人気ブログランキング | 話題のタグを見る

6月27日(晴天)  朝湯



百歳堂日乗




MOMOTOSE
DO A DAY







深野さんのブログで、「朝湯」(ソウカ、朝風呂ではなく朝湯といわなきゃイケナカッタか。朝湯、朝酒、、、ですものネ。)のことを書かれていたので、子供の時分を思い出しました。

家の方でも「銭湯」と言っていましたネ。でも、あまり、銭湯には行った記憶がないンです。祖父の家が歩いても近かったもので、小さいときは毎晩、そっちに湯をもらいにいっていたと思います。その後、皆でお茶を飲んだりしていました。

風呂場は、割と広くて6畳ぐらいはありました。ジイさんは、ハイカラだったからタイル張りで洋風でした。でも湯船の下は釜なんです。要は、基本的には薪で炊く五右衛門風呂形式だと記憶しています。だから、入るときはスノコを入れていたように思います。湯船のかたちは、タイル貼りの細長い洋式でしたけれど。


あと、記憶しているのは、「ソーラーシステム」だったということですね。ソーラーシステムといっても、太陽電池ではなくて、屋根の上にビニール(?)をはった小さな保温プールみたいなのがあって、太陽の熱でお湯にして、それが蛇口から出たということですね。どういう仕組みになっていたかはわかりませんけれど。


引退後、ジイさんは、でも時々、銭湯に出かけていました。広くて良いと言って。それに、風呂好きな人でしたから。銭湯は好きな時に入れますからね。というのは、薪で炊くのは面倒なんですよ。炊くのは女中さんの仕事でしたから、いちいち頼むのに遠慮してたんでしょうね。


しばらくして、親父が洋風の風呂、つまりお湯がでてくるのを作りました。天井にシャワーがついているやつで、いまでいうレインシャワーですね。シャワーというのが、一般にはまだまだ珍しい時代でした。あの時分は、湯にはいる順番もきまっていて、家長優先でした。
随分、後になって長い旅行から帰ってきてジイさんの家に寝泊りしていたとき、帰った初日だけは、一番湯をもらっていました。
ずいぶんと昔の話です。
百歳堂日乗





# by momotosedo | 2008-06-28 01:23 | ■百歳堂 a day

6月26日 (雨後陰 寒さ覚える) ベルエポック



百歳堂日乗


 
読書は愉し
ベルエポック
とヨーロッパ
百歳堂 |  ベルエッポクとヨーロッパの上流社会







6月26日 (雨後陰 寒さ覚える) ベルエポック_f0178697_23475175.jpg今日は、朝からの雨で、それに少し冷えている。こんな時は、朝風呂にゆっくり浸かるのが一番。雨足をたしかめながら、湯船につかる。
こうして熱い湯につかっていると、本当は、別のものが飲みたくなるところだが、肝臓と今日一日のことを思いやって、冷やしたミネラルウオーターを飲むことにする。

今日の一冊は、「ベル エポック」(ウイリー ハース著 デッチェ書房 1967年)。この本は、ブダペストの古本屋で購入した。ブダペストは、良い古書店が数多くある、或いは、いまや「あった」という現状かもしれない。(自由経済になってから、次々に、本屋が銀行に変わると友人は嘆いていた。)ブダペストは、歴史のある街だし、社会主義の時代から(或いはそれゆえに)読書、書物を尊重する気風にある。すくなくとも10年ぐらい前までは、古書店の品揃えは素晴らしく、なかには仰々しく赤いロープがはられた奥の小部屋で稀刊本をオークションしている店もあった。


6月26日 (雨後陰 寒さ覚える) ベルエポック_f0178697_23414295.jpg
ハースはベルエポックの時代のヨーロッパを俯瞰して語っているので、一応の概要を知っている人には物足りないかもしれない、しかし、ひとつのムーブメントが波及していく過程と、やはりヨーロッパというのが、ひとつの地形でつながった地域なのだということをあらためて感じさせてくれる。

これは、島国生まれの我々には、分かっていてもなかなか実感できないことだと思う。そして、もうひとつ実感しにくいことは、そのヨーロッパ各国をつなぐものとして、上流階級、社交界があったということだ。ヨーロッパ各国は、上流社会、社交界によって有機的に交流していたのだ。とくに、第一次大戦までは。

それは、まるで花の受精を助ける蝶か蜂のように、彼らの「旅」と「社交」によって、文化、芸術、あるいはもっとビビッドな風俗は「輸入」、「輸出」され、それぞれの土地でその地なりの花を咲かせていった。
百歳堂日乗






# by momotosedo | 2008-06-26 23:43 | ■読書は愉し

6月24日(快晴也) 心字池



百歳堂日乗



MOMOTOSE
DO A DAY







6月24日(快晴也) 心字池_f0178697_21104942.jpg梅雨だから雨は続くが、谷間の晴れた日は意外に過ごしやすい。外を歩く分には風にふかれて気持ち良い。

今日は、陽気につられて日比谷公園まで足を伸ばす。心字池の松が良い。

ここから有楽町を通ってマロニエ通りを散歩してると、ここがマンハッタンの52丁目辺りといわれてもおかしくないくらい、いまの銀座はデイスプレイし尽くされようとしている。松屋の角の薬屋はブルガリのビルになり、カネボウはシャネルのメガショップになった。

そういう運命に銀座はあるのだろう。

西に比べて、東の銀座は、まだのんびりしている。新富あたりには小さな料亭や蕎麦屋がまだ残っている。新富町から築地あたりは、昔から食べ物屋が多い。築地本願寺の裏通りには、八百屋も残っていて前を通ると水蜜桃の甘い匂いがして、子供の時分のお盆を思い出す。



深野さんのブログです。神田育ちの深野さんが綺堂の昔語りとともに江戸っ子気質を語られていて気持ちが良いです。 リンクを貼ろうとしたのですが、やり方がわかりません(ゴメンナサイ)。コピーして使って下さい。

classico-italia.blog.so-net.ne.jp

百歳堂日乗



# by momotosedo | 2008-06-24 21:18 | ■百歳堂 a day

6月20日 涙雨  名人がみたい


百歳堂日乗




言葉をめぐる冒険
名人
がみたい
百歳堂 |  名人は私を再生してくれる






私は、結構、演歌好きかもしれない。女性の歌い手がよくて、それもCDなどではなく舞台が良い。

たしかに、演歌のある種の女性の歌い手、、美空ひばり、ちあきなおみ、都はるみ、、の舞台には、他の分野の名人と同じほど、いま見ておかなければと思わせるものがある。

私はできうるだけ、名人をみておきたい。

綺堂に明治の落語家についての随筆があって、そのなかに、当時の名人、円朝の「牡丹燈籠」を聞きにいく話がある。円朝は人情話の名手だった。

綺堂が13,4歳の頃。
その日は、昼から初秋の雨模様、口演がはじまる夕べには雨は冷たく降りしきっていた。出かけようとする綺堂少年に、こんな夜に怪談をききにいくのかえ、と母が諭す。少年は、すでに速記本で円朝の怪談をしっていたので多寡をくくっていたのだ。

ところが、円朝は名人だった。円朝が高座で話し出すと、一種の妖気さえ感じてきた。外には、降りしきる雨の音。顎のあたりから身体に冷たいものが走る。大勢の聴衆がいるはずなのに、自分ひとりが話の舞台の古家にとり残されたようで、何度も左右を見返らざるをえなかった。
口演が終わると、少年は一目散で暗い夜道を逃げ帰った。

名人は畏るべき。  だが一方で、綺堂はこうもいっている。しかし今、円朝がいれば、やはり時代を征服しただろうか、いや、「円朝は円朝の出ずべき時に出たのであって、円朝の出ずべからざる時に円朝は出ない。」、けだし、名言。

舞台を見る醍醐味は、名人の「出ずべき時」に出会う醍醐味ともいえよう。


涙バージョン
http://jp.youtube.com/watch?v=GLVWOHASpno&feature=related

パワーバージョン
http://jp.youtube.com/watch?v=ByjqYA7fSYE&feature=related

# by momotosedo | 2008-06-21 03:42 | ■言葉をめぐる冒険

6月18日  捕り物帖



 
読書は愉し
半七
と江戸
百歳堂 |  綺堂というアーカイブ







6月18日  捕り物帖_f0178697_4231267.jpg この頃、よく持ち歩いているのは岡本綺堂の「半七捕り物帖」(廣済堂出版 1972年)で、これも学生時代によく読んだ一冊だ。

半七捕り物帖は、日本初の捕り物帖といわれ、大正6年あたりから書かれている。日本の探偵小説ともいえる「捕り物帖」というかたちを発明したのが綺堂で、綺堂自身が明言しているようにシャーロックホームズを明らかに意識している。(英語に堪能だった綺堂は、丸善でコナンドイル選書をいち早く手に入れている。)

もうひとつ半七ものが興味深いのは、「私」(明治に新聞記者をしていたという設定で綺堂自身を思わせる)が、幕末に神田で岡っ引をつとめていた半七老人(いまは、赤坂で楽隠居を決め込んでいる)と知りあって、赤坂の隠居所を尋ねては老人にねだって、その思い出話を聞き出すという趣向になっている点で、毎回、この短い「枕」が時節時節の大正あたりの東京をよく描いていて楽しい、そしてこの「枕」から半七が手柄話を語りだして物語は「江戸」に移る。

つまり、構成としては、「江戸」に生きた人が体験としての江戸を語るわけで、これは作者としては生半可な「情報」では書けない、書かないという規制を設けるということで、綺堂が描く江戸は言葉もその時代の説明も確かで、しかも分かりやすい。そして、情緒がある。


半七ものは、ハデなストーリーで惹きつけるというものではない。その魅力は、この確かな描写と情緒で、それが夢中にさせる。

あだや、「捕り物帖」と軽視することなかれ、ここには、江戸言葉から社会のしくみ、風景、地形と一級の江戸のデーターベースが贅沢なまでに盛り込まれている。

学生時代、日本がヨク分からなかった私は、半七に夢中になって、綺堂の他の著作をたどっていくことにより、どんな参考書より「日本の近世」というものが分かった。

綺堂という作家は、日本の作家、知識人のなかでも確かなコンテンツと気概をもった一人だと思う。







# by momotosedo | 2008-06-19 04:24 | ■読書は愉し