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5月31日  晴耕雨読  澁澤龍彦さんの思い出



百歳堂日乗



 
読書は愉し
澁澤龍彦
という硬質な夢
百歳堂 |  澁澤さんの思い出








5月31日  晴耕雨読  澁澤龍彦さんの思い出_f0178697_17342860.jpg5月も末になって雨が続いている。今日も、朝からの雨で、午後になっても霧雨が止まない。
本日は、晴耕雨読。寝椅子で書物を抱えてガラス窓から時折、空中に舞う霧の露をみている。
この頃は、書架に残る古い本を再読している。歳のせいで、一度読んだはずの本も内容をほとんど忘れ、推理小説さえ新しく読むことができる。これも老いることのありがたさかな。
本を蒐集していたのは、やはり学生時代で、その頃は家に好みの書物だけを積み込んだ小さな図書館をつくることを夢見ていた。それが、いつしか実際の世の中を飛び回っている方が面白くなって、読む時間も惜しくなり、私家図書館の夢も忘れてしまった。そんな埃の積もった、その時分の本を取り出すと、焼けた紙の匂いとともに記憶の断片も蘇る。

今日の一冊は、澁澤龍彦さんの「胡桃の中の世界」(1974年 青土社刊)。渋沢さんの本は、「毒薬の手帳」、「秘密結社の手帳」など桃源社の手帳シリーズから、澁澤さんが編集に携わったカルト雑誌「血と薔薇」まで、学生のひと頃、深夜に読み耽った。澁澤さんの本といえば、深夜の読書。一癖ひねりたい学生のバイブルだった。

学校を卒業して、一応の職業についていた20代半ばの私は、一度だけ北鎌倉の澁澤邸を訪ねたことがある。
そのころ知人の誰かがお化けの本(まだ新書にあると思う)を編集していて、それに必要な図版が載った本を澁澤さんに借りにいったのだ。
何故、私が行く事になったのかは、今もって分からない。とりあえず、電話で依頼をすると快く承諾してもらった。
それで、5月の或る日、私は北鎌倉に向かった。澁澤さんのお宅は、白い瀟洒な洋館というのでファンの間では有名だった。北鎌倉の高台の緑に囲まれたその白い洋館は、木造(多分)の白いペンキで塗られた意外に小造りで、神秘主義の作家のおどろおどろしさというよりは、快適で気のおけない避暑地の別荘を思わせた。

奥さんの竜子さんが迎えてくれて、書籍の写真でも見た、四谷シモンのエロテイックな人形や、骸骨、貝の標本が飾られた応接間に通された。事前に、「澁澤は夜更かしなので、午後2時以降にならないと起きてきません。」と伝えられていたので、多分、着いたのは午後3時ぐらいだったと思うが、まだ渋沢さんはお目覚めではなかった。

奥さんは、お茶をだしながら「もう起きてきますから。」とおっしゃた。応接間は、澁澤さんの書斎ともつながっていて、そこにはクラッシックなつくりの書棚とダイニングテーブルほどある大きな書き物机の上にも書物が積み込まれていた。書斎のむこうは、庭に面した大きなガラス窓で、窓越しに5月の緑がうっそうとみえる。

そうこうしている間に、「ガラガラガラ、、、」という大きなウガイ声が奥から聞こえてくる。正直、そのウガイの大きさに驚いたが、いま思えば、このとき既に喉頭ガンの兆候があって異変を感じられていたせいかもしれない。

裏覚えだけれど、たしか黒地に赤いパイピングのある質の良さそうな厚手のテリークロスのバスローブ姿で澁澤さんは現れた。
ここから、記憶が曖昧で、肝心のどんな会話をしたのかが思い出せない。覚えているのは、椅子に座るなり、まず葉巻(多分、当時でていた国産の「アルカデイア」とかいう葉巻だったと思う)に火を点けられたと言うことと、拝借する本はすでに用意されていて、私は自分の名刺に拝借の旨をかいて渡したということ。
それに、印象に残っているのは澁澤さんも、奥さんも気取りがなくて初対面の若者に対して実に自然だったということだ。

澁澤さんも、奥さんも驚くほど「臭み」がなかった。たとえは変かもしれないが、新鮮な淡白な白身の魚、たとえば白魚みたいだった。巷間有名な抜けるほど色白のフォトジェニックな容姿のせいもあるのだろうが、いや味な臭みがなかった。

そのせいもあったのか、何だか淡白な会話とお付き合いに終わってしまって少し悔いが残る。




by momotosedo | 2008-05-31 14:22 | ■読書は愉し


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