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2月25日 東京おぼえ帖 2. 「ジャン・ジュネに訊け、」






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dreams、、tears、、lament、、& You、、TOKYOSONGS、、
copyright 2009 Ryuichi Hanakawa









おもちゃ屋 (といっても、かなり大きい玩具問屋だった)の倅の土田くんと、文房具屋(といっても、これも大手の文房具屋だった)の倅の安田と、本屋(といってもこれも大きな本屋と喫茶店を何軒も持っていた大書店だった、ようは、全員「ボンボン」育ちだった、)の倅の平田と、

当時、外苑前にあった「ユアーズ」という終夜営業の気取ったスーパーマーケットの前で待ち合わせて、「レオン」に寄ったのか、平田がもっていた近くのアルフレックスの家具で飾ったショールームみたいなアパートに行ったのか、どっちだったか忘れてしまったが、私が東京に戻って来たと言うので、幼馴染の4人が久方ぶりに会うことになった、遊ぼうゼ、オォ、遊ぼう、遊ぼう、




平田は、ブルーと赤の縁取りのしてあるHと大きく編みこまれた白いレタードカーデイガンに赤いコーデユロイのズボンを履いて、すぐそこに住んでるというのに、自慢だったトライアンフに乗ってやって来た、平田は多分、4人の中では一番天才的で才能があったと思う、ただ、惜しむらくは頭と勘が良すぎて結局は一生を棒に振ってしまった、

平田は死んでしまったから、なおさら口惜しい、思い出しても、平田の才能は子供の頃から目立っていた、図画の時間で書き上げた「戦車」は、ほとんど少年マガジンの口絵にあるぐらいに見事で、「レーシングカー」が流行ったときは、同じキットを組み立てているにも関わらず、平田の車が一等、早かった、中学の時に音楽とギターにのめりこみ始めて、上手いのは知っていたが、東京に帰ってきたとき遊びに行ったら、ジョン・マクラグリン顔負けに早弾きを始めたので驚いた、






平田が、その才能のひとかけらにでも忠実であったなら、それなりの人物にはなれたのではないか、しかし平田は「飽きっぽかった」、それも途中でやめるのではなく、とことん突き詰めてしまって、次から次へと興味の範囲が広がっていく、突き詰める速度が常人わざではないのだ、


一度、土田くんが平田のことで、国際電話をかけてきたことがあった、土田くんは、「土田くん」としか呼びようがないほど、いつも穏やかで、学業でも安定してトップを保っていた、子供のときから優れたバランス感覚の持ち主で、どこか先を見越しているようなところがあった、4人のなかでは、一種の最新鋭の「制御装置」のような役割を果たしていた、そのときも、土田くんの敏感な「制御装置」が信号を出したのだと思う、


その電話で、土田くんは「平田は、ずば抜けて頭が良いのに、あのままではダメになってしまう、僕も直接、平田に云うつもりだが、君も平田に云ってくれ」という趣旨のことをいった、

私は、その頃は、なんでそんなことが大事なのかが分からなかった、平田は、たとえ学業ができなくてもリッパな家業があるから将来安泰なんじゃないかと思った、、、「分かるけど、それが平田じゃないのかなあ」






は、日本を離れていて平田の通夜にも、葬式にも間に合わなかった、一ヶ月後ぐらいに、ようやく平田の家と墓参りに行けたとき、土田くんもつきあってくれた、墓というのに友の名が刻まれているのはそれなりに感慨深い、そのあと、なんか食おうということになって私の要望で土田くんは近くの旨い蕎麦屋につれていってくれた、


二人で、蕎麦がきや、焼いた味噌をなめながら、菊正宗を熱燗にしてもらったのを飲んでいた、私は熱燗というのがあまり得意ではなかったけれど、暖められた日本酒の口に含んだときに広がる独特の匂いが今日は許せるような気がした、


土田くんは、最高学府を主席で卒業したらしくて、そのことを「スゴいね」と言うと、「いや、そうでも、、、でも僕より平田の方が本当は頭が良かったよ、、」「土田くん、一度、平田のことで電話をくれたよね」「うん、、」「あのとき、直接、平田にも云ってみるっていってたけど、あの後、平田とは話したの?」「うん、、」「で、そのとき、平田はなんて云ってたの?」その問いかけに、土田くんはたださみしく笑っていた、





お銚子を二人で一本づつ空けて、蕎麦をたぐって、またお銚子を一本づつ空けたところで、何だか、モヤモヤしたものが湧き上がってきて私は二人で話しているのに耐え切れなくなった、土田くんとは久しぶりに会ったし、話したいことは山ほどあって、昔だったら夜があけるまで話しても飽き足らなかったけれど、何故だか、居たたまれない気分が押し寄せてきた、それは、なんとも説明できない、

その気分が土田くんにも伝染したのか、「出ようか」とどちらともなく声をかけて、今日は僕がおごるよといって土田くんはさっさと勘定をすませてしまった、


別れしなに、何だか土田くんに悪いような気もして「また近々会おうよ、電話するよ」と云うと土田くんも「うん、絶対かけてくれよ、待ってるよ」そう云って我々は右と左に別れた、


電車で帰ろうか車を拾おうか、しかし、いますぐ何かを決めるのがおっくうで、気がつくとあてもなく歩き始めていた、そこら辺りはただ殺風景な店やオフィスが並ぶ小道で、わざと路地に入っても同じように殺風景なのにかわりはなかった、

私は只々歩いていた、そうしたら、ふいに涙がでそうになった、


それは、平田の死が口惜しいといった単純なものではなく、あれほどがっちりしていた4人の友情が平田が欠けたことで、空の上で崩れてバラバラに落ちてゆくような予感だった、その時のことを言葉で辿っても何も明らかにはなりやしない、しかし、それをきっかけに若水のような私達の少年の時代は終わったような気がする、



でも、それはズット後のことだ、「ユアーズ」の前に現れた平田は、どの若者よりもお洒落で、我々も山の清流のように若く濁りを知らなかった、








copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa
by momotosedo | 2009-02-25 03:59 | ■東京おぼえ帖


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