8月22日(夏日、今週から秋めいてくるというが本当か?) 「いつも」





momotosedo`s
21st Century
Dandy




Art&ClassiC

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夏の陽光が眩しいほど照らす、「庭園」というよりは英国の自然のうっそうと輝く草花の向こうのテラスで80歳を越えた老女は、テレビクルーと訪ねてきた孫たちにお茶をふるまっている、

(*愛用の紅茶茶碗、もう何十年来、これで紅茶を飲み続けている、かなり古い、18世紀末、或いはもっと古いもの「らしい」、ただし、ロイヤルなんとかというものでもなく、刻印すら焼きつけられていない、何故、これが旅行道具かというと、旅にも持参していくからだ、壊れないように専用の鰐皮のフィッテイングケースも昔、ロンドンでつくらせてある、)


印象に残ったのは、老女が自分のお茶を注ぐそのティーカップがもう「壊れている」と云えるほど淵が欠け落ち、いかにも年代ものだったことだ、

「いつも私はこれでお茶を頂いてきたから、、」老女は小さな言い訳のように独りごちた、
そのティーカップを見る限り「いつも」と云うのがどれほどの歳月を示すのかが思い知れる、半世紀を優に越えて彼女と彼女のティーカップはともに寄り添い続けてきたのだろう、、、

この『本物の「いつも」』が多分、21世紀の我々が探し出さなければいけないものだと思う、






我々は時代ごとに生き方を見つけ、新しい考えに気づいてきた、
「ヒッピー」から「モバイルライフ」、「ロハス」から「デファクトスタンダード」まで、、、
そして我々が、21世紀に気がつかなければならないのは、生物としての素直な「感覚」と、「愛情」だと思う、


演繹的な文章や考えに何の魅力も感じないように、もはや、ジャーナリズムやマーケテイングからは感動は生まれないだろう、


ジャーナリステイックな「情報収集」や、マーケテイング的な「周到さ」は、とても上手く我々の生活に浸みこんでいるが、その反面、素直な「感覚」や「愛情」に忠実になることが忘れられ気がつくと我々は愛することが下手になってしまっていた、もしかしたら、それらは生物的な「愛情の栓」を閉塞させてしまうものだったのかも知れない、





彼女の本物の「いつも」のように、
本物の「好き」という背景には「情報収集による選択」の「結果」とは違う、愛情の栓をいっぱいに開いた「履歴」がある、


第一、我々が「具体的な理由」として「思い込んで」いる情報という「事実」は、実は移ろい易い表面の一部を不確かに言葉に置き換えたものにすぎず、単に文章に変換しやすい表層の羅列にすぎない、


人間の全てを変換することはできない、そして、変換できない部分にこそ真実が潜んでいる、


「変換」し易い「情報」だけに基づいてきた社会は、どこかで矛盾し終わりを告げるのだと思う、


私は、21世紀のその先のコンセプトを探しておきたいと考えている、そしてそれは、多分「愛情」なのだと思う、愛情深く、愛情のかけ方を知っている「チーム」だけが幸せにサヴァイヴしていけるだろう、


ただ、60年代の楽観的な「LOVE & PEACE」と違って、タフな現実に怯まない素直で力強い、生物としての硬いボデイに忠実な根っこの「愛情」で、「常識」なんて無視して良い、


彼女のティーカップのように、少しぐらい壊れてもあきらめないことだ、


R.H.







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by momotosedo | 2009-08-22 02:31 | ■21st Century Style


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