いシルク生地などが揃っていて、なおかつ「適正価格」となるともはや存在するはずもないと諦めました、、、これが六義の「BESPOKE SHIRTS」の出発点です、そして、これは私が思い描いて、探し求めていた「夢のシャツ屋」でもあります、


チョット思い浮かべてください、うなるほどビンテージの美しいシルクやコットンなどの生地が積まれていて、スーツを仕立てるときのように丁寧に採寸され、別布でちゃんと仮縫いがあって、フレンチカフの幅も、カフリンクスのチェーンの長さをチャンと測って決めてくれるシャツ屋、、ワクワクするではありませんか、、



「探し求める」ことから「つくりあげる」ことに転換して私は救われました、いままで、研究してきた成果も、単に「無いものねだり」ではなく「形」へと生かされていきます、シャツの補正には、実はかなり高い「補正能力」が問われます、先ずは自分の満足できるシャツをつくることを前提にしていますから、「シャツ」をつくるというには贅沢な製作スタッフを揃えています、


「BESPOKESHIRTS


5月20日(夏のような光の街) 「BESPOKE SHIRTS」_f0178697_14293053.jpg古のシャツを探っていくと、面白い工夫にあたることもあります、例えば、右の写真のa Sulka & Co.の50年代のビスポークシャツは、クライアントの要望からか、厚手のイエローのリネンで仕立てられています、このシャツ自体も、シュルカらしいクラシックな仕立てですが、特に、この衿の内側は、折り返しの部分だけくりぬかれていてそこだけテープで補強されています、

察するに、衿の折り返しの山をシャープにみせるための工夫だと思います、つまり、厚いリネンの2重では、ボッテリするからでしょう、

こうした発見も「良いもの」は、ドンドン取り入れたいなあと思います、




「BESPOKESHIRTS




良く出来た仕立ての「ビスポークシャツ」は何よりスーツ姿を一変させます、もっと云えば、へたなスーツの場合、そういうシャツに位負けしてしまう、それは、しっかり充実した匁のシルクのシャツを仕立てたときなど、はっきりと感じます、


これは、クライアントの方の仮縫いを経て、一枚づつ完成しつつある、100年素材のブルーやライラックの「シルクオクフォード」のシャツの出来上がりを手にとってみて、つくづくと感じました、多分、このシャツは、スーツの「仕立て」そのものを考えさせると思います、(幸いにも、手に入れた方はその仕上がりを愉しみにしていて下さい、ずば抜けて美しいです、未体験のシャツだと確信します、)


そういう意味では、良い「ビスポークシャツ」は心強い味方であると同時に手恐い相手なのかもしれません、




世にシャツメニアックといえる人種が、はたして何人いるのか知る由もありませんが、私も確かにその一人です、「美しいシャツ」というのは、何か魔力があります、細部にまで拘った美しいビスポークシャツが一枚づつクローゼットに増えていくのに私はうっとりしてしまいます、

まるで、何かの魔法にかかったかのように、、、、男には、それぐらいの愉しみがあっても良いはずです、





「 ビスポークシャツ 」 

(仮縫付き、フルハンド)

¥65,000-(税込み¥71,000-)より


*僭越ながら完全予約制です、お越しになる際には、eメールかお電話での事前のご連絡をお願いしております、

問合せ先 e-mail rikughi@ozzio.jp
phone 03-3563-7556






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# by momotosedo | 2009-05-20 22:49 | ■BESPOKE SHIRTS

4月25日(大雨らしい) Tales of the City 2. 「A Rare Treat」





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4月25日(大雨らしい) Tales of the City 2. 「A Rare Treat」_f0178697_1415587.jpg


「 A Rare Treat


いまも優雅なアールデコ様式を誇るクラリッジスの隣、ブルックストリートに我がクラブはある、建物は18世紀に建てられたロンドンでは珍しいフレンチ様式で、メインダイニングの天井には、かすれかけてはいるが優美といえるフレスコを愛でることができる、ロンドンの「ジェントルメンズ」クラブにしては、優美なパリの淑女「レデイ」を思わせるこの建物に居を落ち着けるまで、クラブは2度ほど、ロンドン市内をさ迷っている、


我がクラブのフレンチ趣味は、元の持ち主であるウオーター・バーンズ(モルガン財閥の創始者で世界で最も裕福な人物といわれた、ジョン・ピアポント・モルガンの義理の息子)が、1890年代にパリの建築家ヴァン ボイヤーに大幅な改築を頼んだことによる、ボイヤーはなかなか良い仕事をした、私は、他のクラブの古色蒼然、威風堂々よりは、この工芸的なエレガントさは洒落ていると思う、それにどちらかというと「軟弱」気味といえるメンバーにも似合っている、


「 A Rare Treat



ロンドンのクラブの発祥は、「ポリテイカル」である、政治的に意見を同じくする者が集まって勢力を強固にするために「クラブ」というのは設立された、だから今も歴史のあるクラブの主流は「ポリテイカル」なクラブが多い、
翻って、我がクラブはと云うと、クラブでの政治話に「ウンザリ」した軟弱者3人によって、もっと「人生愉しもうゼ」という意図で創設された、

その意図が軟弱だったせいで、とくに文学界、音楽界からもメンバーが集まったことが我がクラブの特徴になっている、
そうした古のメンバーで、少しは名を知られている人物には、我が愛読書でもある「宝島」や「ジキルとハイド」の著者、スティーヴンソンや、SF小説家のはしりともいえるH.G.ウエルズ、詩人のW.B.イエイツ、トーマス・ハーデイなどがいる、
音楽界では「威風堂々」で知られるエドワード エルガー、サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード などもメンバーだった、


「 A Rare Treat



そして、何故かサイエンスの分野に「強い」のも特徴で、熱力学や絶対温度を提唱したケルヴィン卿から、「原子物理学(核物理学)の父」と呼ばれるラザフォード男爵まで、これは錚々足るメンバーがいる、

この「科学の分野でも、かなり由緒正しい」クラブであることは、メンバーになってから知ったことで、私はどちらかというと「軟弱」な方のグループにいる、

私のクラブでの後見人であるサー ジョージも科学者で、或る夜、クラブのバールームで馬鹿騒ぎをしていた若い私を見かねたのか、私をつかまえてこの「由緒正しい」というのをクドクドとレクチャーしてきた、いくらかは、アルコール漬けの私の頭にも残ったが、私は、いまだにジョージが何を研究しているのかは知らない、


私としては、我がアイドルのひとり、マックス・ビアボーム(Max Beerbohm 、ワイルドと同時代のcaricaturist、独自の早熟の天才)が同じクラブのメンバーだったことに小さな誇りを感じている、



「 A Rare Treat



私は6月の一週間あまり、友人たちとの馬鹿騒ぎのためにクラブの一番広いオーバーナイトステイルームを予約した、「一番広い」といっても、クラブのオーバーナイトのメンバー料金は当時の割高なロンドンのホテルに比べて申し訳ないほど安い、「一番広い」部屋を予約したのも、単にバスタブが広くて、奥まった角部屋なので、隣の物音がしないだけの理由だった、


「 A Rare Treat



我がクラブには10部屋ほどの「オーバーナイトステイルーム」が用意されている、大概は、田舎に住んでいるメンバーがロンドンで何らかの用ができたときや、或いは古では、これも何らかの理由で家を追い出されたメンバーのほとぼりが冷めるまでの隠れ家としてあった、

ニューヨークなどには、小さなホテル並みの部屋数とサービスを誇るクラブもあるが、ジェントルメンズ クラブの純血種であるロンドンでは、「オーバーナイトステイルーム」の部屋数は各クラブとも10部屋程度のものだ、あくまでクラブであって、旅行者を目当てとしたホテルではない、


そう、今はリファービシュメントされて少しはチャーミングと云えるようになった我がクラブの「オーバーナイトステイルーム」も、以前はただの広いだけの部屋だった、ベッドと、円形のテーブルがひとつ、何世紀経ているのか推定のしようもない古めかしい革張りの椅子が数脚という具合に、およそ家財道具に恵まれているとはいえなかった、「一番広い」部屋だけには極めて旧型のテレビも備え付けられていたが、それ以外の部屋にはその「近代的な」姿はなかった、

おっしゃる通り、ここは「クラブ」であって「ホテル」ではない、一番それを痛感するのは、土曜日、日曜日には誰もいなくなることだ、、、


「 A Rare Treat



どこのクラブも土曜、日曜日はクローズする、金曜日になると秘書のパトリツアは、ウイークエンドをオーバーナイトステイするメンバーが酔っ払って正体を失くす前に、大仰な札のついた玄関のスペアキーを注意事項とともに抜かりなく手渡しにやってくる、土曜日の朝だけは、コックのジェイムズが、モーニングティーと自慢の朝食を我々に餌付けするために出勤するが、日曜日は全く、誰もいなくなる、


「 A Rare Treat



風変わりな孤独癖でも持っていない限り、週末の誰もいないクラブで目覚めるような場合には、それなりの理由があると思わざるを得ない、まともな人間なら、週末には小旅行に出掛けたり、田舎の友人宅でのんびりと神さまが決めたルールにしては悪くない「安息日」を愉しんでいるはずだ、

この時の私は、連日連夜の馬鹿騒ぎに、いささか度を越していることは自覚していたが、週末をひとりで過ごさなければいけないほど悲劇的な状況にあったわけじゃない、
マイったのは、隣のクラリジッスの豪華なスイートルームで金曜日の夜から土曜日の明け方近くまで続いた某有名ファッションモデルの誕生日パーテイで、リチャードに久しぶりに出会ったことだ、、、


「 A Rare Treat


リチャードは、いかにも英国の良家のハンサムボーイで実に気持ちの良い男だ、今もシテイの上品なプライベートバンクにいるそうだ、ちょうど私と同い年で、出会った頃はお互いまだ学生だった、


リチャードには、美しいいとこがいて、彼女は当時の我々の「アイドル」だった、

私たちの誰もが、彼女を「狙った」が、やがて誰もが彼女の「特別さ」に気付き、いつしか身を引いていった、その特別さは、「気高い」ともいえるし、「壊れ物」のような繊細さとも表現できる、
私は、彼女は「現代という時間」には「居なかった」のだと思う、彼女の純粋さは、我々のような若者が壊してはならない精緻な硝子細工のエレガンスであって、少しは分別があった私たちは、暗黙の内に「壊す」ことよりも「守る」ことを了解した、


やがて、学校を卒業した私は、もっと遊び好きなグループと行動を共にするようになり、いつしか、リチャードたちとは、時折、付き合う程度になっていった、しかし、私は彼女を忘れたことはない、その繊細な美しい横顔とほとんどアートだと云うべき装いや、優れたセンスを眺めるのは何よりの愉しみだった、、、

いまにも、風のむこうから、薄いシフォンの小花を散らした古着のワンピースを纏って、ベルベットの室内履きにはアンテイークのリボンをいっぱい詰めて彼女がやって来そうだ、あの無防備ともいえる微笑みを携えて、、



「 A Rare Treat




、、、彼女についてこれ以上、書くのはツラくなる、、以前にブログのひとつに記したように、過去形の文章で綴るのは彼女が自らの命を絶ってしまったからだ、

若い私が、それを受け容れるには幾分時間が必要だった、、

その夜、パーテイで久しぶりに再会したリチャードと私は、彼女について何か言葉を交わしたわけじゃない、我々はむしろ上機嫌で再会を祝し、いささかワイルドに杯を重ねていった、しかし、彼女について何も触れはしなくとも、私は彼女を思い出さずにはいられない、、それが、なおさら杯を重ねさせたのは認めざるを得ない、、

結局、しこたま痛飲してしまった私は、明け方近く、爽やかな一日を予感させるメイフェアの朝風に後押しされるように、爽やかとはいかない文字通り這うようにクラブに戻ってきてベッドに倒れ込んだ、
私が目覚めたのは、コックのジェイムズも帰ってしまった土曜日の昼近くだった、


出遅れた私はシャワーを浴びて、それでも一縷の望みをもってメインダイニングに下りていった、しかし、案の定、そこには並べられたテーブルの白いクロスが空虚に目立つだけで、もうクラブには誰もいなかった、


ただ、入り口近くのテーブルに白いナプキンに覆われてアフターヌーンテイー用の重ね盆に小さく切り分けられたサンドウイッチと、銀色の畏(かしこ)まったポットいっぱいのコーヒーが、ジェィムズのメモとともに用意されていた、ジェィムズはビールばかり飲んでいるが良いヤツだ、


糊のきいたナプキンをひとつ取り、おもむろに膝にかけて私はサンドイッチをつまみ、冷めてしまったコーヒーをカップに注ぐ、ふと積み上げられた四角いサンドウイッチは無数のトゥームストーン、墓石に似ていると思った、まだ墓標の刻まれていない無数のトゥームストーン、彼女の墓石には何が刻まれていたのだったか、


死者たちは、いつまでも我々につきまといはしない、いや、我々はいつしか彼らを裏切ることを覚え始める、あれほどの愛の言葉は別の恋人に捧げられ、墓石に誓った言葉は易々と破られる、

しかし、それでも我々は彼らを都合良く、愛し続けている、

いったい、私は彼女の何を理解していたと言えるのだろう、


「墓石」のいくつかを平らげながら、私は彼女の墓標をいま一度確かめたくなった、多分そうしたら、やっと彼女のことを受け容れられるような気がして、不思議に落ち着いた気分になった、今日の午後は友人の田舎の家に集まるはずだったが、電話を入れて断ろう、それが、今日という日に私が素直に望むことだと思えた、
、、汝、死者に忠実であるべし、、、

サンドウイッチに添えられたジェイムズのメモを取り上げると、こう書いてあった、、、「良い週末を、、」、、、ジェイムズは「ビールばかり飲んでいるが」、やはり良いヤツだ、そのサンドウイッチは優しいジェイムズが思っている以上に、「a rare treat、、特別なはからい」となった、


R.H.







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# by momotosedo | 2009-04-25 03:40 | ■Tales of the City