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7月24日(真夏日) パジャマ そして ヨーロッパの贅沢品というもの



SWEET MY LTTLE REAL LIFE
Pajamas そしてヨーロッパの贅沢品というもの
百歳堂 |  手間がかかるという「贅沢」。



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ワードローブのなかで、私が愛してやまないものに、パジャマがある。
私としては、パジャマは下着の一部なんかじゃなくて、積極的にワードローブのひとつだと考えたいと思っている。
つまり、やっと約束をかわせた彼女とのデートに出掛ける時のように、或いはお気に入りのレストランにデイナーに出掛ける時のように、それと同じぐらいの気構えで、安らかな眠りのために、毎夜、お気に入りのパジャマに着替えるべきだと思っている。


だから、寝室にある私のクローゼットの一番良い場所を占めているのはパジャマである。一週間分がアイロンをあてられ、揃いのズボンとともに行儀よくハンガーにかけられて整列している。中国絹のものや、シャツ地に負けないくらい上質のコットンのもの、上品なパウダーブルーとか、ゴールド、目にも鮮やかな赤、クラッシックなストライプ。
毎晩、この整然と並んだ姿を見るのは何とも頼もしく、麗しい。




パジャマの良いところは、それが眠るためだけにあるということだ。なかなか、潔いと思う。大体、「こうにもなります。」「ああにもなります。」というものにエレガントなものがあった ためしがない。
純粋に、眠るための装いで、めったに家人以外の目に触れることもない。パジャマに凝るというのは、きわめて個人的な愉しみで、誰かがほめてくれるというわけでもない。しかし、こうしたものにこそ手を抜かないのが本当の生活だと思う。



だって、考えてもみてほしい。
統計をとってみたわけではないけれど、多分、人類の多くは寝床で最後を迎えるのだと思う。脳溢血か、心臓発作か、逝き方は様々としても、古びたTシャツとジャージ姿で死に様を晒したくはないでしょう。ソノトキニ、ナッタラカンガエル?いやいや、この21世紀、いつ何時、何があるか分からない。日頃の心がけが大事です。第一、あなたも私も、人生の3分の一は眠っているわけだから。


昔のジャーミンストリートには、エレガントな実に良いパジャマが売られていた。


ジャーミンストリート、そしてブリッグがまだあったころのオックスフォードストリート、つまり今のようなブランドストリートではなくて、紳士の細々したものを売る古い店で、この通りが成り立っていた頃には、誰が身に着けるのかと思うような、異常に質の良い(単純な用途に対して驚くほど高価だったりする)、且つ、けっこうエキセントリックなものが平然と売られていた。

ブリッグの一階のガラスケースには、もはやアンテイークではないかと思われるような、真珠貝の柄がついたマニキュアセットなどが並んでいたし、傘を買う場合には、必ず「シルクのものか、ナイロンのものか」を聞かれたりもした。


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ためしに尋ねてみた、「シルクの傘は、強い雨には水漏れしないものなのかね」、70年代後半のブリッグの店員はこう慇懃に答えた、「もちろん、漏れることもございましょう。」「ところで、お客様は、強い雨の中をお歩きになるための傘をお探しでございますか。」


それは、そのシルクが張られた傘は、強い雨の中を「歩く」人には不向きな傘だということで、これは、「傘」という形をしているが、別なものなのだ。


つまり、昔のヨーロッパの贅沢品は、それが我々が慣れ親しんだ或る物の形にいくら似ているからといって、その実用性を期待すると裏切られる、あっさり壊れてしまうのだ。

高価だからといって頑丈だと「身勝手にも」思うのは、そもそもソウイウものに「慣れていない輩」「非常識」なのであって、ソウイウいくらでも代わりはあるようなものに大金を出すのは、当然、それを許し、メインテナンスに手間ヒマを惜しまない余裕の或る人、つまり「エレガントな」人だ、、、という独自の考えが20世紀末までは確かにヨーロッパに根強くあった。

例えば、、、

私が自分で最初に買ったパジャマは、きれいなブルーに赤いパイピングが施してあるもので、袖口のカフや少しラウンドした襟にも赤いパイピングの縁取りがしてある、ズボンの前は共地の紐でしばるクラッシックなタイプだった。特質すべきはそのコットンの質で、絹のような光沢があって、一目で気にいった。


ところが、これがすぐにダメになった。襟のところが、ボロボロにほころんでしまったのだ。それで、もう一枚、同じものを買うべくジャーミストリートの店にでかけていった。幸い、色違いだが同じ質のパジャマが一枚残っていた。


勘定しながらも、私としては文句のひとつも言いたいところだ、「ところで、このパジャマはすぐにダメになってしまうね。」「この間買ったのに、もう襟のところが台無しだ。」

ピンクのポケットスクエアを胸にさした店員は、慇懃に「お持ちくだされば、修理できるものでしたら、襟など早速直させていただきますが」と請け負ってくれたが、話し込んでいくうちに、店員は何かに気づいたようで、おそるおそる私にこう聞いた「失礼ではありますが、お客様、もしかして、あのパジャマを洗濯機でお洗いになったのでは、、、」、そりゃそうさ、日本人は清潔好きなんだ、一日使うごとに洗濯機に放り込んださ。

店員は、「オウ、、」と短い悲鳴に似た小さな叫びをあげると、隣にいたヴァイオレットのポケットスクエアを胸にさした店員に、「リチャード、このお客様は、品番TA8865のシーアイランドコットンのパジャマを洗濯機で洗ってしまわれた」と小声で告げた。リチャードも、また「オウ、、」と口元に手をあてながらも短い悲鳴をあげると、その隣にいたハウンドツース模様にライラックの縁取りがしてあるポケットスクエアを胸にさした店員に、小声で同様に囁いた、その店員もまた、「オウ、、」、、、、。小さな叫びが店中を伝染していった。

そのフロアの一角にいた店員全員から哀れみに似た視線を浴びながら、私だって思わず叫びたくなった、、、

つまり、これほど上質のコットンのパジャマは、大切に手洗いされるべきもので、それを洗濯機に放り込んだ私は、大英帝国に攻め込んできたローマ人以来の暴挙の徒というわけだ。


もっとコワイ話もある。

私は、ロンドンでの足代わりに、ロータスエランという小さなスポーツカーを使っていた。ルノーアルピーノとさんざ迷ったあげく、地元の車の方が何かと便利で、街にもなじむだろうと選んだのだ。ところが、これが油漏れする。


危険を感じて、ロータスのガレージに持ち込んだ私に、そこのエンジニア氏は平然とこう答えたものだ「アア、あれは、わざと油が漏れるようにしてあるンです。自動車というのは、完璧なものだと間違った考えを持たれると困りますからね。信用できないと思わせておけば、事故も故障も少なくなりますから。」、、、

アレは、英国人特有のユーモアだったのだろうか、それとも本心だったのだろうか、、そういえば、当時のロンドンには自動車修理工場がやたらあって、車をもつ友人は常に優秀な修理工を探していたようにも思うが、、、


それから、21世紀へと月日は流れ、ブリッグはモダンな店へ移転し、シルクの傘は、よっぽどの酔狂者の特別注文品となり、店頭からはとうに消えた。そして、あのロータスでさえ、タッチスクリーン式マルチメディアシステムなどというものがつき「ラグジュエリーカー」をめざしている。

、、、そして、まともなパジャマで眠りにつく人は、稀になった。











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Pajamas そしてヨーロッパの贅沢品というもの
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by momotosedo | 2008-07-25 08:15 | MY LITTLE REAl LIFE


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