8月25日(秋はまだか) 「Rhapsody In Blue"S"」





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父が最後にかけてくれた言葉は何だったろう?ニコラはあのあとずっといつまでも、何度も思い出そうとした。山荘の玄関でさよならを言ったあと、父はいろいろ注意の言葉をくりかえしていたが、ニコラはともかく早く帰ってくれないかとじりじりするばかりで何も聞いていなかった。
(エマニュエル・カレール「冬の少年」の巻頭の一行、原題は「la Classe de neige」、”雪の教室”、少年の悲痛な”白日夢”が展開する冬山のスキー教室を指している、)


1950年代を境に、世界は「父親」を失くしはじめ、或る種、複雑なコンプレックスを持ちながら、我々は実はその陰で「理想の父親」を探し求めている、

現代は「父性」よりも、「母性」的なるものが強い社会なのかも知れない、

我々は「父性」なるものへの強い憧れを抱きつつも、「父親」的存在になるには確かな「ノウハウ」を失いさ迷いつづけている、




人の心の奥底にはさまざまな迷いが潜んでいる、

埃を被った古典的なメンタルモデルをいまさら引っぱり出して、それを「分析」するコトが目的ではないので、さっそく極く偏見的にゴールから読み解くと、ヒトは「満たされていない」とき迷いだすのだと思う、


迷いは「嫉妬」から始まり、時として「私が悪いのは貴方のせいヨ」的な一方的な「憎悪」へと理不尽にエスカレートする、これは時代とともにその「対象」が拡大し、その表現に「技術革新」があったとしても、古来からそう変わってはいない、




父性の本質は「創造性」にある、今の時代に再び「父性」が求められているのは、分析に長けた「演繹的な考え」や「編集」的なアイデアでは現代の「満たされない」世代を充分「満たす」ことができないからだと思う、

多分、「母性」的な「ゆるし」よりも、そういう「満たされない」世代は「夢中に」なれる新しい次元をみせてくれて、「満足させ」てくれる「クリエイテイブ」な「父親」の姿を期待しているのだと思う、



さて、ここでひとつ気がつくことがある、

 
「満たされない世代」はむしろ向上心を是とするマジメな世代に潜んでいる、しかしモノ事すべてが際限なく向上するはずもなく、すべてのヒトが革新できるわけでもない、大切なのは人間的で豊かな「魅力」であって、「魅力」と物理的な「向上」とでは根本で違う、「満たされない」が反応を誤ると内面へと向かっていって傲慢な孤独や出口のない孤立を生み出す、



私は、「満たされない」ということの本質は、YouTubeでキース・リチャーズが打ち明けるように「ブルース」だと思う、

つまり、「悲しい」けれど、元来は歌でもガナって、「悲しみ」を「分かち合う」ものだ、「ブルース」という「アイデア」は「第三の道」で、実はとても21世紀らしい、
人間的な多くの問題は多分、「解決」に切羽詰まるより、むしろ「分かち合う」方が上手くいく、





「満たされない」は、60年代にミック・ジャガーの若い肉体で変質し、80年代にはDEVOのカバーで複雑化して、やけにエッジーで意味深なものに聞こえたが、本来は「分かち」合える「ブルース」だということだ、なンだ、そうだったのか、


「ラプソデイー イン BLUE」の「ブルー」が多分、「ブルース」コードのブルーであるように、無理をして囚われるより、21世紀のアレやコレやを「ブルース」という「アイデア」で分かち合うことを覚えはじめよう、


それは「生物」としてたくましく生きる学習だと思う、

R.H.






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# by momotosedo | 2009-08-25 07:38 | ■21st Century Style

8月22日(夏日、今週から秋めいてくるというが本当か?) 「いつも」





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夏の陽光が眩しいほど照らす、「庭園」というよりは英国の自然のうっそうと輝く草花の向こうのテラスで80歳を越えた老女は、テレビクルーと訪ねてきた孫たちにお茶をふるまっている、

(*愛用の紅茶茶碗、もう何十年来、これで紅茶を飲み続けている、かなり古い、18世紀末、或いはもっと古いもの「らしい」、ただし、ロイヤルなんとかというものでもなく、刻印すら焼きつけられていない、何故、これが旅行道具かというと、旅にも持参していくからだ、壊れないように専用の鰐皮のフィッテイングケースも昔、ロンドンでつくらせてある、)


印象に残ったのは、老女が自分のお茶を注ぐそのティーカップがもう「壊れている」と云えるほど淵が欠け落ち、いかにも年代ものだったことだ、

「いつも私はこれでお茶を頂いてきたから、、」老女は小さな言い訳のように独りごちた、
そのティーカップを見る限り「いつも」と云うのがどれほどの歳月を示すのかが思い知れる、半世紀を優に越えて彼女と彼女のティーカップはともに寄り添い続けてきたのだろう、、、

この『本物の「いつも」』が多分、21世紀の我々が探し出さなければいけないものだと思う、






我々は時代ごとに生き方を見つけ、新しい考えに気づいてきた、
「ヒッピー」から「モバイルライフ」、「ロハス」から「デファクトスタンダード」まで、、、
そして我々が、21世紀に気がつかなければならないのは、生物としての素直な「感覚」と、「愛情」だと思う、


演繹的な文章や考えに何の魅力も感じないように、もはや、ジャーナリズムやマーケテイングからは感動は生まれないだろう、


ジャーナリステイックな「情報収集」や、マーケテイング的な「周到さ」は、とても上手く我々の生活に浸みこんでいるが、その反面、素直な「感覚」や「愛情」に忠実になることが忘れられ気がつくと我々は愛することが下手になってしまっていた、もしかしたら、それらは生物的な「愛情の栓」を閉塞させてしまうものだったのかも知れない、





彼女の本物の「いつも」のように、
本物の「好き」という背景には「情報収集による選択」の「結果」とは違う、愛情の栓をいっぱいに開いた「履歴」がある、


第一、我々が「具体的な理由」として「思い込んで」いる情報という「事実」は、実は移ろい易い表面の一部を不確かに言葉に置き換えたものにすぎず、単に文章に変換しやすい表層の羅列にすぎない、


人間の全てを変換することはできない、そして、変換できない部分にこそ真実が潜んでいる、


「変換」し易い「情報」だけに基づいてきた社会は、どこかで矛盾し終わりを告げるのだと思う、


私は、21世紀のその先のコンセプトを探しておきたいと考えている、そしてそれは、多分「愛情」なのだと思う、愛情深く、愛情のかけ方を知っている「チーム」だけが幸せにサヴァイヴしていけるだろう、


ただ、60年代の楽観的な「LOVE & PEACE」と違って、タフな現実に怯まない素直で力強い、生物としての硬いボデイに忠実な根っこの「愛情」で、「常識」なんて無視して良い、


彼女のティーカップのように、少しぐらい壊れてもあきらめないことだ、


R.H.







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# by momotosedo | 2009-08-22 02:31 | ■21st Century Style

8月21日(夏日) 「切れ味」





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(*これも、30年代のエルメス社製のトラベルケースに「装備」している「爪切り」、もはや80歳近い年齢なのに抜群の切れ味、パリジェンヌが最期まで「女」を貫き通すのを忘れてはいけない、
ニッパー型の爪切りは既にヨーロッパでは珍しい、爪やすりで充分間に合う、でもこの切れ味が忘れられなくて愛用している、つくりと形がいかにもアールデコの精緻な「機械趣味」でそれも気に入っている、)






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# by momotosedo | 2009-08-21 02:38

8月20日(夏日)





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(*これも、1930年代のエルメス社製のスターリングシルバーのフラスコ、日中に香水を使うことは稀だが、ベッドに入るときには安らかに眠りを誘うこのオードトワレは必須で、瓶から移し替えて旅先に持っていく、銀のフラスコはいかにもアールデコの意匠でシャープにエッジが立って、栓も精緻に出来ていて愛らしい、)







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# by momotosedo | 2009-08-20 04:59

8月17日(夏日) 「カフカ」@MOMOTOSEDO





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或る朝、目覚めて鏡を覗き込むと、甲虫には変身していなかったが確実にジジイになっていた、ニヒルに現実的な時の流れと精神の成熟のギャップは、カフカ的な「不条理」を私に突きつける、

(*写真は、愛用の旅行道具、良い木目の1930年代のエルメス社製のブリッスルヘアーのブラシ、我が家でもモッパラこれを使う、何十年来、旅行にはいつも携えていく30年代のエルメス製のトラベルケースにセットされている、この時代までのものが「質」と「生活の豊かさ」があって良いと思う、)





「変身」への願望と、「老化」への恐怖は古来より人間が生き続けていく限り格闘せざるを得ないテーマであることに異論はない、醜く蠢くサナギがいつしか羽根を拡げ美しい蝶になって飛び立つ瞬間は、我々に「成長」への甘い期待を抱かせる、

その輝かしい「成長」が、いつしか「老化」という言葉にすり替わるあたりで人間はジタバタし始める、
「成長」と「老化」は二律背反の、いわばコインの裏と表、レトリックとしては、人間は成長を諦めたとき老化が始まる、てなコトがいえてしまう、



しかし、自分が歳老いていくに遵って、「老化」という向こうには成長とは次元の違う「深化」というのがあるのではないかと、楽天的に期待している、

それは進化とも違う、不条理をいっぱい含んだ「業」のような、やはり「深化」だと思う、


大谷崎しかり、巨大ドストエフスキーしかり、「業」の深さが晩年に傑作を生み出していないか、




人間は歳を経たからといって成長の果てに「完成」はしない、
人生は諦観を待つほど永遠ではない、

けれど、点の位置としては、もはや上に伸びてはいかないが、3次元、4次元と老成した「手業」で不条理に次元を引き寄せて、心中奥深く「業の味」というのを探り出すのではないかと、祖父の100年前のマクスウエルの自然のパテイーヌに感心しながら行く方に想いを馳せる、

R.H.







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# by momotosedo | 2009-08-17 05:11