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1月21日(夕べから小雨) 「その『美』というのは、ある種の『殺人者』だと、私は思っています。」






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”たとえば、茶席では初座を終えて、後座の席に初めて一輪だけ花が入るのですが、茶席のにじりロから見上げたときに、清らかな花が一輪、床の間の中心に打ち入れられている。それが心の真ん中に飛び込んできたとき、一輪の花でずぱっと心の扉が切り開かれ、死んだともわからないほどに殺される。殺されることが、美として生きたことになる。血も流さず、まるで何ごともなく、清らかなものを見たと思えてしまうほどの、刺し傷をひとつも残さない花、それが千利休が教えた詫び茶の湯の「一輪の花」なんです。”
 (花人 川瀬 敏郎さんのHPから、写真も)


さて、 「美」というのはやっかいだ、
例えばレベル壱の「美意識」を持っている私が、或る日、より高みにあるレベル弐の「美」に出会った瞬間、私はもうレベル壱では満足できなくなる、しかも、世の中には、より高みのレベル参の「美」もあって、それを知るともはや、レベル壱にも弐にも戻れない、

では、当初からレベル参の美意識が持てるかというと、よほどの素養、環境が整わないかぎり、やはり壱から「美」の修養は始まる、しかも、いったん始めると、秀でた人ほど際限のないより高みの「美」を見出していく、さても「美」というのはやっかいだ、 



唯一、「近道」があるとすれば、それは「師」につくことだろう、先達の発見の大系に身を委ねることだろう、しかし、ここでお話したいのは「異端」の美についてである、


ある種の人間が、独自の「発見」を積み重ねるにしたがって、「確信」を持ち始める、
「確信」の破片は繋ぎ合わされていき、小さな「体系」を形作っていく、そうして、いつしか「正統」に対する自らの「異端」を悟っていく、、、

そう話していて、ふと思ったのは、今の世の中「異端」と呼べるほどの根性のあるヤツがどれほどこの21世紀の太陽の下で蠢いていて、或いは沸々としながら繭のなかで夢にとり憑かれているのか、




私にはこうも思われるのだ、かつて「美」は民族の血統のなかにその源泉を求め、世界の「美の歴史」というのは各民族の地政学的勢力図に左右されながら重心をかえていった、
言い換えれば、民族力を背景とした「美」のパワーゲームだ、往々にして民族力に乏しい「美」は、或る一地域の「美」として限定される、


これは、ヨーロッパでの現代日本画の俯瞰的な展覧会を彼の地の美術館と交渉していたときの私の経験からも実感できる、いまから24~25年前の当時のヨーロッパでは、日本画はまだまだ「装飾美術」という捉え方で、「ファインアート」とは認められていなかった、つまり、日本「現代」美術もまた西洋美術のテクストの中でしか価値づけされなかった、

あれから数十年を経て今はどうなのかは分からないが、いまだ日本美術は「オリエンタル美術」のひとつであり、中国美術との対比で語られやすいと私には思えて仕方がない、
もう、そろそろウルトラフラットな21世紀にふさわしい「美」が湧き出してきていい、




しかし、国境や民族という枠を越えて世界を震えさせる「美」は、血統の代わりに「個の力」という強い背骨が必要不可欠で、その背骨の強さは、なにより「生き方」によって鍛えられる、リスキーな「異端としての生き方」をまず自らが怖がってしまう土壌に豊作を期待するのは無理としても、
かえって21世紀は「異端の美」が、血統に根ざす民族の美よりもより普遍性を持ちえる時代だと確信できる、


いまは、不思議なことに「異端」のなかにこそ真実があるように思えて仕方がない、
私の思い込みかもしれないが、いま世界がそう直感しているように感ずる、























copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa
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by momotosedo | 2009-01-21 20:05 | ■21st Century Style

1月13日   百歳堂醍研究室  「100年素材 エキゾチックスウェード」 






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かれこれ、もう20年近く酷使しているカントリーシューズである、どこが「カントリースタイル」かというと、ごく古風なラスト(私は、デザインそのものよりも、ラストのつくり方でカントリースタイルとタウンスタイルを分けている、チゼルトウのカントリーシューズなんてモノはかえって恥ずかしい、)とこの「素材」にある、もちろん都会のジャングルでも愛用するからスタイルはむしろシンプルな「ワンピース」にしてある、


この「素材」の味わいは、不定形に刻まれた傷跡のような天然の模様とその質感にある、これがツイードとか、クラッシックフラノには抜群に相性がヨロシい、イングリッシュドレープの気取ったタウンスーツにも、これを合わせればチョット年季のはいった「着慣れた」風にもみえて重宝する、布地の質感と相性が良いのだ、

しかも、イージケアですこぶる頑丈、多分、世紀を耐えて生き続けてくれることだろう、稀にみる「100年素材」(copyright 2009 momotosedo R.H.)なのだ、

スタッグやディアスキン、リバースカーフよりも表情豊かな深い「」をもっているこれほど布と相性の良い素材を、何故みんなもっと活用しないのか不思議でならない、








2009年の百歳堂醍研究室のテーマのひとつとして、「オーガニック」とともに選んだ100年素材」ということをズッと研究している、それは単に耐久性に優れているだけでなく、世紀を越えて「愛せる」ものでなければいけないはずだ、当たり前だが、格好の悪い「愛せない」ものはただジャマなだけで終わる、


そして、これも当たり前だが、同じ「素材」でも明らかに「個体差」がある、優れたシルク「ディピィオーニ」は、天然の撚糸として美しく丈夫でかつウーステッドより優雅なドレープを生み出す「100年素材」だが、全ての「ディピィオーニ」がそうではない、そこには、優れたものとそうでないものがある、むしろ天然であるがゆえに同じ時代のものでも個体差が激しい、


「100年素材」ということを突き詰めていくと、案外、この「個体差の違い」というのが大きい、考えれば当たり前のことで、何をいまさらと思いがちだが、はたして、我々は、この「個体差」の「違い」ということにしばらく忠実であったろうか、


「忠実」という意味の中には、その「違い」を確かに見抜ける「」と、それを正しく伝えるという「気構え」がある、


歳を重ねて有難いなあと思うのは、知らない間に何十年と「モニター活動」をしていたことで、それが今生きている、我侭に「ビスポーク生活」をし続けていて良かった、何が結局幸いするか分からない、「眼」には「体験」の積み重ねがまさしく必要で、私は「時代」にも恵まれた、「気構え」というのは、今の世の中では、多くの人がそうする「勇気」を失っている、

思えば、我々は永らく、マーケテイングとか、「評論」とかいう、「勇気」を持たない、中途半端な「」の犠牲になってきた、









そして、「100年素材」を探っていくなかで、再発見したのが、「エキゾチック スウェード(私が勝手にそう読んでいるだけで、こういう言葉はない、でも何となくイメージしやすいからそう呼ぼう、 copyright 2009 momotosedo R.H.)である、 

「エキゾチック」といえば、クロコやリザード、オーストリッチを思い浮かべるが、「スウェード」に似た質感のエキゾチックがある、
検証してみると、それらは、雨や汚れに強く、ブラッシュイングを丹念に行うだけで味わい深い独特の表情を半永久的に保つことが分かる、

むしろ、リバースカーフなどよりは数倍、頑丈で、或る意味でマインド的にカジュアルダウンした現代にはよりふさわしい表情をもっている、永く愛せる素材だと思う、


これは、4年前に出会った60年代からの「エキゾチック スキン」が山積みされている「宝庫」をさ迷っていて私は「確信」した、そこには、いまや捕獲禁止となった「海亀」や今とは違うなめしの「クロコ」、色とりどりの極めて質感の良い「リングとかげ」、「アリクイ」、「蓑虫」などは言うに及ばず、「聞いたこともない」動物の皮が所狭しと保存されていて、さながらマッドサイエンティストの異常に膨らんだ標本庫のようだった、

私が愛用しているカントリーシューズの「素材」は、実は「エレファント」である、エレファントだけでなく、「アザラシ」、「シャークスキン」、など「エキゾチック スウェード」のバリエーションは豊富にある、

そして、これらは「布」と極めて相性が良い、
クラッシックスーツ、トラウザーズは「布」で出来ている、私は、永い間それぞれのスーツに合う「靴」を探し求めていた、突き詰めていくと、それは靴の「デザイン」ではなく「質感」に決め手があることに辿り着く、ボックスカーフで仕上げられた「オックスフォード」は確かに美しいが、それだけではない「未知」の「愉しみ」がここにある、


そして、より奥行きの深い「着こなし」のその先の次元が貴方を待っている
ツイードのプレイドスーツに、60年代になめされた古色の「ビンテージ シャークスゥエード」で仕立てられた「W」セミブローグ、本格的なキャバリーツイルのトラウザーズに「エレファント」のサイドエラステイック、

或いは、サマーフランネルのホワイトトラウザーズにバターのように柔らかいベージュの「アザラシ」のローファー、靴下はリネンの薄いブラウンが良いだろう、

そして、「エキゾチック スゥエード」は、そのソフトな質感から「布」に対しても優しい、トラウザーズを痛めにくいのだ、ささやかながら、靴クリームを使わない「エキゾチック スゥエード」はエコでもある、グラサージュの呪縛から解かれることは少しは時間の余裕を取り戻せるかもしれない、









       









copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

  

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by momotosedo | 2009-01-13 23:51 | ■100年素材

1月7日(晴天、今日は友人と久しぶりに会う)  「、、Ooh La La」





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(ちなみに、このブログもこれでちょうど100タイトルになります、ただし、数えると99タイトルしか見当たらないはずです、あと1タイトルは非公開にしてあって、ランダムに現れることになっています、フ、フ、フ、、百歳堂)


70年代の、ロンドン、パリ、そしてニューヨーク、これはホントに面白かった、

生まれていなかった、或いはそこにいなかった人とは、多分20世紀後半の捉え方が実感として違うと思う、


音楽や「ファッション」、「グラム」や「ヒッピー」という言葉で繰り返し語られる表層とは別に、そこには、あまり取り上げられない、或いは説明しようにもできない、時代のデイテイールと真実がある、悪いけれど体験の真実は言葉では遺伝させようがない、シンプルに「愉しかった」と云うしかなく、それだけに私のなかにはいまもあの時代の「DNA」 がこびり付くように存在している、




そのなかで、私的な経験で思い出深いのは「Bright Young Peple」と呼ばれた、上流階級(貴族階級)の若者の存在だ、彼らは、生まれの良さと「金」に恵まれ、そして時代のテイストを存分に享受していて、クリエイテイブに時代を駆け抜けていった、

街には、こうした輝くエリートを対象とした店が生まれて、このブログでも紹介した「グラニー テイクス ア トリップ」なんかも、そのひとつだ、ジャーミンストリートでもレデイメイドのジャケットなら40~50ポンドで買えたときに、グラニーのそれは、軽く200~300ポンドした、

あまりに高価な「キッチュ」だったそれらは、確かにポップなくせにハンドテイラードだったり、極めて質の良い凝った生地で仕立てられていて、それまでに無かった「クオリテイー」と時代感覚を併せ持つもので、ためらいなく「クリエイテイブ」と呼べるものだった、こうしたモノが出現し始めるのは、この時代からだろう、

ロンドンに、各時代に突然出現するハイエンドで思い切り「クリエイテイブ」な店を支えたのは、この「Bright Young Peple」だった、彼らの幾人かは、もの凄くセンスが良く、着こなしが上手かった、そして、この層がいたおかげで「ソサイエテイー」も活気づいて、面白かった、
彼らが催すパーテイは、実に刺激的だった、パーテイだけでなく、基本的には「職業」を持たない彼らとの日々のつきあいは「贅沢な退屈」とともに「冒険」に満ち溢れていた、




当時のそうした「人種」のなかで、忘れ難い存在は、4代目オラモア・ブラウン男爵の息子、タラ・ブラウンだろう、男爵は貴族院のメンバーで、男爵の妻、タラの母親はビールで有名な「ギネス」の相続人、「Golden Guiness Girls(輝けるギネス三姉妹)」のひとり、ウナー・ギネスだった、

タラは、キングスロードにあった「フォスター&タラ」というグラニーに匹敵するエッジーなブテイックの創立者でもあった、いわゆるyoung millionaireのひとりで、25歳の誕生日には当時で100万ポンドを越える資産を相続する予定だった、ストーンズのミックジャガーやブライアン・ジョーンズ、ゲティ財閥のジョン・ポール・ゲティらとも交友があった、タラがその名を残したのは、その華やか過ぎるライフスタイルとともに、21歳で流れ星のように煌く短い生涯を終えたその瞬間が、イコニックなサージェントペッパーズの「A Day in the Life」にジョン・レノンによって活写されて、いまも時折、流れてくるからだろう、


He blew his mind out in a car,
He didn't notice that the lights had changed,
A crowd of people stood and stared,
They'd seen his face before,
Nobody was really sure
If he was from the House of Lords.



そう、12月の或る日、タラは愛車ロータスエランに当時のトップモデルでガールフレンドのスキ・ポティエーを伴ってサウスケンジントンを170キロの猛スピードで走り抜けていた、一説にはドラッグをやっていたともいわれるが定かではない、レッドクリフの交差点で信号が変わったのに気がつかなかったタラのロータスは、そのままローリーにクラッシュして、大破した、

翌日未明、タラはスキと別れた妻(18歳のときに結婚している)と二人の子供を残してあっけなく夜空の星になった、スキは奇跡的に命を取り留め、その後ストーンズのブライアン・ジョーズと、彼の謎の死まで一緒に暮らしている、




調べてみると「Bright Young Peple」という言葉は、セシル・ビートンがオクスフォードで奇妙な服装をした芸術家グループをつくり始めたころに、若い才能に溢れた、しかし奇妙な若者たちを指して使われ始めたという、
時代の流れ方のせいで、いまや、ロンドンの街を歩いても、そんな「Young Peple」がいるはずもなく、Bright な若い世代自身によるBrightでクリエイテイブで、フレッシュで強い我侭を持つ店もなくなった、


明らかに「パンク」とは違う、あの時代の良質な「心」の部分はいま必要な気もするし、それが言葉に置き換えられるのなら「宝石」のようなものになるのではと魅かれもするが、それを伝えるのは言葉ではないのだろう、
いまやみんな、どうしても演繹的な思考から抜け出せないロスを重ねる時代にいる、意外に人生は短いよ、









copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2009-01-07 00:09 | ■百歳堂 a day

2009年1月4日(冬晴れ、あけましておめでとうございます、) 「チック、タック、、、」 






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たぶん、90年代ぐらいからリストウオッチをしなくなった、

旅に明け暮れていたので、それまではワールドタイムやデュオフェイスをその必要もあって古の名品から最新鋭まで機械に拘って集めたりもしていた、これは、これで納得できるものを探し出すのに愉しみがあった、
90年代にはいって、モバイルツールに完璧な時計機能がつきはじめて、どう考えても必要がなくなったので、リストウオッチは「コレクション」となって眠りについている、



リストウオッチを外してみると、シャツをつくるときカフスを時計に合わせるメンドウもなくなり、気にせず手も洗えるのでサッパリしている、



といって、時計を「しない」わけじゃない、旅の生活にホンの少し自分なりの彩りをつけるために、プラチナの薄い懐中時計を鎖に繋いでトラウザーズのウオッチポケットからフォブが揺れるチェーンを覗かせるのは優雅で好きだし、
小さく、かつ健気に精巧なトラベルウオッチをベッドサイドに置いて、デジタルじゃない、ゆったりした旅の時間を自分に言い聞かせる、


良い細かく班の揃ったリザードを張った(驚くのは良く見ても継ぎ目がひとつもなく、靴のように「釣り込まれ」ている)この小さな時間機械は、ケースを開けるたびにゼンマイが巻かれる「自動式」になっていて、後ろの小さな板を開くと自立する、
手のひらに納まるほどのコロンとした小ささが愛らしい、

これは、ムーンフェイスのトリプルカレンダーになっているのが珍しい、

ヨーロッパでは、この「トラベルウオッチ」専門のコレクターもいるほどで、
20年代~30年代には、モバードだけでなく、カルテイエなどもクロコや色鮮やかなガルーシアを張ったもの、ゴールドにエナメル細工を施した凝った意匠のものをつくっていて、蒐集したくなる気持ちは良くわかる、




こうした古の「時間機械」に魅かれるのは、時間という実は曖昧なものを精密な機械世界に忍ばせながら、その美しく凝った細工や、見ほれるほどの精巧な仕掛けが、しばし「時」をノスタルジックな浪漫的なものとして見せてくれるからかも知れない、



その一方で私のモバイルには、

21世紀を自分なりに捉えてみようと立ち上げた「百歳堂醍研究室」のおかげで、世界のあちこちの友人、知人からニュースには載ることのない「現実」と隠れていた「革新」が、もの凄い勢いで送られてくる、



古の機械が思い出させてくれる浪漫的な「時」と、モバイルにアップデイトされるスピード感溢れる刺激的な「時」、2009年から「時」の概念がもう一度大きく変わってきそうな気がする、

それは例えばこういうことだ、セントルイス連銀のデーターによると、ドルの発行量は2008年の9月から11月末まで、たったの3ヶ月でそれまでの200年分を越える発行高になっている、
この3ヶ月でドルの発行高は1.5T$に増え、データーは11月末までだが、多分12月末のデーターでは1.6T$を越しているはずだ、
いままで200年かかって800B$になったことを思うと、たったの3ヶ月で、200年分、つまり、2400ヶ月分をたった3ヶ月で、すなわち800ヶ月分をたった1ヶ月で発行したことになる、
これを異常といわずして何といおう、
いまや、猛スピードで「時間」は加速している、 




元旦そうそう「メールマガジン」を発送して思ったのは、「自分らしい時間」をいかに「生物」としての限られた時間内に発見できるかということだった、









copyright 2009 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa




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by momotosedo | 2009-01-04 15:26 | ■百歳堂 a day