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10月6日(秋雨) セシル・ビートンとカバートコート


百歳堂日乗



dandy style
CecilBeaton
百歳堂 |  セシル・ビートン とカバートコート




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セシル・ビートンという贅沢感  セシル・ビートンに関する文献は幾多もあるので、そのバイオグラフィーについてはここで重ねるつもりはない、

ビートンに私が惹かれるのは、やはり、その出自とかライフスタイルとか美意識を背後にもつ「眼」で、それは計算では適わないビートンそのものの贅沢で熟れた「視点」だと思う、

同じようなタイプに、ラルテイーグを思い出す人もいるだろうが、ラルテイーグの贅沢さが無垢な豊かさの輝きに満ちているとするなら、ビートンのそれは、より現代的で、都会の裏表を知りつくした華やかさがある、いわばノエル・カワードのソフイステケーションのようなものだ、

それは、劇場の幕間に女優の元に届けられた薔薇の花束のようなものであり、或いはシャンパングラスを片手に囁かれる本日のパーテイのホストへの辛辣なジョークみたいなものである、


都会暮らしで研ぎ澄まされた贅沢には、一筋縄では適わない何層にも積み重ねられた「洗練」がある、意図を見破られないように意図された巧妙さ、ノンシャランを気取った「計算」、しかし、その反面、それは分かる人には感じとってもらわなければ困る、賞賛の的になる華やかさを秘めていなければいけない。「洗練」という名の果てしないゲーム、

これを実に手際よく、一筋の汗もみせずにやりおおせたのがビートンだと思う、そして、観客を唸らせるだけの魅力を創り上げることができた、ビートンには生まれながらの華やかさがあったのだ、それは写真や衣装デザインだけでなく、数は少ないが軽いタッチのイラストレーションの筆使いにそれがよく現れているように思う、



ビートンのカバートコート 「洗練の王」、ビートンのワードローブで、私が一番気に入っていて、いかにもビートンらしいと思うのがカバートコート姿だ、

カバートコートそのものが、ちょっとひねくれた都会の「洗練」を匂わせる。タフで丈夫な生地で仕立てられ、ステッチに守られた鎧のようでもあり、しかしエレガントなベルベットの上衿が仕込まれている、デイテールはカントリーテイストを思わせるが、このコートは、都会のどこに着ていっても歓迎される、

しかし、このコートだけはイミテーションは許されない、「正しく」仕立てられていること、そして、その人にあったバランスで完璧に手縫いで仕立てられていること、そしてそれを当然の如く着慣れた風で羽織ること、つまり、生涯、着続ける覚悟で仕立てるべきコートといえる、

このコートには、色んな決まりごとがある、

いつもは、知って知らぬふりをするのが真のエレガントとノンシャランを決め込んでいる着巧者が、カバートコートにだけは口うるさく、その生地、そのデイテール、その適度なフィット感に拘って言葉を重ねはじめる、そういう意味ではテイルコートと似ているかもしれない、

ビートンのカバートコート姿は、なによりそのフィット感が良い、穿ちすぎかもしれないが身体につかずはなれず、誰にも文句を云わせないクラッシックで、かつスノッブな伊達さを保っている、しかし、多分、いまビートンがまだ生きていて、ワードローブへの拘りを問うたとしても、昔から着ているだけだと云うに違いない、


私は先日、面白いカバートクロスを手に入れた。60年代の本格的なもので、織りは申し分ないのだが、これは緑がかった薄い茶をしている。カバートクロスはグレイの濃淡か、フォーン(淡い黄褐色)と限定されるものなのだ。
多分、時代のせいもあって、実のところは、こんな色もあっていいんじゃないか程度で織られたものなのだろうが、これをどう扱って良いのか迷ってしまう、ビートンだったら、どう云ったろう。
 百歳堂日乗




by momotosedo | 2008-10-05 15:34 | ■dandy style


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