11月16日(冬空)  「BespokeClassicTie」




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DID YOU KNOW?
DID YOU KNOW?
DID YOU KNOW?


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六義の秘密
BespokeClassicTie
Secret Pleasure only for client



ClassicHaberdasherのメンバーの方はすでにご存知の通り、銀座のアトリエでは「BespokeClassicTie」のサービスを始めている、

メンバーサイトで「BespokeTieをつくる」と宣言してから約一年、構想から指折り数えると約2年を経ている、この間、黄金期のA.Sulka & Co.の200本に及ぶタイコレクションを一本づつ精査し、今は無きリヨンの自社ミルの驚くべき「質」と「技術」で織られたSulkaSilkに迷い、ロンドンやウイーンの古の名店で仕立てられた1920年代からのタイを解体し続けた、


そして、結局は自分が抱き続けていた「想い」に戻っていった、これは、テーラリングやビスポークシューズへの「まっとうなアプローチ」をはっきりさせたいと探っていたときと同じだった、



六義の秘密



それは、簡単な言葉で綴れば「生涯寄り添って」くれる「味わい」とでもいうべきもので、時代に古びない「永遠性」と置き換えることもできる、

それを、どう説明すれば私が考えているそのままを伝えることができるのか、この「味わい」というのには、「素材」、「仕立ての考え方」、「技術の質」などすべてが細かく確かに関連している、

或る意味では、「Bespoke」というもののこれが本質なのかもしれない、


そして、さらに分かりにくいだろうことを云えば、この「永遠性」は見た目は自然で優雅でも、実は「かなり突出した」モノでなければ適わない、これは、私自身がこの半世紀で「Bespoke」した経験からはっきり云える、


「突出した仕立て」、「突出した質」、「突出した想い」、そういうものでないと「永遠性」を持ちえない、これは、考えてみれば当たり前のことだろう、


つまり「永遠性」は、かなり「先鋭的」な「クラシック」から生まれる、単なる「古い服のコピー」からは「生涯寄り添ってくれる」実質は何も生まれやしない、

「Bespoke」はフレッシュな生き物で、極めてオリジナルなものだ、

「Art&Classic」を六義のモットーに据えている想いも、そこにある、



六義の秘密



古の紳士たちのワードローブを探り、クローゼットを覗いていくと「クラス(或る階級以上)の紳士たちが身に着けるべきタイ」は極く限られた種類のものだったことが分かる、「スピタルスフィールド」、所属を現わす「クラブタイ」、カントリーやスポーツの時に締める「ウールタイ」、原則としてはこれだけだ、

あのウインザー公の「柄合わせのマジック」と云われるグラマラスな装いさえ、良く見るとタイそのものは極くクラシックなものを合わせている、

そして、ダンデイたちのタイは良く「使われ」ている、それらは、「今年流行の」パープルでもなく、「ナポリ製のナンタラ」でもないが、不思議にいまだ「輝き」を保ち続けている、今それをとりだして締めてみても、何よりスーツによく馴染んで「装い」を上品にしてくれそうに見える、事実、それらは、味わいをもって何にでも合う、

これが、生涯「寄り沿って」くれて、時代に古びない「味わい」を持つ「タイ」ということだと思う、

考えてみれば分かることだが、「タイ」に「永遠性」を求めるにしても、「流行」を求めるものではない、



そして、研究してみるとこれらはその「仕立て」にも共通した秘密があり、或る種の「法則」とでも呼べるものがあるのが分かってくる、



六義の秘密


私が蒐集した200本に及ぶ黄金期のA.Sulka & Co.のタイは、奇跡的にもプライスタグもそのままに(未使用の)「今、店頭にあって」もオカシクない完璧なコンディションのまま、A.Sulka & Co.と朱で刻印された白いボックス、10数個に入って残っていた、

それを見つけたのは幸いだった、

この黄金期の「SulkaSilk」は当時リヨンにあった自社ミルで織られている、
「SulakSilk」とワザワザ呼ばれるようにビスポークシャツとともに、これはA.Sulka & Co.のシグネチャー(看板)であった、
「看板に偽りなく」、この黄金期の「SulakSilk」は、「糸の質」、「設計」、「織り」、「考え方」ともにウルサイ私でも唸るぐらいに素晴らしい、
何より「最上」のものにしようという気概が伝わってくる、なにしろ、一番シンプルな「ダブルストライプ」さえ、ストライプによって畝の方向を違えて織られているのだ、(つまり例えば「赤」のストライプはホリゾン(水平)の畝で、「白」のストライプは斜め63度の畝でジャカードで織られている、)


この「SulakSilk」の織りのテクニックを語り出すとキリがない、大袈裟でなく、それほど驚愕するものが本当に存在していたのだ、



六義の秘密




そして、この黄金期の「SulakSilk」のタイと「今のタイ」を比べてみると明らかに「シルク」の「質」が違う、これらのタイを締められたクライアントの方がいみじくも漏らした、「なんか、スーツへの馴染みが違うんですよ」という言葉にいみじくもそれが現れている、

私もうすうす感じていたのだ、どうも光沢とか「味」が違う、今のタイはどんなに高価で「上質」と囁かれようと、「SulkaSilk」と並べてみると何だか光沢も不自然に見え、安っぽく感じさえもする、調べていくとそれは、「糸」の違いによるものだと分かっていく、



六義の秘密



今は知らないが当時は「チャイニーズシルク」が最上とされていた、70年代のロンドン、ハンソンストリートに古から続く一軒のシルク専門の生地問屋があり(今はもうない)、私はいつもスーツを仕立てるときには、懇意にしていたパーソナルテーラーとそこで裏地を選ぶことにしていた、

この当時のロンドンは今思えば生地好きには「天国」のようなところで、少し変わった柄モノのシルクを裏地にしようと思いついたときには、ピーターストリートにシルクに拘る小ぶりな店があった、そこにはナント1930年代のシルクが手つかずのままボルトで残っていたりもした、この店はウエストエンドのシアターを上得意としていて、1930年代の珍しい生地をオリジナルとそのリプロダクションの両方を揃えて、さながら店は「ファブリック ライブラリー」だった、

この時代に、レアなシルクを見て、触ったことが私のその後の「財産」になっている、しかし、白状すると当時はまだ私も若くモノをまだ知らず、それに「天国」にいたのでそれが「当たり前」だと思い込んでしまった、今、そこへ戻れるならば買い占めたかったモノがズイブンある、



六義の秘密


この2つの店が、口を揃えて云っていたのが「糸は上質のチャイニーズシルク」に限るという言葉だった、ハンソンストリートの店は、前世紀から「シルクの原糸」を中国から直接取り寄せていると自慢してもいた、この良い時代の極上のチャイニーズシルクは調べてみたがもう無い、繭や蚕そのもの、育て方、餌となる桑も違うらしい、或る人が桑から拘って、中国で紡ごうとしたがダメだったそうだ、

シルクを知る人ほど、今のシルクを嘆く、それが現状らしい、


六義の秘密


A.Sulka & Co.の黄金期は意外に短い、オーナーが頻繁に変わりせっかくのリヨンの自社ミルも途中で手放してしまった、A.Sulka & Co.という織りネームがついていても数年の黄金期以外は時代に引きづられた迷ったモノづくりをしている、「Sulka」とだけ記されたネームのものにはもはやその面影もない、そして最後はイタリア製のカジュアルウエアに成り果て消えてしまう、


果たして、我々は「進化」しているのか、「退化」していっているのか?

今のメーカーや、百貨店やセレクトショップや雑誌を見ていると、いまさら「小売業の販売革新」とやらにつきあいたくもなく、私は残された時間をモノづくりにドップリ浸りたい、



六義の秘密


タイの本質は、「装い」に馴染み、深みを与える「味わい」と、時代に古びない「永遠性」にある、これが私が欲しいタイだ、

研究していくと、タイづくりに抜け落ちていたのは、「裁断方法」だということに気づいていく、素材の良さを「自然」に生かし、生涯の愛用に答える「タイとしての構築性」の両面を適えるためには、生地の動こうとする流れに沿って裁断し、丁寧に仕立てることが大切だと気づく、これは、テーラリングそのものだ、

この「BespokeClassicTie」は今までの既成概念に拘らない、かなり独特のパターンと仕立て方で、ビスポークシューズがすべて革でできているのと同様、すべてが同素材で作り上げられている、






BespokeClassicTie」 

¥18,000~(税込み¥18900~)
(パーソナルパターンを「Bespoke(話し合い)」しながら作成します、、長さ、幅、ノットの大きさを指定しながらご自分なりのエレガンスをおつくり下さい、)



*僭越ながらアトリエは完全予約制です、お越しになる際には、eメールかお電話での事前のご連絡をお願いしております、

問合せ先 e-mail bespoke@rikughi.co.jp
phone 03-3563-7556
telefax 03-3563-7558




『*「ClassicHaberdasher」も早や半年目を控え、色々考えたのですが、やはり「ブログ」とは一線を引いた会員を限定した愉しい「クラブ」のようなものをつくりたいと思っています、
ただ、「クラブ」ですから「ルール」が存在します、
僭越ながら、第一期のメンバーについては、12月2日をもちまして締め切らせていただきたいと存じます、

2010年からは、少しシステムを変えて、「ClassicHaberdasher」へシンパシーを感じていただき、会員登録をご希望され、仲間になってやろうという方は、

bespoke@rikughi.co.jp

まで、ご連絡を頂ければ、ご説明のうえ「ID」と「パスワード」を発行させて頂きます、


いっぱい愉しみましょう、

R.H. 』




copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa all rights reserved

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# by momotosedo | 2009-11-14 14:25 | ■六義の秘密

11月3日 (寒くなってきた) 「HOLD ON I`m Coming」



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Don't you ever feel sad,
Lean on me when times are bad.
When the day comes and you're down,
In a river of trouble and about to drown 、、、


HOLD ON I`m coming


悲しんデちゃダメだ、苦しみの海に飲み込まれそうになって、ツラくてヘコんだときは、俺を頼りにしてくれ、、
待っててくれ、スグ駆けつけるから、、、「Hold on I`m coming」は友情についてのシンプルに本質的な衝動といえる、

「感動」とか「衝動」とか素直な心は、良い運動神経を持っている、

幸せになるのも、幸せにするのも「心の運動神経」がその核にあるのは間違いない、

この「心の運動神経」には何の「規制」もなく「無限大∞」で「常識」に囚われることもない、貴方の好きなように育てることが出来る、そして、知っての通り、人間の「心」ほど魅力に溢れるものはないが、これほどヤッカいなものもない、「格差社会」といわれる21世紀の「格差」の本質は「心の格差」として潜行している、





「21世紀」を語る時、多くの人は経済指標を軸に「これから」を解析しようとするが、21世紀で未来を本当に指し示すのはヒトの「心の指標」だと思う、20世紀においてヒトの心を永い間「牽引」し「規制」してきた社会構造や産業構造は今やその力を失い、あからさまにその存在意義があるかどうかが問われ始めている、空っぽの「権威」はドンドン、これからも崩れ続けていくだろうから、そういう意味では21世紀は「ルネサンス」的な時代と云えなくもない、



足枷をはずされた「心」は自由に飛び立てるが、その分、自分自身で行く先を示さなければいけない、つまり、本当の意味で「生きる」ためのパーソナルなクリエイテイビテイが問われるのが「これから」だということになる、

忘れていけないのは、「心」は内にある「かたちの掴めない」ものだが、それを包む外側の硬くニヒルな「環境のかたち」に結局、大きく左右される、良い「心の運動神経」を育てるためには、「環境」を意識してつくることだ、
つまり、「内」を意識するよりは、「外」を良く整備する方が実は有効だと云いきれる、

2000年に及ぶ人間の歴史でも、いまだ我々は「心」を思いのままにする術を見つけていない、
「心」は制御不能のものと早く諦めて、愉しいことがあれば「愉しい心」になるというシンプルな「環境の浸透圧」として割り切るべきだ、誰もが知っているというけれど、「失敗」の多くはそこにある、





自由でチャンスに溢れているが、剥き出しのタフさを露わにしていく21世紀では、よほど骨太で無頓着にしたたかなクリエイテイブパワーを持つ「心」でない限り、何らかの拠り所が必要だろう、多くの「心」はさ迷っている、


同じ様な状況が、英国の民主主義の黎明期にもあった、<今の時代は、むしろ現代社会の礎となった19世紀に似ている、1873年10月に端を発した金融パニックが、その後、65か月に及ぶデフレを生み出しているのも今とその姿が重なる、21世紀は時代の本質としては次の時代に繋ぐ「プチ礎」エイジ(copyright 2009 momotosedo R.H. ) だと思う、>そのとき、志を持つ「紳士」たちはどうしたか?

「倶楽部」をつくったのだ、同じ志をもつ仲間を募り自分たちの意見を強固にし、なんとか愉しく逞しく生き延びようとした、だから、いまだ英国の「クラブ」の本流にはポリテイカルなクラブが多い、

「クラブ」は或る意味で、社会と個人の間にある「ソフト ソサィエティ」(copyright 2009 momotosedo R.H. ) だと思う、ここでは、メンバーは老若に関係なくファーストネームで呼び合い、メンバー同士という「信頼感」で結ばれている、ただし、金ではなく誰でもがメンバーになれるわけではない、クラブの「質」と「格」はメンバー自身がつくっている、

当たり前だが、クラブそのものは「古い建物」と「その歴史」に過ぎなくて、今を支えているのはメンバーの「質」に他ならない、このことを良い「クラブ」はよく覚悟している、だからメンバー選びには慎重にならざるをえない、





毎年送られてくるクラブのメンバーリストの後ろには「affiliate club」の項があり、古いクラブは世界中のクラブと繋がっている、ひとつのクラブに入れば、事実上、メンバーは世界中のクラブを訪れ、その地のクラブのメンバーと交友し、旅の根城とすることができる、

しかし、クラブに「メンバーカード」に類するものはいっさい存在しない、ただ、所属クラブを告げるだけで済む、多分、裏ではクラブ同士の連絡確認が行われているのかもしれないが、紳士はそんなことを気にする必要はない、
考えてみれば、クラブの読書室に保管されている「キャンデイディト ブック」にはこれはクラブが存続する限り名前が残るだろうが、ついぞメンバー証明書などというものももらったことがない、

メンバーになったときもクラブの壁に張り紙がしてあったぐらいで、特別な認定式みたいなものもなく、メインダイニングのメンバーデイナーの席でいい加減なスピーチをしたぐらいだ、請求書は忘れずに送られてくるというのに、、、
生きている本人がいればそれが何よりの証明ということか、死んだ場合は、近しい仲間とコミテイーメンバーで「お別れの会」が催されるらしい、もし、それだけの人徳があればの話だが、、

(このaffiliate clubのリストを眺めていて興味深いのは、どんなに歴史の古い国でも「敗戦国」には「ジェントルメンズクラブ」は存在しないことだ、多分、かつてはあったはずなのだろうが、、、)



今どき、珍しいシステムだが、考えてみれば歴史上、どこでも「仲間づくり」は行われてきた、
ただ、我々は20世紀の中途半端な「ミーイズム」の解釈で去勢され仲間づくりのノウハウの充実と実行力を失い、或いは、それだけ求心力のあるコンテンツ(志)が「八方美人なマーケテイング」や「本物を知らない社会」によって生まれにくくなっていた、



質の高い、刺激的でワクワクする「ソフト ソサィエティ」は、タフな21世紀において本当の意味での「心」の「贅沢」といえるのかもしれない、










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# by momotosedo | 2009-11-04 03:26 | ■21st Century Style

9月29日(雨模様) 「ジャック ド バシェア」の口髭




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悦楽園記録ノォト
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/夜/ ジャック・ド・バシェアについて思い起こすと云うことは、70年代Parisの夜の「闇」みたいなものに触れるような気がする、それは「闇」ではあるが豪奢に魅惑をもって輝いていて、そして、間違いなく暗い「闇」に違いない、


同じようなダンデイに「アレックス・フォン・ローゼンバーグ」を思いつくが、バシェアがよりダンデイズムを匂わせるのは、カール・ラガーフェルドが彼のためにデザインし、特別に仕立てさせたベルエポックダンデイを彷彿とさせる一連の衣服と、モンテスキュー伯を思わせるバシェアのノーブルな容姿だろう、

事実、70年代のルウオモ ヴォーグのインタヴューで、ジャックはベルエポックの時代への郷愁とモンテスキュー伯爵への強いシンパシーを語っている、


伝サンローランを恋い焦がらせた稀代の美男貴族、サンローランだけでなく、ラガーフェルド、ケンゾー、などなど多くのデザイナーがファッションミューズとしてジャックの優雅な容姿にインスピレーションを求めた、


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/罪/人間が溺れる「大罪」には七つあるそうだが、70年代の巴里や倫敦の「そういう」人種たちはどこかそれに溺れることで「美」を覗こうと踠(もが)いているようにも見えた、

「美」の代償としての「罪」、、、それは、甘く言い訳めいていて、リキュールをかけるとグズグズと崩れていく角砂糖のように脆く、しかし紅茶に掻き混ぜると退屈な飲み物も少しは風味がたつ、時代としてはみんなホンの少し愉しんでみたかったのかもしれない、、、そういう雰囲気が当時の巴里の夜には確かにあった、、そして、「罪」というのはまたヒトを溺れさせるほどの「魅力」を潜ませてもいる、

思い返せばアノ時代、私たちは皆、少しばかりは「罪」を犯していた、

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/狂/ジャックのことについては、今ではウエブを探せば「ほぼ正しい」幾つかの記録を検索することができると思う、ジャックの「記録」で一番、悪名高いのはサンローランの人生を狂わせかねないほどだった「恋愛関係」だろう、


70年代の巴里の夜は、永遠のライバルといえるカールとサンローラン、それぞれを軸とした綺羅星のようなグループが毎夜、どこかで宴を催していて、そこに当時、「そういうことには鼻のきく」アンデイ・ウオーホールが足しげく巴里に通ってニューヨークのスノッブ連中を引き連れ合流しスノッブなレストランのテーブルは贅沢でどこかデカダンな輝きを放っていた、
そこは、「美」とか「エレガンス」というのが金科玉条のように掲げられた夜の王国だった、



或る意味で、その時代の夜が後に続く「パリファッション」の底流をつくっていったとも云える、そして、それは実に人間臭く、グッチがサンローランを買い取ったのに代表される今の「ブランドファッション」とは本質で違う、そういうことを日本のファッションジャーナリストで書く人は何故かいないが、サンローランがあれほど尊敬され、ラガーフェルドが何故あそこまで大御所然としていられるかはそのことを知らないと実感としては分からないと思う、


ラガーフェルドはジャックが死ぬまで変わらぬ愛情を誓い(ラガーフェルド自身はジャックとの「恋愛関係」を否定している)、世界中にある住居のひとつハンブルグにあるヘレニック様式のとりわけ美しいヴィラをジャックと自分の名をアナグラムで綴った「Jako」と名づけ、自身の名義で初めて売り出した香水のひとつにも同じ名を冠している、


70年代の巴里で気鋭のデザイナーとして文字通り肩で風を切っていたラガーフェルドに近づいたのはジャックの方からだったという、ジャックはこの時、22歳、すでに洗練された話術と優雅な物腰を身につけ否が応でも人目をひかざるを得ない文字通り眉目秀麗な美青年だった、



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/片目のジャック/テーブルにトランプをひろげて、あらためてカードの一枚、一枚を眺めているとダンデイな横顔を見せる「ジャック」の姿には、キングとクイーンの威厳の裏にある国を守らねばならぬという宿命とは異なる自由さと不安定さが潜んでいることに気ずく、

このカードは、ヒエラルキーとしては王と王女に次ぐ立場を与えられているが、活躍の舞台はもとより宮廷ではなく戦場なのだ、その使命は守ることより、攻め入ることにある、


「ジャック」のダンデイさは爛熟した宮廷の退屈に戦場で研ぎ澄まされた凛々しさを持ちこんだことにある、そして、忠誠を誓いながらもどこか腹の底ではその「退屈」を小馬鹿にしているような「裏切り」の表情をその愛用の剣のようにいつも隠し持っているようにも見える、


ジャック・ド・バシェアは、1989年にエイズで死んでいる、トランプの代わりに、プルーストを思わせる19世紀の倦んだ退屈の表情をみせてソファに寝そべるジャックをホックニーが描いた水彩画にその姿を残し、それはポスターとして今でも世界中で売られている、

けれど、この絵を見知っていても、ジャック・ド・バシェア本人を知る人は少ない、あれほど巴里の夜に異彩を放っていたジャックも、今やトランプの「ジャック」のように寡黙な記号として見過ごされている、


「ジャック・ド・バシェア」のことを語るのをパリのジャーナリズムが避けてきたのは、パリオートクチュール界のアイドルであるサンローランの運命を、結果的には変えてしまったジャックとのフェイタルな出口のない「恋愛関係」と、エレガントだがかなり複雑に螺子曲がったジャックのパーソナリテイに「理由」があったのだろう、


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/罰/罪を犯した者は、その罰を受けざるを得ない、

















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# by momotosedo | 2009-09-29 04:01 | ■「悦楽園記録ノォト」

9月14日(晴れ) NEXT 「The Privileged  100年素材 」  --本物の質感-- ‘蒼‘のシャンブレー



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Special Cotton
Chambray

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Genuine Classic ‘Blue‘ Chambray
Bespoke Shirts

の爽やかさを感じる頃になると蒼いシャンブレーのシャツを想い出す、夏の照りつける陽光から鈴虫の音が密かに聞こえる秋の夜への季節の移ろいは、少しセンチメンタルな甘い気分を残してなおさらこの蒼い色がいとおしい、


シャンブレーの蒼は、ポプリンともオクスフォードとも違う独特の精緻さと光沢を持っている、この独特の光沢を放つ蒼のシャンブレーを選りすぐった純粋なエジプト綿で丁寧に織りこめばどういうものになるのかをどうしても試したかった、しかし良い細く「長い」繊維のコットンでシャンブレーを織るのは思いのほか技術を要し、それでもなんとか秋の予感に間に合ったのは幸いだった、






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Genuine Classic ‘Blue‘ Chambray
Bespoke Shirts



昔からワークシャツにも用いられるシャンブレーは、最上の糸でタイトに織り込まれることで頑丈さとともに、まるで絹のような光沢を見せ、表面はドライでスムースだが、触るとすべらかで柔らかい、ちょっと次元の違う「シャンブレー」が生まれたと思う、



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シャンブレーは、経(たて)に色糸、緯(よこ)に白糸を織りこんでいって色をつくりだす、この経、緯の交差が独特の光沢と玉虫のような味のある「影」を生み出すのだが、案の定、この交差を見越して「望む色」を創り出すのは職人技に頼るしかない、


もとよりシャンブレーは単色ではないので、私が望む「蒼」がパント-ンの印刷された色見本のうえにあるはずもなく、ましてや職人にはロマンチックな想いの言葉の説明が届くはずもない、結局、自分で「色チップ」をつくることにした、

そこで、私は月夜の或る晩、柳橋に出かけることにした、何故に「柳橋」なのか、それはその路地の向こうの昔からの小じんまりとした料理屋のことを想いついたからだ、ソウソウ、小さいながらも中庭を囲んで奥には座敷がいくつかあり、入口にはカウンターと小さく区分けた畳の席がある、面白いのは、良い酒があって、洒落た突き出しや旬の小皿が出てくるがここのメインはトンカツなのだ、不思議な料理屋だが、それはともかくそのカウンターの上に永年使われ、よく洗われた藍染の暖簾がかかっていたはずだ、

私の目当ては、その藍染の暖簾のトころどころにかすれたトこの「蒼」だった、もとより、この店の主人、おかみさん、息子さんは私の奇矯さにはとっくに察っしがついているので、無事、その「蒼」を写し取り、記憶に止め、良い塩梅に酔っ払って帰ってきた、


翌日、書斎で絵の具を溶き、手こずるかと思いきや、ものの5分で「色チップ」は出来上がった、人生、そんなモンだ、アトは職人さんに任せるしかない、



Genuine Classic ‘Blue‘ Chambray
Bespoke Shirts



この「シャンブレー」を手こずらせたのは、「蒼」よりも意外に、長い繊維をシャンブレーに織るという技術的な工夫だった、色は申し分ない、


手こずっただけあって、非常に「精緻」なシャンブレーが出来上がったと思う、

シャープに美しい表情だが、タッチはカシミアのように柔らかい、

シャンブレーの「蒼」は、意外にツイードとも相性が良い、タウンスーツに合わせたときのクールな表情とは違う深い味わいを見せる、

このシャンブレーを織ったのも、秋の始まりの少しくだけたスポーツコート姿に深みを与えたかったからに他ならない、




そして、しっかりとした「考え」と「丁寧に仕立て」られたビスポークシャツは「一生モノ」だ、

私の経験からいえば、
「シャツは一生モノ」だという考えをもって、実際にその思いを具体的に仕立てに現わし、そういう考えでもってクライアントと「つきあってくれる」仕立て屋で、「おざなり」ではない真面目な仮縫いを経てつくられたシャツは、
愛情をもって「自分で」洗い、愛情深くアイロンをあて、愛用していけば、「生涯の心強い友」となる、


自分で洗えば、そう縮むこともない、上着の前ボタンのように「足」のついたしっかり丁寧なボタンつけは取れることもない、カフや襟の「汚れ」を気にするヒトもいるが、汚れてしまえば取り換えれば良いだけだ、


このシャンブレーは、多分、年を経るほど愛情が湧いてくると思う、貴方の生涯の友とならんことを願ってやまない、




「100年素材 The Privileged」
「--本物の質感-- ‘蒼‘のシャンブレー  ビスポークシャツ」 限定素材

(仮縫付き、フルハンド)

¥50,000-(税込み¥52,500-)


*僭越ながら完全予約制です、お越しになる際には、eメールかお電話での事前のご連絡をお願いしております、

問合せ先 e-mail bespoke@rikughi.co.jp
phone 03-3563-7556
telefax 03-3563-7558















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# by momotosedo | 2009-09-14 14:38 | ■100年素材

9月3日(秋なのか?)  東京おぼえ帖 4. 「still、、、my guitar gently weeps 」





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dreamsTearsぼえLament&Youぼえ

dreams、、tears、、lament、、& You、、TOKYOSONGS、、
copyright 2009 Ryuichi Hanakawa






新宿という街に私はノスタルジーを持っていないから、当時の街の様子をこと細かく思い出すことはできない、少なくとも高島屋なンて無い時代だから南口はまだ雑然としてバラック小屋の飲み屋なども残っていてその雨にさらされ黒ずんだ板きれの腐食や路地裏の暗い色が東京の戦後を想わせた、国鉄の南口に昇る錆びついた鉄の手すりのコンクリートの階段はいつでも黒くジットリ湿っていたことや、夜半を過ぎた風林会館ではその筋がワケありの女の子と話し込んでいたのを覚えている、
この街が毎晩、生っぽいドラマを生み続けていることは私でも分かったし、今、思えば、少しソレを見ておけば良かったかもしれないと、惜しい気もする、


安田は、私が「惜しい」と思うのと同じ様な意味で、この街に魅かれていたのだと思う、安田にはそういうところがあった、


4人で遊ぶときは、大概、平田がリーダーシップをとっていて、平田は親から金を引き出すのがよほど上手かったのか、金回りがいつも良かった、
表参道に小さいながらもアルフレックスの家具で飾った洒落た部屋を持っていて、赤いトライアンフを乗り回し、当時の遊びの先端なら何でも知っていた、平田は溜池や青山にあった秘密めいたバーでも常連扱いされていたから、今振り返れば、それを不思議だと思うべきだった、


安田は平田とは違う意味でどこか大人びた遊び人で、平田が好むスノッブな店よりはむしろ高田馬場の駅裏の焼き鳥のように豚のモツを焼く、「焼き‘豚(トン)‘屋」という風に場末のしかし唸るほど旨い穴場を知っていた、新宿で遊んでいる地方出の女の子とねんごろになってその身の上話を聞くのを好むようなところが安田にはあった、私には、安田に誘われて二人で出歩く夜の街がかえって新鮮だった、


東口の雑踏を避けて、安田とは京王プラザのコーヒーハウスで待ち合わせることにした、
















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# by momotosedo | 2009-09-03 01:54 | ■東京おぼえ帖