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9月25日(秋のような、、、) グローバリーゼーションとスタイル  その8  テーラリングの創造力3




百歳堂日乗
ART of Tailoring  
HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングの創造力

ART of Tailoring



ART(=意味のあるもの)とrubbish(=ゴミ、くず、意味のないもの)、これがお爺さんの口癖であり、テーラリングや出来上がったスーツを評価する、たった二つの言葉だった、



● 



お爺さんは、私が頼んだあの「ゲーリークーパーの6ボタンダブルのスーツ」の作成過程を見せてくれることになった 





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by momotosedo | 2008-09-25 15:42 | ■テーラリングの旅

9月22日(秋雨のち陰) グローバリーゼーションとスタイル  その7  テーラリングの創造力2



百歳堂日乗
ART of Tailoring
HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングの創造力

ART of Tailoring

このお爺さんの、スタイルに関する知識は膨大なものだった、それは、タウンスーツの数々、カントリスーツ、ブレザー、バイウイングジャケット、ブリーチーズ、ハンテイングピンクと呼ばれる正式な狐狩りの衣装などのスポーツクローズ、またそれに合わせる様々なウエストコート、タウンコート、スポーツコート、テイル、スペシャルオケイジョンと呼ばれるフォーマル、までを網羅する、

「網羅」と一言でいっても、例えばタウンコートでも、チェスターフィールド、カバートコート、ポロコート、などはいうまでなく、呼び名は知らないが、ロンドンでは30年代に一般的だったというアルスターカラーのダブル前に背にウエストバンドがついたものなど、そのひとつひとつのバリエーションは数限りなくあり、若い私には、見たこともないスタイルが随分とあった、しかも、これに、それぞれのスタイルにあい相応しい生地という知識もある、

70年代後半の時点で、すでにお爺さんは「いまのテーラーは、テーラーとしてのクラッシックなコレクトスタイル(正しいスタイル、デイテール)の知識がない」と言い切って、迷いがなかった、

昔の英国では、サビルローのテーラーのことを、皮肉と尊敬をこめて「服の番人」と呼んでいたらしいが、その意味が実感として分かった、この人の頭と手には、あらゆるオケイジョン、あらゆるスタイル、あらゆる時代の服の「コレクト(正しい)」なバランスとデイテールのさまざまが、新鮮な血液として勢い良く巡っている。いや、もはや「全身テーラー」といえる、


この「コレクトスタイル」というのは、「あたりさわりのない服」というのとは違う、
スウインギングロンドンの洗礼をうけた当時の私でも、クラッシックな服というのは、時にこんなにアバンギャルドなのかと思うほど、スタイルによってはスラントは急角度で切られ、コートは見たことも無い凝ったデイテールがあり、逆に「魅惑的」なのだ、カっこ良いのだ、

考えてみれば、古い写真をみてもわかるように、少なくとも50年代以前の方が、服のバリエーションが今よりも多岐にわたっている、フォーマルが簡略化されたように、いつのまにか男のスーツも「2ボタンか3つボタンのフラップポケット」と退化、簡略化されて私にはその「魅惑」を失ったように思える、それは時代の要請だけでなく、こうした「コレクトスタイル」を自在に操るテーラーがいなくなったせいにもあるように思えて仕方がない、


ART of Tailoring


「コレクトスタイル」とともに、お爺さんの拘りに「アート」がある、

例えば、チャコールグレイのピークドラペル、2つボタンのシングルスーツ3つ揃いの、ラペルの上衿は、首元から、かなり、目を奪われるほど、抉れるほどの急カーブを描いて下衿に繋がっている、スーツ全体のバランスは、やや広めの肩、絞ったウエスト(ただし、この場合は、そう極端ではない)、と文字通りクラッシックなイングリッシュドレープで、チャコールグレイという地味な色もあり、上品な服という印象なのだが、そばで話していると、その衿のカーブに魅きつけられるのだ、それは、こちらが着ている服に引け目を感じるというほど、魅力的なのだ、変わっているのだが、クラッシックと認めてしまう力があって、単なる「変わったデイテール」ではなく、その服をそして着ている本人を「尊敬」してしまうのだ、、、言わんとするところが、うまく伝わるだろうか、

それが、お爺さんがいうところの「ART アート」なのだ、
                                                                                                            
(つづく)



ART of Tailoring












copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa



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by momotosedo | 2008-09-22 23:58 | ■テーラリングの旅

9月20日(台風は去ったのか)  グロバリーゼーションとスタイル その6 テーラリングの創造力


百歳堂日乗



HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングの創造力



テーラリングの創造力(クリエイテイブ)」、これは説明しづらい、説明し出すと誤解を多く含んでしまうテーマでもある、そして本当は、語らない方が良いとさえ思うのだが、一方で、一度、整理しておきたいとも思うところもあり、とりあえず連休3日でゆっくり整理というつもりで挑戦してみよう、

このチャレンジ精神のきっかけになったのは、クライアントのA氏との電話でのおしゃべりだった、A氏はロンドンから戻ったばかりで、以前から何着かつくっているソフトショルダーで有名だったサビルローの或るテーラーにスーツを引き取りに行ったところ、「もう全然、違うんですよ、それにソフトでも何でもない、残念でした」、それで注文も止めてきたということだった、(これは、あくまで個人的な感想であることを、その店の名誉のために特記しておかなければならない、)

これは、分かる気がする、私も同様の経験を繰り返してきたから、ただし、A氏も私もテーラリングへの拘りはかなりマニアックといえるのはおことわりしておいた方が良いと思う、

話をすすめる前に、「テーラリング」という言葉の私がここで意味するところ、言葉の厳密な意味では、様々な解釈があり、それらは各人の語り方で全て正しいといえるが、ここでは、すべてのことを含んでいる、つまりパターン、カット(裁断)、縫い、など、そして「考え方」、

そして、ここでいう「テーラリング」はあくまでビスポークでのことで、工場生産の既製服、あるいは「パターン オーダー」と混同されてしまうと困る、(パターンオーダーは、オーダーという言葉がついているのが混乱を招くが、工場生産である限り既製服の一種だと思う。システムの構造上、そう割り切って考えた方が良いようにも思う、
パターンオーダーについては、幾人かのクライアントの方からも度々意見を求められるけれど、私が、或いはアトリエとして、目指している方向とは180度以上違いすぎるので、自分では着ないだろうというしかない、)


さて、単なる技術論に終わらせないために(細かい技術的なことは別に詳しい文献があるはずで、ここではそれをめざしていない、それに、それは膨大なものになってしまう)「私」がテーラリングに拘り出した、その「進化過程」を整理してみよう、上手く整理できるかな、


 出発点の「私」 -------ひと言で言えば、「カっこいい、質の良いスーツが欲しい。」(基本的には、いまも変わらない)、このとき、大概各人によって、ある種のイメージがあるはずで、例えば、ケーリー・グラントが「汚名」で着ていた、チョークストライプのダブルブレステッドと同じものが欲しいとか、、、私の場合は、20代の初々しいゲーリー・クーパーが着ていた完璧な6ボタンダブルのスーツの写真だった、
ゲーリー・クーパーは、日本では、その代表作「OK牧場の決闘」とかの西部劇の印象が強いことも災いしてダンデイなイメージが薄いが、20代、30代の頃の姿は、実に仕立ての良いクラッシックなスーツを着こなしていて、なにより、長身痩躯のスタイルの良さ、後年、自身でも絵を描くのを趣味にしているぐらいで、品の良さがあった、


その、写真を携えて20代前半の私は、クーパーが頼んでいたと言うサビルローのテーラーへと赴いた、なじみの店ではなく、クーパーが実際に頼んでいたという白い壁に青いテントが印象的なその店を選んだのは、その方が望むものが得られるように思えたからだ、


 「私」の最初の挫折 ------ところが、テーラーで、仮縫いを重ねるごとに、私は不安になってくる、悪くはないのだが、思っていたのとは少し違う、ただ、どこが、どう違うのかは明確に注文できなかった
案の定、できあがったスーツは、ゲーリー・クーパーのとは「違う」、よくできたスーツなのだが、「雰囲気」が違うのだ、


そこで、私は、どう違うのかを、自分なりに解明しようとする、、、まるで、数学の難問を解くように、私は、クーパーの写真に定規をあて、ラペルの幅、ボタン位置、ウエスト位置などを計って、全体のバランスの中での比を割り出していった、いま思えば恥ずかしくなる、、、そして、これを実際に出来上がった私のスーツの上着と比較してみた、それは、確かに違う部分もあるのだが、そう大幅に違うというものでもない、、、

とりあえず、私は、この「研究成果」をもとにして、もう一着つくってみることにした、しかし、専門家の意見を聞くべきだと思って、こんどは、なじみのサビルローのテーラーにいくことにした、



 もう一歩を踏み出した「私」 --------なんとなく、バツの悪い思いをしながら、私はなじみのテーラー氏にコトの次第を説明した、
テーラー氏の口から出てきた言葉は意外なものだった、これは、「今」のサビルローのスタイルとは違うのですよ、カットの「考え方」が違うんです、カットが変われば縫いの考え方も違ってきます、カットが変わって、コートメーカーが縫いづらくなるということもありますからね、私たちはチームワークでやっていますが、縫いを管理するということは結構大変なんです、



さて、ここで「カット(裁断)」という言葉と、「縫う」という言葉に私は出会う。そして、英国では、それが分業されていることと、本来、カッターが縫いを「管理」しているということ、

そして、「カット(裁断)」と「縫い」は密接につながり、両方とも優れていれば問題はないのだが、極端にいうと、「カット(裁断)、パターン」がひどいと、縫えなくなる、或いは矛盾が出てきてしまう、これは、既製服を扱うメーカーや工場では冗談ではなくあるらしい、或いは、工場で縫製できるという限界でのパターンがつくられる、

ビスポークでの「カット」と「縫い」は、スタイルをつくりあげるということと、フィッテイング、或いは補正という2面がある、

このことに詳しく触れる前に、分業ではなく丸縫い(裁断、縫いなどすべてをひとりのテーラーが行う)という意味について述べておこう、

先ず、丸縫いをするテーラーが

▼ 採寸をし、クライアントと話しながら、そこで得た、補正の問題とスタイルの考え方をもとに

▼ クライアントごとに、手でパターンを作成し、

▼ 裁断し仮縫いを作る、

▼ 仮縫いは場合によって何回が繰り返され、クライアントの意向を聞きながら、それはボデイとスタイルに合わせて修正されていく

▼ また、その何回かの仮縫いで、カットの修正だけでなく、そこに現れない「縫い」についてのプランが明確にされていく、つまり、例えば、胸のボリューム、上着とズボンのつながりを「意識」して、上着の裾を「丸め込む」ように縫っていくなどということは、型紙には現れない縫いの「考え」なのだ、実は、この「縫いの考え(アイロンワークも含め)」というのは良いスーツをつくるためにはたくさんある、

▼ 場合によっては、「中縫い」でのチェックを行い、再度、修正され、また「考え」を再認識する
中縫いは、仮縫いでは表現できない仕上がりの姿を、本縫いの途中で、実際に目で確認するためで、ただ、この時点で変更できる箇所は限られる


これは、云うまでもなく、ひとつの「流れ」である

例えば、これを、Aさん(採寸)、Bさん(仮縫い)、Cさん(型紙作成)、Dさん(裁断)、Eさん(上着の縫い)、Fさん(ズボンの縫い)、Gさん(仕上げ)、、、、という複数の人間がかかわる場合、或いは、C(型紙作成、CAD)、D(裁断 機械)、、、ということも現在では考えられる、、、もっと云えば、Dさん以下は別の国にいるということだってありうる、、、

これは、「伝言ゲーム」みたいなもので、チームワークのケーススタデイとしては興味深くもあるが、充分、実社会でその苦労を見てきた私は、正直、あまり考えたくない、、、それに、クラッシックな良いスーツをつくるということは、クライアントにとって、そしてそれを作る側にとっても、愉しい体験に結実させるべきもので、こうした分業化を進めていくという姿勢は何かマズイものを感じる、

ひとりの優秀なテーラーが、すべてをひとりで行うということは、
採寸で出会ったクライアントの印象から始まって、当然ながら、カットは自分で縫うということを前提として裁断され、縫いは仮縫いで見出された補正、或いは胸のボリュームからウエストへの絞りという、型紙では現れないその服に望まれる美しくつながるラインの流れをつくるためにすすめられる、、、

「Art of Tailoring」、仕立て屋の芸術というものが生まれるとすれば、こうした流れのなかでしか適わないような気がするのは充分、納得して頂けるものと思う、


さて、ここで、丸縫いするからすべてが解決するかというと、それだけでなく、当然、そこにはテーラーとしての資質と気構えの「優劣」があり、また、スタイリッシュな顧客にとっては、そのテーラーの「考えかた」というのが大切だと、いうことに私は気づいていく、、、


 最初の目から鱗の「私」 ---------なじみのテーラー氏は、実に良い人(後年、一緒に家族でピクニック?に行く仲にまでなる、)で、それならばということで、一人のお爺さんを紹介してくれた、
このお爺さんは、多分、テーラー氏の先生的な存在だったと思う、当時、ごく限られたお客を相手にパーソナルテーラーを営んでいた、お爺さん、職人さんという言葉から想像していたイメージと違って、長身でスタイルも良く、何より着ているスーツが見たことないほどスタイリッシュだった、
後年、冬枯れのロンドンを生地を見るために問屋まで一緒に歩いたときに着ていた、しっかり織られたハイツイストの生地で仕立てた長めのカバートコート姿も、いまだに映像として記憶に焼き付いている、

ヨーロッパを駆け巡る或る程度の人たちの間では、「紳士服はロンドンで仕立てるべきだ、なぜなら英国の服は、フランスでもイタリアでもどの国でも尊敬されるから」、という言葉を私の時代には、よく耳にしたものだったが、

それは、単に伝統的なクラッシックな服だから文句がつかない程度に私は思っていた、ところが、その言葉の言わんとするところが、お爺さんの服と、その服づくりを知ることで了解できた、

それは、まさに辺りを払う「威厳」(これは、伝えようとする意味を正確に現していない、)があり、なにしろ「かっこ良い」のだ、20代の私が、シンプルにその時感じたのは、男のかっこよさ、ある種のスノッブさ、オーラーともいえるものだと思う、

なるほど、イタリアのテーラーがサビルローに憧れてやまないのも分かる、この服の前では、クラシコ何とかも、フレンチ何とやらも、子供じみて見える、


このお爺さんとの出会いは、私には衝撃だった、それを、少し、順を追って説明してみよう、




このお爺さんは、テーラー協会の先生的な存在で、サビルローのテーラーが技術的に迷ったときなどは、電話をかけてアドバイスを求めるという存在だった、
なにしろ、出会った最初の言葉が「I`m different、、」(私は他とは違うよ、、)だったから、相当に自信もあり、一家言あるのだなと思った、

 お爺さんがいうには、今のサビルローはクライアントごとに、パターンをたしかに引くのだが、多くのテーラーのそれは、ハウススタイルと呼ばれる「ひとつのモデル」をもとに割りだされたものにすぎない、
少しわかりにくい、
つまり、パーソナルパターンは採寸時に読み取った、補正と、スタイルという入念な考えのもとにゼロからスタートして設計されるべきものだが、いまのテーラーは、その入念な考えというものを、仮縫いに持ち越そうとしている、


これは、当時の私には、正直、分かりにくかった、
サビルローのテーラーは、クライアントごとにパーソナルパターンを作るのを「売り文句」にしているのに、どういうことなのだろう、

お爺さんの説明にはふたつのポイントがある、重複するけれど、もう少し噛み砕いて説明してみよう、

まず、今のサビルローのパターンは、すべて、「ひとつのモデル」から出発している、それを採寸をもとにして、一種の比で割り出して作成し、仮縫いで補正する、

一見、問題ないように思うのだが、お爺さんによると、

パーソナルパターンとは、クライアントの体型、補正のポイント、そしてスタイルによって、ゼロからつくられるもので、そこには、そのテーラー独自の技能と経験、そしてセンスから割り出された「考え」があるべきだ、これがビスポークというものだ、

ということになる、

だから、私が頼んだ1930年代のスタイルは、「ひとつのモデル」から出発したパターンでは、いくら仮縫いで、「それ風」に調整したとしても、その「味」は出てくるはずが無い、当初から30年代のスタイルを私の体型のクセと、「今の時代に着る」ということも考慮して取り組まれなければ、「アート」(これがお爺さんの口癖だった)にはならない、

なるほど、














copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-09-20 10:39 | ■テーラリングの旅

9月17日(陰、秋は本当に近いのか)  One for the road


百歳堂日乗


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An Aesthete's Lament 
Keens
百歳堂 | ニューヨークの酒場

S氏のクラッシックな、デタッチャブルカラーのシルクシャツのための仮縫いが終わって、皆と別れて、銀座の夜を秋の感触を探しながら、そぞろ歩きしていたら、そういえば東京では帰り際の一杯と、酒場に寄ることが無いなと気づいた。

これは、私の気分ということもあるが、東京の酒場のせいだとも思う。

帰りに一杯やって帰る、これに相応しい酒場が見当たらない、なんだか洒落すぎているか、落ち着きすぎるのだ、それとも単なる私の偏見なのか?
帰りに一杯やって帰る、これを自然に受け止めてくれて、かつその男の習い性を良い習慣だと思わさせてくれる酒場、そういうカテゴリーがこの街の酒場にないように思う、これも私の考えすぎか?

理想としては、割と混んでいるほうが気がおけない、少し長めの磨き込まれたバーカウンターがあって、2~3人の清潔なバーテンダーがいる、常連がカウンターによりかかって「普通」の会話をバーテンダーと交わしていて、壁際には背の高いスツールがあるカウンター席、フロアの端っこにはシンプルな木製のテーブル席が数席ある、常連の顔見知りや、ときには友人と出くわしたりもして、グラスを片手に立ち話をして、一時間ほどで家路につく、そういう気取りなく、しかし客筋もイヤミじゃない、「生活」の背景として寄り添うような酒場が望ましい、、

ロンドンのパブや、クラブのバールームが、このタイプの酒場といえるだろうが、ニューヨークにもこうした店が街に点在していて、多くの男は行き着けをもっている、

このところは、マンハッタンの36丁目にある「キーンズ」のバンケットルーム(バールーム)に立ち寄って、家路の一杯、溢れるように注がれたニューヨークドライマテイーニを友人と愉しむのが、私の一日のくぎりになっている。

定宿のユニオンリーグクラブが37丁目とパークアベニューの角にあり、仕事をするオフィスが同じ37丁目の5番街、このキーンズは、36丁目の6番街寄りにある、歩いて数分の理想的な三角を描いている、

ニューヨークのオフィスは、皆、たいがい午後4時ぐらいに終わるから、家路を辿る前や、デイナーの前の句読点として一杯やって帰る、という習慣が生きてくる、

真っ直ぐ家に帰ったとしても、タイをはずし、上着を椅子の背に脱ぎ捨てて、先ずは好みの酒を夕食前に一杯、というのが男たちの長らくの習慣だった、

これは、悪くない。

そうした習慣を支えるように、ニューヨークの街にはこうした酒場がほどよく散らばり、午後になると念のためにグラスはピカピカになるまであらためて磨かれ、カウンターも入念に磨きこまれて、常連客の到着を待つ、

キーンズもこうした一軒で、私はいつもジンベースのドライマテイーニを頼む、この店でマテイーニを頼むと、古式にのっとりジンかウオッカベースかを必ず聞いてくるのと、大振りの口の広がったグラスの縁ぎりぎりまで、文字通りなみなみとそれが注がれて目の前にやってくるのが、ニューヨークの夕刻に自分がいることを思い出させる、

それは、本当にグラスを持ち上げようとすると零(こぼ)れてしまうほどで、表面張力で盛り上がっているその様は、これもバーテンダーの芸術のひとつと呼べそうなもので、少なくともそこには一種の「流儀」と云うのがある、必然的に客はミルクにありつく猫のように最初は口を近づけてそれを啜らなければならない、背をまるめて、マテイーニを啜っている男たちがカウンターや店のそこかしこにいる、それがマンハッタン流儀なのかどうかは知らないが、この店では創立以来変わらないやり方らしい、

この零れそうに(事実、私は何度も零してしまう、)「なみなみ」と「大振りのやけに口の広い」カクテルグラスに注がれたマテイーニ、という「流儀」が男の習慣に手ざわりのある彩りを添えてくれる、その小さなものは、案外、心にしっかり刻まれるものなのだ、

この「流儀」というのが欠けているのが、私が東京の酒場に立ち寄らない理由かもしれない、


キーンズのバールームは有名すぎるレストランの一角にある、キーンズを有名にしたのは、チャーチウオーデンパイプと呼ばれるステムの長い、粘土で形どられた古いパイプの世界的なコレクションにある、それは膨大なもので、なんと天井を見上げるとそこにぎっしりと並び詰められている、つまりキーンズのシーリングは古いパイプで埋め尽くされている、これはやはり異形で、見る価値がある、
なかには、ルーズベルトからベーブルース、アインシュタインからJPモーガン、マッカッサーから伝説のバッファロー・ビルのものまでが保管されている、

このステムの長いクレイパイプは持ち運ぶには壊れやすく、昔はお気に入りの宿やクラブハウスに名士は自分のものを保管させていたらしい、キーンズは1885年創立で、当初は有名な「ラムクラブ」という文学関係のメンバーが集まるジェントルメンズクラブの一角にあった、ラムクラブは当時評判の劇場も併設していて、著名な俳優たちがメイクのまま、キーンズで食事や一杯を愉しんだ、パイプコレクションのなかに有名な劇作家や俳優、プロデユーサのものが残っているのはそういう訳だ、こうした顧客のために、キーンズは3年毎に5万本のクレイパイプをオランダに発注していたという、なかには凝ったものを特別につくらせる客もいたという、

そうしたパイプを、顧客たちは自分専用としてキーンズに預け、それがいまの膨大なコレクションになっている、

キーンズを有名にしたもうひとつに、「マトンチョップ」がある、これがこのステーキハウスレストランの創立以来のスペシャリテイーだ、これにも逸話があって、当時人気の女優で、英国のエドワード王の愛人でもあったリリー・ラングトリーはこのマトンチョップを食べたいがために1905年に訴訟を起こした、それは、当時、キーンズはラムズクラブのメインダイニングであり、クラブとしては伝統通り「女人禁制」だったことにある、

ラングトリーはめでたく訴訟にうち勝ち、その翌日、雄雄しく着飾った彼女は堂々とクラブに現れた、キーンズはこれを敬意を持って迎い入れ、もちろん彼女は席につくとラムチョップを注文した、(私も注文した、クラッシックなその一品は確かに旨い、ただ訴訟を起こしてまで手に入れたいほど珍しいと云えないのは、恵まれた世界に私たちがいるということだろう、)たいした女性だ。


キーンズのバンケットルーム(バールーム)が、どこかクラブのそれの面影を残しているのは、こういう歴史のせいでもある、


one for the road、、、男には、こうしたちょっとした余裕と、愉しみがあっても良いんじゃないかと思う、そして、それを適えてくれる酒場のある街が必要だとも思う、、、これから、酒場を開こうという貴方、どうかお願いします、、

■  百歳堂日乗






copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-18 01:57 | An Aesthete's Lament

9月15日(陰、夜半はすでに秋を思わせる)  帽子屋



百歳堂日乗





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An Aesthete's Lament 
帽子屋
百歳堂 | 秋の夜長の月と帽子、それにヴァイオリンの響きがあれば



さて、質問です、この不可思議な、しかしやけに年季が入った物体は何んでしょう?

正解は、帽子屋がお客の頭を計る道具です。正確には何と呼ぶのかまでは知りません、いまどき、このクラッシックすぎる道具を現役でつかっているのは、私が知る限り世界広しといえども、多分2軒の店だけだと思います。

いわゆる昔ながらの「注文帽子屋」。ロンドンに一軒、そしてウイーンに一軒あります。

私は、クラッシックな帽子を頼むのが好きです
しかし、私が帽子を身につけるのは、主に「夏」と「真冬」と「旅行の移動中」だけです、
(セレモニー時は別として)
もったいないことです、

夏の終わりに、使い込んだパナマの手入れをするのも好きですが、
そろそろ、秋の気配を感じ始めた頃、ビーバーフェルトの帽子にブラシをあてる気まぐれな夜長も好ましい時間です、

私のクローゼットは、季節を問わずすべてのものを並べているので
特別、衣替えをすることもありません

でも、季節の変わり目に、フラノのスーツを取り出してしばし眺めたり、
こうして帽子にブラシを当てたりするのは時節の愉しみとして大切にしています

帽子といえば、私が好きな店は、ウイーンの愛しいぐらいに、時代に取り残されたクラッシックな一軒です、
この帽子屋は貴重です、
そして、この店の注文品の顧客は不思議な連帯感で結ばれています、
いまや、ハンドメイドの帽子を愛する者は少数派です、しかし、我々は誇りを持った少数派だ、と
世界に散らばる顧客は、時折互いに連絡を取り合い、デイナーを共にし、カフェで語らう仲です、
これを私は、「帽子連盟」と呼んでいます、ちょっと秘密結社めいていて気に入ってます、

近頃、この店もホームページを立ち上げました、時代の流れを感じます、
しかし好感のもてる良い、正直なホームページではあります、
手づくり感はいなめませんが、そこは、ウイーン。写真の質もよく(確か、顧客のなかには芸術家もいたはずです、写真を撮ったのもそうした一人かもしれません)、文字タイトルも控えめながらエレガントなものを選んでいます、
なにより、19世紀末からそのままのハンドメイドの帽子の良さを伝えようという情熱が響いて来ます、

読んでいると、Customer のタグのなかに、私がドイツのテレビ番組のために、以前書いた紹介文の一部が顧客からの手紙として載っているのをみつけました、

帽子屋を探し歩いた旅のもう一軒の収穫は、ブリュッセルの注文帽子屋で、こちらはもう少し柔らかいものが得意です、
この店で面白いのは、クラウンの前を思い切って削った(へこんでいるのではない)フェドーラです。これは、他のどの帽子屋でも見たことがありません、

私は、いくつ帽子を持っているか数えたことがありません、

同じように、スーツも靴も数えたことがありません、

時代とともに百科事典の言葉が増えるように、私はクローゼットにそれらを追加するだけです、

何かを捨てたこともありません、

それは、ほとんどが注文品で、それなりの思い出と思い入れがあるからです、

無駄なものは無いと確信しています、ただその量が多いだけです、

その分、自分でも忘れていたようなモノを「見つける」こともあり、クローゼットを探検する愉しみもあると、家人には言い訳しています、

今日は、昔、パリのジェロでつくったネイビーの中折れ帽も見つけました

秋を確信したら、ネイビーフラノの三つ揃いにこの帽子をあわせて、散歩することにしましょう 

■ 百歳堂日乗




copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-15 22:43 | An Aesthete's Lament

9月14日(陰、秋は近いのか)  最後の一着 


百歳堂日乗




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An Aesthete's Lament 
最後の一着
百歳堂 |  ビンテージ

それは、たしかに、タイトルどおり「An Aesthete`s Lament = 審美主義者の嘆き」といえる。
あれほど大切にしていた、ムーアハウス ブルックのピュアキャメルヘアーのコート地がついに完売してしまったのだ。
この「特異」な生地をヨークシャアの生地倉庫でみつけたとき、とりあえずそこにあるものは全てをかっさらてきたが、もとよりそう多くも無く、結局、コートを2着とダブルのブレザー一着をクライアントにつくり、最後にコート一着分が残っていた、それが昨日、出てしまった。

アトリエとしては、或いは、名ばかりの「ビンテージ」ではなく、もっと本当にクラッシックで良い生地の存在をクライアントに知ってもらいたい、提供したいと思っている「私」としては、とても喜ばしいことだが、コレクターの「私」としては、完売してあらためて、一種のさびしさ、もったいなさを正直感じてしまう。

この相反する気持ち、、、

とくに、このキャメルヘアーは、もうふたたび同じ質を再現することは難しいだろう。本物のキャメルヘアーは、剛毛に隠れたその繊細な産毛だけを摘んで糸を拠る、その細い毛を糸に紡いでいくのには技術が必要で、そしてその毛の質が、いまや違っている。
ムーアハウスを調べていくと、ある文献には、その成り立ちに、この秀でたキャメルヘアーを特徴としていたと書かれている、たしかに、このキャメルヘアーは、ずば抜けた質をもっていて、下手なカシミアよりよほど柔らかく、そして「軽い」、極めて軽い、キャメルヘアーはその繊細な毛の間に空気を孕んでいくから軽くて暖かい、、、ああ、こうして言葉を重ねるごとに寂しくなってくる、、、

幸いに、この最後の一着は、それにふさわしく、なかなか興味深い良い出会いのなかで旅立っていく、それは嬉しい限りで、プライベートなことなので詳しくは語れないが、海外からのご注文だった。
ご注文のスタイルは、「ポロコート」、美しいクラッシックなポロコートをつくるのに、これほどの素材はないだろう、私は美しいコートを仕上げることに専念しよう。

多分、バンチで右から左に流してしまえば、こんな思いもしないのだろうが、それができない「私」がいる。ヨーロッパでも、バンチ主流のテーラー「商売」が当たり前となり、ビンテージの、それも優れた生地を自分の目と足で探すのに時間と費用をかけるテーラーはいなくなった、しかし、その探索には、確かな実感と愉しみがある。

私自身が頼むときでもバンチしか揃えていないテーラーには満足できなかった、第一、バンチではわかりにくい。
そんなテーラーをあてにしたくはないので、自分で布を探し始めた、

「ビンテージ生地」といっても、多分、いまの日本には誤解がいっぱいあるように思う、「油がぬけて良い表情」というが、抜けていてはダメなのだ、保存状態が良くなくてはいけない。

‘タイトに織られた‘、‘肉厚‘の‘変わった柄‘というのが「ビンテージ生地」の一般のイメージらしいが、そうではなくて、今はないクラッシックな柄やデザイン(昔のチョークと今のチョークさえ違う)、すぐれて糸の良いもの、ハイツイストやスポーツなど織りの「正直さ」が残っているもの、そういう意味のある魅力のものを手に入れなければならない。それは単に古い、売れ残りの生地ではない。ともすれば、正確な知識もないまま「ビンテージ」という言葉だけが独り歩きしているようにも思える。たしかに、それを教えてくれるテーラーもいなくなった、四角い小さな布切れ=バンチで商っているのだから、

ビスポークの服は、一生着続けるものだ、それは美意識がいっぱい詰まったものであるべきで、美しい生地は何年経てからも、着るたびに愛着がわいてくる。むしろ、良い服の真髄は、何年も後になってから気づくものだとも思う。

生地を探索していくと、色々な出会いとドラマに恵まれる、今回、手にいれた「クロンプトンコーデュロイ」やクラッシックなモールスキンもそうだ。クロンプトンコーデユロイも既にいまはない、ウインザー公も愛用し、数着のスーツとトラウザーズをこのクロンプトンコーデユロイで仕立てている。しかし、英国ではなくアメリカのミルで、それらは、英国のものに比べ軽く、しかも色鮮やかだった。ウインザー公は、そこが気に入っていたらしい。1930年代のエスクワイアにも、コーデユロイの変わったノーフォークジャケットのイラストレーションの広告をみつけることができる。

今回のものは、後期のもので美しいオリーブグリーンと薄いビスケットベージュのスーツ地で、たしかに英国の野趣あふるるものとは違う、柔らかくベルベットのような艶を持っている。
モールスキンは、しっかりと厚く、なにより色が秀逸でハーベストゴールドなのだ。

今は、アメリカのミルの黄金期のものを少し探していて、この他にはペンドルトンの50年代のツイードも幾種か手にいれた。これも、英国の影響を受けながらも、やはり違う、多色をつかった、いわば美しい靄のようなツイードは独特だと思う。ペンドルトンの昔の自社ミルのものは質も良い。

これらは、美しい海辺の街、ウエストハンプシャーに眠っていた。

幸いだったのは、こうした生地を保管しておく場所に恵まれたことで、六義にお越しになった方ならご存知だろうが、テーラーのアトリエは地下にある。当初、この場所をみたとき、革や生地の保管に向いていると直感した通り、調べてみると年間を通じて、その湿度が不思議に一定している、真夏もエアコンをつけなくとも涼しく、湿度が攻めてこない、冬は寒いが、乾ききらない、直射日光を完全にさえぎり、しかも地下特有のベタつきもない、正に天然の「カーヴ」で、多分、ワインや葉巻の保管にも適しているのだろう、地下をつくるときに念のために床を底上し、壁もクロス貼りにしないで、赤く塗られたパネルでふかしていったことも良かったのかもしれない、

ピュアキャメルヘアーのクライアントの方がお越しになるまでには、幸い少し間がある、それまでは、この天然の保管庫で、この「特異」な生地を心ゆくまで眺めていよう。   ■百歳堂日乗





copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-14 16:51 | An Aesthete's Lament

9月9日(暑さは残るが、空気は乾いている、夜半より虫の声ひときわたかく)   月の光


百歳堂日乗

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An Aesthete's Lament 
月の光
百歳堂 |  ハープの愉しみ


夜半、近くの公園を散歩していたら、虫の音も声たかく、夜風もさわやかで、いやむしろ少し肌寒くもあり、まさしく「中秋」を思わせた。秋はこうしてやってくる。

思わず月を探したが、あいにくそれは雲に隠れて見えなかった。

木立の間をぬけて、人工の小川のそばにある東屋へ降りていくとき、どうしても頭のなかに「月の光」が流れてきた。それも、ピアノの音ではなくて、ハープの音色で。

私は、家ではテレビを見ない、音楽も聞かない、でもCDやレコードはしこたま持ってる、オーデイオに凝り始めたこともあるけれど、あまりに際限がないし、はたして人工の音を生音に近づけることに、それほど意味があるのかと思い始めていたら、音楽そのものが人工の音になり始めたのでやめてしまった。CDを買うのをやめて、音楽を聞きたいときは、コンサートに出掛ける。その結果、かえって私の音楽生活は充実したように思う。

家で音楽を聴きたくなったら、頭に音を浮かべることにしている。バッハのコンチェルトを頭のなかで再現するのは、かなりスリリングだ。
これは、そう訓練がいることでもなく、コンサートに行ったときに演奏者の指使いも含めて、記録機よろしく、画像として覚えこめば良い。心配しなくても、良いコンサートは意外に細部まで思い出せる。閉じ込められた人間の機能を再活用するためにもお勧めする。それに、エコだし、

このところ、おもしろいなと思うのはハープという楽器で、わが国は、吉野直子という逸材(しかも美人)に恵まれたことを忘れてはいけない。しかし、正直に白状すると、今までハープをあまりあてにしてなかった、

やはり、マイナーな楽器という印象が損をしている。ところが、演奏会にいって、ハープという楽器の思いのほかの雄弁さに驚いた、しかも、演奏を「見る」のが楽しい。様々な技法があり、演奏する姿に見ごたえがある、これは意外だった。


「月の光」は、秋の気配を感じとると聞いてみたくなる一曲で、ポピューラーすぎるといわれても、これは情景のみえる名曲だ。

ドビュッシーの「月の光」とともに、フォーレがヴェルレーヌの詩に曲をつけた歌曲「月の光」も捨てがたい、


 あなたの心にひそむ 私の知らない風景
 にぎやかに舞い踊る仮面舞踏会に 浮かれるリュートの調べ
 そうした陽気な姿のうちにも 悲しみの影が差す
 
 もの悲しく歌うは 
 恋の勝利と人生の歌
 幸せを信じてはいないあなたの声が
 差し込む月の光に溶けてゆく

 月の光はいつも悲しく美しい
 小枝に止まる夢を求める小鳥を照らし
 大理石の像より夜空高く吹き上げる噴水を
 すすり泣かせては降り注ぐ           ポール・ヴェルレーヌ(百歳堂 意訳)
                   


頭のなかに音をうかべながら、中秋の名月を眺め続けよう。
■  百歳堂日乗




copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-09 22:22 | An Aesthete's Lament

9月8日(夏日)  グローバリーゼーションとスタイルについて その5 テーラリングへの拘り 




HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングへの拘り



「なぜ、私はこだわり始めたのだろう?」 ,
その理由の3つめは、やはり「テーラリング」そのものへの拘りといえる、しかし、この私が辿った経緯と、その中身の真実を説明し切るのは、このブログという範囲のなかでは、難しいのではないだろうか、

ここでは、或る部分に絞って話をしていこう、それと、これはあくまで「ビスポーク」というレベルの話で、いわゆる「工場」でつくられた「既製服」や「パターンオーダー」と混同されては困る、いくら値段が似通っていたとしても、それらは、全く別物で、同じ土俵で語るものではない、と思う。


以前に、お話したように私はいくつかの店でオーダーをくりかえしていた。それらは、多分、夥しい数(数える気がない)で、そして、それらを毎日、着続けていると、続けて袖を通したいものと、どこか不満を持ってしまうものとに、時とともに別れてくる。

この「時とともに」というのがクセモノで、最初はやはり気が付かないのだ。
自分の「美意識」や「見抜く眼」というのは経験と共に成長してゆき、磨かれていく、、それは時間が必要で、私にしても、正直に云って17,8歳でスーツを頼み始めたとき、仮縫い姿ではほとんど出来上がりを想像できず、テーラーに注文をつけることさえ気が引けた、六義で仮縫いに必ず私が立ち会い、クライアントの気持ちを代弁し、できるだけ一方通行にならないよう気をつけているのは、若い頃の私自身の苦い体験による、
(仮縫いに関しては、丁寧な上手いテーラーほど美しい仮縫い服をつくる、これは経験上、そういえる、時に片袖だけつけられた仮縫い服を出すテーラーがいるが、それは少し違うと思う。)


当初、私は名の知れた店で頼めば、そこには或る種、統一された「質」があるんだろうと思い込んでいた、しかし、いつかしら、そこにも「違い」があることに気づき始める。

幸い私は、親切な良いテーラーに恵まれ、そして4都市を移動する生活で、それぞれの街にテーラーを持っていたから比較もできた、何より、ダンデイたちに魅かれ、憧れ、自分なりのスタイルを探していて、テーラーたちとより深い付き合いが出来たことも「見る眼」を養うのに幸いした、

その「違い」は、着心地ともいえるし、どんな場所へも自信をもって着て行ける仕立ての「品」ともいえる、(特に、私はこの「品」というのに拘っているように思う、後で気づくのだが、それは高い技術がなければ適わないのだ)そして、今まで知らなかった優れたものに出会うと、以前は気に入っていたものも、その歩みのなかで、着られなくなってしまう、美意識と経験が高まるにつれて、その許容範囲は狭まり、それに適うテーラーは絞られてくる、テーラリングには違いがはっきりと現れるのだ。

残念なことに、厳しく評すれば優れたテーラリングというのは昔も、今も非常に少ない。それは、一握りのもので、しかも、それを経験しない限りは何が優れているかははっきりと認識できない。しかも、それは何年か後になってやっと気づくこともある。

多分、こういう説明は経験が同じでないと、抽象的で伝わりにくいものだと思うし、どの「高さ」のレベルで話しているのかも正確には伝わらないと思う。少し、順を追った説明に努めてみよう、先ずテーラリングの「質」について、



ウイーン、パリ、ローマ、ロンドンと、これらの店で頼んだ、同じ2ボタン、ノッチドラペル、の3つ揃いでも、そのテーラリングは店ごとに異なる。ここまでは、お分かりだと思う。

次に、いま同じ店で、同じスタイルを頼んだとしても、そのテーラリングの質は既に違うと思う。

その大きな理由は、時代が変わったという事と共に、ヨーロッパの店はその着数を増やすために、分業体制を組んでいるからだ。これは、ビスポークの靴にも同じことがいえる。

カッターがいて、コートメーカー(上着を縫う)、トラウザーズ メーカー(ズボンを縫う)、ウエストコート メーカー(チョッキを縫う)、そして仕上げ担当(ボタン縫い など、飾りステッチもこの範囲に入る場合もある。)。先ず、この人たちが上手い時代もあれば、そうでない時期もある、そして同じ時期でも上手い人と、そうでない人がいる。

しかも、本来は、こうした職人はハウス内に雇われているはずだが、80年代以降とくに、そのアトリエの規模、そしてサビルローならば、人材の不足と経営的に正規に雇いきれないと言う理由もあり、いまやアウトワーカーに出すこともある。注文が殺到すれば、なおさらだ。
当初から、メイキングに関してはアウトワーカーというところもある。
問題は、それが玉石混交だということだ、

事実、20代の半ば頃、或るテーラーでまとめて3着スーツを頼んだとき(まだ、よく分かっていなかったのだ)、仮縫いも3着同時に行われた、しかし仮縫いでは問題が無かったのに、出来上がって、しばらく着ていると、その内のスーパー140‘sの繊細な生地で作ったちょっと変わったピークドラペルのシングルスーツの背の衿元に変なシワが出て気になるのだ、それで修正を頼みに行ったところ、そのアトリエの責任者の気の良いおじさんが、それは、仕立てるのに技術がいる繊細な生地なのに、いつもの上手いコートメーカによるものではなかったからと言われたことがある、3着同時に頼んだから、コートメーカーを振り分けられてしまったのだ。

結局、パーソナルテーラーと呼ばれる、個人で丸縫いをするところに行き着いたのは、こうした理由もある、パーソナルテーラーはサビルローの2倍から2.5倍ぐらいは平気でチャージしてくる、そして京都のお茶屋さんみたいに「一見さんお断り」で、これは年間縫える着数が限られているからだ。

その代わり、実に根気強く丁寧につきあってくれる。テーラリングにも、それぞれの自負がある。

こうしたテーラーは、大概、熟練の技術者で、ギルドの役員をしていたり、サビルローのテーラーや、ニュービスポークと云われるテーラーに指導に行っていたりもする、既に年金が出る年齢の人も多く、その分、自分の愉しみもあってやっているという人も多かった。

そのひとりのテーラーとは、とても親しくしてもらって、ロンドンの昼下がりどきに、アトリエによくお茶を飲みにいって話を愉しむ仲だった。
お爺さんは、或るとき「本当に、私はテーラーをやっていて良かった」としみじみ漏らしたことがある。ロンドンの老人は、年金は物価とスライドするようになっていて、経済的には日本よりましなのだろうが、やはり孤独な人が多い、お爺さんが云わんとすところは、なんとなく分かった。

お爺さんのつくる服には、「品」があった。この時代には、私も経験を経て自分なりのスタイルもあり、また挑戦もしたい時期でうるさく様々な注文をつけていたが、
ただ、そのどれもが今も通用するというのは、お爺さんの服に「品」を与えてまとめていく手腕にあったのだろうと思う。

それと、仕立てが良かった、フルビスポークの醍醐味といえる人を惹きつける注文服ならではの「見栄え」があった。お爺さん自身は、しきりに歳のせいで手が甘くなった、若い頃はもっと良かった、と繰り返していたが、仕立ての「充実」というものがそこにあった。上手いテーラーの手は、意外にふくよかで、艶々している。ガサガサの手では、繊細な生地を扱えないからだ。お爺さんは、歳を経て手の皮膚が老いるのを何より気にしていて、ベッドに入る前にはハンドクリームを必ずつけるそうだ。
お爺さんの、その口癖は、「注文服の仕立ての良さは男を奮い立たせる」というもので、確かに、それを着ると自然に溌剌と歩く自分を発見した。既製服と違って、シンプルな紺のスーツでさえ、その品のある「仕立て」は雄弁に語る。ブランメルが云った「アンダーステイトメント」は単に「地味な服」ではないのだ。そして、そういう服は「長持ち」する。質とともに、時代が変わっても美しさが通用する。この「品」と、着る人を奮い立たせる(元気にさせる)「仕立て」が、なかなか今、見つからない。


このお爺さんだけでなく、一緒に旅行やピクニックに出掛けたりと、私は良い職人さんと良いつきあいができた、それはとても感謝している。それを、今からやれと言われても、到底、無理な話で、こうした付き合いも含めて「時間がかかる」ということなのだ。


テーラリングの「質」のヨーロッパの現状について、あからさまに問題点をあげることはやめておきたい。それに言葉を費やしても、あまり意味もないことだと思う、
私は、幸いにも良い時代に良い職人と出会い、自分自身もクリエイテイブなものがどんどん欲しい時だったので、とても良い体験をした、それを、もう一度、今のヨーロッパに望むのは無理だと思う。時代も違う。それに、そこで得た知識や体験や、年齢とともに少しは成熟してきたといえるものは、今は日本やアジアの職人さんといっしょに作り上げて行きたい。



そして、次にはテーラリングの「クリエイテイブ」さへの拘りについて話そう、、
(つづく)












百歳堂日乗
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-08 01:00 | ■テーラリングの旅

9月5日(夏日)  マンハッタンの愉しみ方

百歳堂日乗



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An Aesthete's Lament 
Manhattan
百歳堂 |  マンハッタンの愉しみ方


本日は、仮縫い、取材と充実した時間が過ぎていった。

ユニークな靴専門某誌、大久保曰く、「靴に関しては信頼すべきジャーナリスト」、名物編集長氏の来訪賜る。

取材後、大久保をまじえ週末の夕刻にふさわしい愉しい会話。博識の方、しかも国内、海外を問わず飛び回る第一線のジャーナリストの方ゆえ話題はつきない。

そのなかで、話題のひとつにのぼったのが、ロンドンやヨーロッパの今のインフレ、物価の高さだった。たしかに、ロンドンの地下鉄の初乗り、約1000円(厳密にいえば、これは一概にインフレというよりはオイスターカード=プリペイドカードへの移行がからんでもいる)、つまらないサンドイッチでさえ1000円、7月のロンドンの消費者物価指数(CPI)は4.4%と政府の目標とする2.2%より大幅に上昇した、「どう思います?」、それであらためて気がついたのだが、私はそれを避けるように、このところヨーロッパには出掛けていない、(クニーシェのパーテイをきっかけに、この10月には出掛けるが、)去年の5月ぐらいから、毎月のようにニューヨークには通い続けているが、今ヨーロッパに出かけたい理由も見つからない。

それは、良い時代を知っているだけに、ここ最近の変質を見ると、それが10年前と同じことをやっているにも拘わらずコストが上がっただけで、結局、得るものが少ないように思うからだ、それを嘆くであろう自分がジイサン臭くてイヤだということもある。もう少し刺激のある発展をしてもらわないと困る。

ヨーロッパでなく、毎月、ニューヨークに通うのには訳がある。しばらく通っていなかったから、新鮮に映るということもあるが、マンハッタンほど「散歩」に適した街はないからだ。


マンハッタンを
散歩しながら

思考してみよう

私は散歩をしながら「思考」する癖をもつ。今の私の「散歩」と「思考」には、マンハッタンが一番、そのスピードが適しているように思えるからで、街が思考をほどよく刺激してくれて、それは私の毎月の愉しみなのだ。


私に限らず、マンハッタンは、「散歩」に向いた街だともいえる。先ず、碁盤の目のように作られた街で、迷うことが少ない、しかも縦に貫くフィフィスアベニュー、ブロードウエイという通りごとに特色があり、アッパー、ミッドタウン、ダウンタウンと区別された街の顔をもっている。

つまり、歩ける距離で変化を楽しめる街で、そこには美しく聳え立つ摩天楼、ウエストビレッジのヨーロッパを思わせる石畳の小道、いまだにドレスコードのあるクラッシックなフレンチレストラン、コブサラダがうまい新アメリカ料理のタバーン、グラマシーパークホテルのルーフトップバー、たまにハリウッド女優を見かけるスノッブなホテルのラウンジ、モジリアニの本物がある美術館、先鋭的な美術評論家の小さなギャラリー、ブロードウエイの劇場、街に埋もれてしまいそうな小さな劇場とライブハウス、自社刊行物もある54丁目の老舗の書店、たまに朗読会のある小さなしかし特色のあるビレッジの古書店、人とドル紙幣が渦巻くミッドタウン、リスに餌をやるセントラルパーク、ニューヨークステーキ、ベジタリアンのインド料理、これらが、貴方の足取りとともに現れてくる。なかなか、魅力的ではないか。

それと、ニューヨークはおいしい。
私は、散歩とともに、思考は「食事」に宿ると考えるひとりで、家でもコースで料理を食べないと気が治まらない、

誰しも、「どういうお料理が好きですか?」と尋ねられ、尋ねたことがあるだろうが、一品の料理の優劣をきめるには、おいしいものが多すぎて、答えは正確にでない。こういうとき、私は「コース料理。」と答えることにしてる。つまり、一品のおいしさと価値は、そのほかの料理との関連性にあるというのが正確だと思う。同じ料理でも、流れのなかで光り方は違う。

ワインにしても、貴重なクラレット一本を愉しもうと思えば、最初の白ワインは、かえって軽いものでなければいけない。それを、最初の白から凝ってしまうのは野暮だし、せっかくのクラレットを台無しにしてしまう。

或いは、これから油ののった旨い秋刀魚を食うというのに、いかに新鮮で旨くとも最初に刺身を出す下衆はいまい。

つまり一品の料理ではなく、料理と次の料理の組み合わせ、そして食べ終わった後に完成する、その食事の美的センス、その納まり方、これが「食事」であり、食べることが、或いはその料理をつくることも、その人の生活と人柄をつくるに至る行為になる所以である。だから、私は太る(!)のだが、しかし、結局、社交のなかでもレストランで、どの料理を選び、どう組み立てていくかはその人の教養と人生を見せるものとして案外、気を抜いてはいけないひとつなのだ。

なにより、その人の体調、その季節、天候をも考えて、メニューを組んでいくのは「思いやり」と「もてなしの心」と「創造性」を含んだ「思考のゲーム」だと思う。


でも、大概こういう説明はつけ加えません。ただ「コース」(この極く一般的な言葉を選ぶ)料理と答えるだけ。ただの「食いしん坊」と思われている方が気楽です。


それはともかく、いまニューヨークで気に入っているレストラン、ご参考までにあげておきましょう。ただし、臨場感を増すためにホームページをもっている店だけに絞りました。今夜は、バーチャルですが、ウエブ上でニューヨークレストランめぐりをお楽しみ下さい。


その壱 「Dovetail / ダヴテール」 


シェフはパリのタイユヴァンなどで経験を積んだロサンジェルス出身の、ジョン・ フレイザー。今年2月の ニューヨーク・タイムズのレビューで は3つ星を獲得している。
ペストリー・シェフを勤めるヴェラ・トンは 、ロシアン・ティールームなどでキャリアを積んだ女性シェフ。メインのお薦めはラムなど 肉料理かな。デザートはブリオッシュ・ブレッド・プディングがニューヨーク・タイムズのレビューでも評価が高い。今のニューヨークは、こういう感じが多い。
先ずは、お薦めは70ドルの5コースのテイスティング・メニュー。内容を考えると非常に良心的です。


その弐 「Dell' anima / デルアニマ」

元ル・ベルナダンのシェフだったガブリエル・トンプソンと、人気レストラン、バッボの元ソムリエ、ジョー・カンパネールによるカジュアルなイタリアンとワインが豊富にそろった良い感じのフレンドリーなレストラン。パスタはどれも外れがない。ゴルゴンゾーラーに浸したリブアイステーキもおいしい。

その参 「Freemans / フリーマンズ」

一種の家庭料理の店でしょうね。マカロニ&チーズとか、テクストとしてはくだけた家庭料理、ただ、すべてレベルが高い、おいしい。ちょっと隠れ家的なローワーイーストサイドという場所と、その鹿や猛禽の剥製が飾られた独特のインテリア、そういうものが合わさって、ニューヨークらしいヒップさがあります。


その四 「Shorty's 32 / ショーティーズ・サーティー トゥー」

シェフは、ジャン・ジョルジュに長年務めたジョシュ・エデン。ニュー・アメリカン・レストランといわれるアットホームな小さな店で、一種のコンフォート料理をハイレベルにしたメニュー、ハンバーガー、ショート・リブ、マカロニ&チーズ、カントリー ローステッド チキンといったアメリカ人に馴染みの深いメニューのくせに、デリケート。ジャン・ジョルジュで12年のキャリアですから、推して知るべし。


その五 「Gemma / ジェマ」

スノッブなボワリーホテルの一階のイタリアンレストラン。スノッブな場所の割りには、意外にクラッシック(土俗的)でシンプルなイタリア料理です。そこは、好感がもてる。インテリアもアットホームというのか崩れ具合が実際にみると良い。ねらい方がおもしろい。
なにより、この店の特徴は、場所柄、マドンナとかケイト・ハドソンとかの有名人とかニューヨークの社交人種があつまるというところかな。まあ、ニューヨークらしいレストランということで。

  百歳堂日乗



 



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by momotosedo | 2008-09-05 22:22 | An Aesthete's Lament

9月2日(夏日) グローバリーゼーションとスタイルについて その4 ダンデイたちへの拘り





HARD TALK
Style

百歳堂 |  ダンデイたちへの拘り




「そして、理由のふたつ目は、私はダンデイズムに強く魅かれる、、、、」という話だった、

それは、一種の熱病といえる。おおよそ17歳から22歳までの間、私は、古のダンデイたちの姿に魅かれ、そういう書籍や、古い雑誌や、旅先で見つけた古いポストカードの類を切り抜き、自家製のスクラップノートをつくり、ファイルをいくつも作っていた。かなり、熱心な作業だったと思う。それなりの独自の工夫と、歩いた距離と時間を誇れる「調査」だと自負もできる。文字通り、「病い膏肓(こうこう)に入(い)る」だったのだ。そして、それらは、今でも大切に保管している。

正直にいうと、ダンデイズムそのものというよりは、ダンデイたちの姿の美しさに先ず魅かれ、そして、その数々の優雅なエピソードに心奪われていった。六義庵百歳堂に記した「ボニ・カステラーネ公爵」「プレイボーイ ルビ」「異端のスノッブ ベリー・ウオール」とも、この時代に出会った。

どうして、古のダンデイたちは、あんなに美しいのだろう。若い私には、それがひとつのショックで、そして当時は、私を夢中にさせるかけがえの無い楽しみであった。人間は強欲だ、ひとつ見つけると、ふたつ、三つが見たくなる、私はさらなる「ショック」を探して、古書店を、博物館を、図書館を、時には遠回りし、失望もし、或いは思わぬ所で思わぬ収穫も得て、糸をたぐりよせるように、ヨーロッパ中を彷徨した。

不思議に、こうした分野でひとつにまとまって私を満足させてくれる書籍や、博物館は見当たらなかった。いや、確かに「ダンデイズム」を伝える名著や、コスチュームの歴史が俯瞰できる幾多の博物館はあったが、それは、ダンデイズムの「コンセプト」であったり、服装の「歴史」であり、私が欲しかったのは、ダンデイたちの魅惑的な「姿」の数々や、凝った服装の具体的なデイテールや、その波乱も含めた実人生の味わいだった。それは、散逸していて、埋もれてもいて、工夫を繰り返しながら探し歩かなければ姿を見せなかった。


幸いなことに、当時は頼りになるアーカイブがヨーロッパには残っていた。「マーケット」である、雑多な「蚤の市」、雑多なもので溢れる古物屋に、それらは、二束三文で眠っていた。

「アダム」や「ムッシュー」、古い「ヴォーグ」や、名も知らない古雑誌、書籍、こうした今ではコレクターが探し高値で取引されるものが、若い私でも気軽に買える二束三文で埋もれていた。マーケットだけでなく、ロンドンの中心地でも、ソーホーのブリュアーストリートなどには、こうした古雑誌を売る専門店がまだあり、マーケットよりは高値としても、充分、値段を気にせず買える値段で並んでいた。

そして、共に、やはり二束三文で埋もれていたものに、「トーツ」や「バーナードウエザリル」(この店は名前だけ別のテーラーに引き継がれ残っている)という消えた名注文服店の黄金期を教えるスーツ、古の注文靴店の新品サンプル、手入れの行き届いた鰐皮の靴や鞄類、しっかり重みのある凝った柄の絹のドレッシングガウン、モンゴルカシミアのコートなどの古の名品がある。それらは、今の「ビンテージショップ」にある多くの悲しくなるような「残骸」ではなく、博物館級のものがゴロゴロしていた。

これらは、驚くべきクオリテイーをもっていて、そして、まだ、正当に評価する人もなく本当に二束三文で売られていた。この時代、80年代初めまでは、美術品でもアールヌーボ以降のものは、その評価を待つ「ジャンク」として売られていた。例えば当時、私はロンドンのアパートで本物のアールデコの食器を日常品として使っていたが、気にいってもいたが、それは安かったからだ。欠けてしまえば、マーケットに出掛けていって代わりのものを買う、それは50P(50ペンス、ポンドが高かったといっても、200円もしないものだった。)ぐらいのものだった。


こうした名店は、ロンドンでは60年代にバタバタと失くなり、戦禍の激しかったヨーロッパ、特にウイーンやブダペスト、ミュンヘンなどの東ヨーロッパのエレガントな店は、戦争を境に復興できず失くなっている。
ビンテージでも、戦中、或いは戦後まもなくのものは、物資不足などから質も悪く、簡略化もされている。やはり、戦争を境にガラリと変わっているのだ。

しかも、戦後、人の嗜好も、生活も変わり、その豊かさを取り戻してからも、質は変質した。その大きな理由は、エレガントという考え方が変わってしまったことにある。

つまり、一概に質を支える技術が失われたというだけでもなく、それを望む人が少なくなってしまったのだ。そして、それは時とともに忘れ去られ、今度は本当に技術そのものが職人とともに失われていく。


「クオリテイー」という世界に魅了された私は、そのラベルに記載された住所を手がかりに「失われた名店」の足跡を辿り始めた。これも、幸いなことに当時はまだ、それを知る人が幾人かはいた。なじみのテーラーで、知りあった顧客の幾人か、そしてクラブの老人たち、私のファイルには、当時のジャーミンストリートや、バーリントンアーケードが再現されていった。

そして、なにより、貴重な情報をくれたのはテーラーたちや、靴屋など親しくしていた職人たちだった。
まだ、戦前を知る職人たちが現場に隠れていた時代だ。当初、彼らは私の質問に訝っていたが、私が集めた往年の服を見せたりする間に、いままでの付き合いとは違う関係が徐々に現れ始めた。

事実、そういった職人から紹介されて、かつての名店で働いていた既に引退した老人に話を聞きに行ったこともある。

そして、同時に私は、なじみの職人たちにその「質の再現」を頼み始め、或いは、それができる職人を探し求め始めた。折角、手にいれても、私は、基本的に「古着」は着ないのだ。しかし、そこで得た「発見」をそのままにしておくのには惜しかった。

その「質」は解明され、或いは解体され、なおかつ、それに触発された新しい「質」を生み出していった。
テーラーや職人たちは、私をアトリエ深く招きいれてくれて、目の前で実践してくれたりもした。私は、それに夢中になった。フィッテイングルームにいるよりも、アトリエでお茶を飲んだりする付き合いになり、職人たちのギルドのクリスマスパーテイにも呼ばれるようになった。

私はこうして、思わぬことではあったが、古のテーラリングや「質」や「感覚」を遺伝することになった。


(つづく)




百歳堂日乗
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-09-02 22:09 | ■テーラリングの旅