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9月17日(陰、秋は本当に近いのか)  One for the road


百歳堂日乗


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An Aesthete's Lament 
Keens
百歳堂 | ニューヨークの酒場

S氏のクラッシックな、デタッチャブルカラーのシルクシャツのための仮縫いが終わって、皆と別れて、銀座の夜を秋の感触を探しながら、そぞろ歩きしていたら、そういえば東京では帰り際の一杯と、酒場に寄ることが無いなと気づいた。

これは、私の気分ということもあるが、東京の酒場のせいだとも思う。

帰りに一杯やって帰る、これに相応しい酒場が見当たらない、なんだか洒落すぎているか、落ち着きすぎるのだ、それとも単なる私の偏見なのか?
帰りに一杯やって帰る、これを自然に受け止めてくれて、かつその男の習い性を良い習慣だと思わさせてくれる酒場、そういうカテゴリーがこの街の酒場にないように思う、これも私の考えすぎか?

理想としては、割と混んでいるほうが気がおけない、少し長めの磨き込まれたバーカウンターがあって、2~3人の清潔なバーテンダーがいる、常連がカウンターによりかかって「普通」の会話をバーテンダーと交わしていて、壁際には背の高いスツールがあるカウンター席、フロアの端っこにはシンプルな木製のテーブル席が数席ある、常連の顔見知りや、ときには友人と出くわしたりもして、グラスを片手に立ち話をして、一時間ほどで家路につく、そういう気取りなく、しかし客筋もイヤミじゃない、「生活」の背景として寄り添うような酒場が望ましい、、

ロンドンのパブや、クラブのバールームが、このタイプの酒場といえるだろうが、ニューヨークにもこうした店が街に点在していて、多くの男は行き着けをもっている、

このところは、マンハッタンの36丁目にある「キーンズ」のバンケットルーム(バールーム)に立ち寄って、家路の一杯、溢れるように注がれたニューヨークドライマテイーニを友人と愉しむのが、私の一日のくぎりになっている。

定宿のユニオンリーグクラブが37丁目とパークアベニューの角にあり、仕事をするオフィスが同じ37丁目の5番街、このキーンズは、36丁目の6番街寄りにある、歩いて数分の理想的な三角を描いている、

ニューヨークのオフィスは、皆、たいがい午後4時ぐらいに終わるから、家路を辿る前や、デイナーの前の句読点として一杯やって帰る、という習慣が生きてくる、

真っ直ぐ家に帰ったとしても、タイをはずし、上着を椅子の背に脱ぎ捨てて、先ずは好みの酒を夕食前に一杯、というのが男たちの長らくの習慣だった、

これは、悪くない。

そうした習慣を支えるように、ニューヨークの街にはこうした酒場がほどよく散らばり、午後になると念のためにグラスはピカピカになるまであらためて磨かれ、カウンターも入念に磨きこまれて、常連客の到着を待つ、

キーンズもこうした一軒で、私はいつもジンベースのドライマテイーニを頼む、この店でマテイーニを頼むと、古式にのっとりジンかウオッカベースかを必ず聞いてくるのと、大振りの口の広がったグラスの縁ぎりぎりまで、文字通りなみなみとそれが注がれて目の前にやってくるのが、ニューヨークの夕刻に自分がいることを思い出させる、

それは、本当にグラスを持ち上げようとすると零(こぼ)れてしまうほどで、表面張力で盛り上がっているその様は、これもバーテンダーの芸術のひとつと呼べそうなもので、少なくともそこには一種の「流儀」と云うのがある、必然的に客はミルクにありつく猫のように最初は口を近づけてそれを啜らなければならない、背をまるめて、マテイーニを啜っている男たちがカウンターや店のそこかしこにいる、それがマンハッタン流儀なのかどうかは知らないが、この店では創立以来変わらないやり方らしい、

この零れそうに(事実、私は何度も零してしまう、)「なみなみ」と「大振りのやけに口の広い」カクテルグラスに注がれたマテイーニ、という「流儀」が男の習慣に手ざわりのある彩りを添えてくれる、その小さなものは、案外、心にしっかり刻まれるものなのだ、

この「流儀」というのが欠けているのが、私が東京の酒場に立ち寄らない理由かもしれない、


キーンズのバールームは有名すぎるレストランの一角にある、キーンズを有名にしたのは、チャーチウオーデンパイプと呼ばれるステムの長い、粘土で形どられた古いパイプの世界的なコレクションにある、それは膨大なもので、なんと天井を見上げるとそこにぎっしりと並び詰められている、つまりキーンズのシーリングは古いパイプで埋め尽くされている、これはやはり異形で、見る価値がある、
なかには、ルーズベルトからベーブルース、アインシュタインからJPモーガン、マッカッサーから伝説のバッファロー・ビルのものまでが保管されている、

このステムの長いクレイパイプは持ち運ぶには壊れやすく、昔はお気に入りの宿やクラブハウスに名士は自分のものを保管させていたらしい、キーンズは1885年創立で、当初は有名な「ラムクラブ」という文学関係のメンバーが集まるジェントルメンズクラブの一角にあった、ラムクラブは当時評判の劇場も併設していて、著名な俳優たちがメイクのまま、キーンズで食事や一杯を愉しんだ、パイプコレクションのなかに有名な劇作家や俳優、プロデユーサのものが残っているのはそういう訳だ、こうした顧客のために、キーンズは3年毎に5万本のクレイパイプをオランダに発注していたという、なかには凝ったものを特別につくらせる客もいたという、

そうしたパイプを、顧客たちは自分専用としてキーンズに預け、それがいまの膨大なコレクションになっている、

キーンズを有名にしたもうひとつに、「マトンチョップ」がある、これがこのステーキハウスレストランの創立以来のスペシャリテイーだ、これにも逸話があって、当時人気の女優で、英国のエドワード王の愛人でもあったリリー・ラングトリーはこのマトンチョップを食べたいがために1905年に訴訟を起こした、それは、当時、キーンズはラムズクラブのメインダイニングであり、クラブとしては伝統通り「女人禁制」だったことにある、

ラングトリーはめでたく訴訟にうち勝ち、その翌日、雄雄しく着飾った彼女は堂々とクラブに現れた、キーンズはこれを敬意を持って迎い入れ、もちろん彼女は席につくとラムチョップを注文した、(私も注文した、クラッシックなその一品は確かに旨い、ただ訴訟を起こしてまで手に入れたいほど珍しいと云えないのは、恵まれた世界に私たちがいるということだろう、)たいした女性だ。


キーンズのバンケットルーム(バールーム)が、どこかクラブのそれの面影を残しているのは、こういう歴史のせいでもある、


one for the road、、、男には、こうしたちょっとした余裕と、愉しみがあっても良いんじゃないかと思う、そして、それを適えてくれる酒場のある街が必要だとも思う、、、これから、酒場を開こうという貴方、どうかお願いします、、

■  百歳堂日乗






copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-18 01:57 | An Aesthete's Lament

9月15日(陰、夜半はすでに秋を思わせる)  帽子屋



百歳堂日乗





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An Aesthete's Lament 
帽子屋
百歳堂 | 秋の夜長の月と帽子、それにヴァイオリンの響きがあれば



さて、質問です、この不可思議な、しかしやけに年季が入った物体は何んでしょう?

正解は、帽子屋がお客の頭を計る道具です。正確には何と呼ぶのかまでは知りません、いまどき、このクラッシックすぎる道具を現役でつかっているのは、私が知る限り世界広しといえども、多分2軒の店だけだと思います。

いわゆる昔ながらの「注文帽子屋」。ロンドンに一軒、そしてウイーンに一軒あります。

私は、クラッシックな帽子を頼むのが好きです
しかし、私が帽子を身につけるのは、主に「夏」と「真冬」と「旅行の移動中」だけです、
(セレモニー時は別として)
もったいないことです、

夏の終わりに、使い込んだパナマの手入れをするのも好きですが、
そろそろ、秋の気配を感じ始めた頃、ビーバーフェルトの帽子にブラシをあてる気まぐれな夜長も好ましい時間です、

私のクローゼットは、季節を問わずすべてのものを並べているので
特別、衣替えをすることもありません

でも、季節の変わり目に、フラノのスーツを取り出してしばし眺めたり、
こうして帽子にブラシを当てたりするのは時節の愉しみとして大切にしています

帽子といえば、私が好きな店は、ウイーンの愛しいぐらいに、時代に取り残されたクラッシックな一軒です、
この帽子屋は貴重です、
そして、この店の注文品の顧客は不思議な連帯感で結ばれています、
いまや、ハンドメイドの帽子を愛する者は少数派です、しかし、我々は誇りを持った少数派だ、と
世界に散らばる顧客は、時折互いに連絡を取り合い、デイナーを共にし、カフェで語らう仲です、
これを私は、「帽子連盟」と呼んでいます、ちょっと秘密結社めいていて気に入ってます、

近頃、この店もホームページを立ち上げました、時代の流れを感じます、
しかし好感のもてる良い、正直なホームページではあります、
手づくり感はいなめませんが、そこは、ウイーン。写真の質もよく(確か、顧客のなかには芸術家もいたはずです、写真を撮ったのもそうした一人かもしれません)、文字タイトルも控えめながらエレガントなものを選んでいます、
なにより、19世紀末からそのままのハンドメイドの帽子の良さを伝えようという情熱が響いて来ます、

読んでいると、Customer のタグのなかに、私がドイツのテレビ番組のために、以前書いた紹介文の一部が顧客からの手紙として載っているのをみつけました、

帽子屋を探し歩いた旅のもう一軒の収穫は、ブリュッセルの注文帽子屋で、こちらはもう少し柔らかいものが得意です、
この店で面白いのは、クラウンの前を思い切って削った(へこんでいるのではない)フェドーラです。これは、他のどの帽子屋でも見たことがありません、

私は、いくつ帽子を持っているか数えたことがありません、

同じように、スーツも靴も数えたことがありません、

時代とともに百科事典の言葉が増えるように、私はクローゼットにそれらを追加するだけです、

何かを捨てたこともありません、

それは、ほとんどが注文品で、それなりの思い出と思い入れがあるからです、

無駄なものは無いと確信しています、ただその量が多いだけです、

その分、自分でも忘れていたようなモノを「見つける」こともあり、クローゼットを探検する愉しみもあると、家人には言い訳しています、

今日は、昔、パリのジェロでつくったネイビーの中折れ帽も見つけました

秋を確信したら、ネイビーフラノの三つ揃いにこの帽子をあわせて、散歩することにしましょう 

■ 百歳堂日乗




copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-15 22:43 | An Aesthete's Lament

9月14日(陰、秋は近いのか)  最後の一着 


百歳堂日乗




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An Aesthete's Lament 
最後の一着
百歳堂 |  ビンテージ

それは、たしかに、タイトルどおり「An Aesthete`s Lament = 審美主義者の嘆き」といえる。
あれほど大切にしていた、ムーアハウス ブルックのピュアキャメルヘアーのコート地がついに完売してしまったのだ。
この「特異」な生地をヨークシャアの生地倉庫でみつけたとき、とりあえずそこにあるものは全てをかっさらてきたが、もとよりそう多くも無く、結局、コートを2着とダブルのブレザー一着をクライアントにつくり、最後にコート一着分が残っていた、それが昨日、出てしまった。

アトリエとしては、或いは、名ばかりの「ビンテージ」ではなく、もっと本当にクラッシックで良い生地の存在をクライアントに知ってもらいたい、提供したいと思っている「私」としては、とても喜ばしいことだが、コレクターの「私」としては、完売してあらためて、一種のさびしさ、もったいなさを正直感じてしまう。

この相反する気持ち、、、

とくに、このキャメルヘアーは、もうふたたび同じ質を再現することは難しいだろう。本物のキャメルヘアーは、剛毛に隠れたその繊細な産毛だけを摘んで糸を拠る、その細い毛を糸に紡いでいくのには技術が必要で、そしてその毛の質が、いまや違っている。
ムーアハウスを調べていくと、ある文献には、その成り立ちに、この秀でたキャメルヘアーを特徴としていたと書かれている、たしかに、このキャメルヘアーは、ずば抜けた質をもっていて、下手なカシミアよりよほど柔らかく、そして「軽い」、極めて軽い、キャメルヘアーはその繊細な毛の間に空気を孕んでいくから軽くて暖かい、、、ああ、こうして言葉を重ねるごとに寂しくなってくる、、、

幸いに、この最後の一着は、それにふさわしく、なかなか興味深い良い出会いのなかで旅立っていく、それは嬉しい限りで、プライベートなことなので詳しくは語れないが、海外からのご注文だった。
ご注文のスタイルは、「ポロコート」、美しいクラッシックなポロコートをつくるのに、これほどの素材はないだろう、私は美しいコートを仕上げることに専念しよう。

多分、バンチで右から左に流してしまえば、こんな思いもしないのだろうが、それができない「私」がいる。ヨーロッパでも、バンチ主流のテーラー「商売」が当たり前となり、ビンテージの、それも優れた生地を自分の目と足で探すのに時間と費用をかけるテーラーはいなくなった、しかし、その探索には、確かな実感と愉しみがある。

私自身が頼むときでもバンチしか揃えていないテーラーには満足できなかった、第一、バンチではわかりにくい。
そんなテーラーをあてにしたくはないので、自分で布を探し始めた、

「ビンテージ生地」といっても、多分、いまの日本には誤解がいっぱいあるように思う、「油がぬけて良い表情」というが、抜けていてはダメなのだ、保存状態が良くなくてはいけない。

‘タイトに織られた‘、‘肉厚‘の‘変わった柄‘というのが「ビンテージ生地」の一般のイメージらしいが、そうではなくて、今はないクラッシックな柄やデザイン(昔のチョークと今のチョークさえ違う)、すぐれて糸の良いもの、ハイツイストやスポーツなど織りの「正直さ」が残っているもの、そういう意味のある魅力のものを手に入れなければならない。それは単に古い、売れ残りの生地ではない。ともすれば、正確な知識もないまま「ビンテージ」という言葉だけが独り歩きしているようにも思える。たしかに、それを教えてくれるテーラーもいなくなった、四角い小さな布切れ=バンチで商っているのだから、

ビスポークの服は、一生着続けるものだ、それは美意識がいっぱい詰まったものであるべきで、美しい生地は何年経てからも、着るたびに愛着がわいてくる。むしろ、良い服の真髄は、何年も後になってから気づくものだとも思う。

生地を探索していくと、色々な出会いとドラマに恵まれる、今回、手にいれた「クロンプトンコーデュロイ」やクラッシックなモールスキンもそうだ。クロンプトンコーデユロイも既にいまはない、ウインザー公も愛用し、数着のスーツとトラウザーズをこのクロンプトンコーデユロイで仕立てている。しかし、英国ではなくアメリカのミルで、それらは、英国のものに比べ軽く、しかも色鮮やかだった。ウインザー公は、そこが気に入っていたらしい。1930年代のエスクワイアにも、コーデユロイの変わったノーフォークジャケットのイラストレーションの広告をみつけることができる。

今回のものは、後期のもので美しいオリーブグリーンと薄いビスケットベージュのスーツ地で、たしかに英国の野趣あふるるものとは違う、柔らかくベルベットのような艶を持っている。
モールスキンは、しっかりと厚く、なにより色が秀逸でハーベストゴールドなのだ。

今は、アメリカのミルの黄金期のものを少し探していて、この他にはペンドルトンの50年代のツイードも幾種か手にいれた。これも、英国の影響を受けながらも、やはり違う、多色をつかった、いわば美しい靄のようなツイードは独特だと思う。ペンドルトンの昔の自社ミルのものは質も良い。

これらは、美しい海辺の街、ウエストハンプシャーに眠っていた。

幸いだったのは、こうした生地を保管しておく場所に恵まれたことで、六義にお越しになった方ならご存知だろうが、テーラーのアトリエは地下にある。当初、この場所をみたとき、革や生地の保管に向いていると直感した通り、調べてみると年間を通じて、その湿度が不思議に一定している、真夏もエアコンをつけなくとも涼しく、湿度が攻めてこない、冬は寒いが、乾ききらない、直射日光を完全にさえぎり、しかも地下特有のベタつきもない、正に天然の「カーヴ」で、多分、ワインや葉巻の保管にも適しているのだろう、地下をつくるときに念のために床を底上し、壁もクロス貼りにしないで、赤く塗られたパネルでふかしていったことも良かったのかもしれない、

ピュアキャメルヘアーのクライアントの方がお越しになるまでには、幸い少し間がある、それまでは、この天然の保管庫で、この「特異」な生地を心ゆくまで眺めていよう。   ■百歳堂日乗





copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-14 16:51 | An Aesthete's Lament

9月9日(暑さは残るが、空気は乾いている、夜半より虫の声ひときわたかく)   月の光


百歳堂日乗

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An Aesthete's Lament 
月の光
百歳堂 |  ハープの愉しみ


夜半、近くの公園を散歩していたら、虫の音も声たかく、夜風もさわやかで、いやむしろ少し肌寒くもあり、まさしく「中秋」を思わせた。秋はこうしてやってくる。

思わず月を探したが、あいにくそれは雲に隠れて見えなかった。

木立の間をぬけて、人工の小川のそばにある東屋へ降りていくとき、どうしても頭のなかに「月の光」が流れてきた。それも、ピアノの音ではなくて、ハープの音色で。

私は、家ではテレビを見ない、音楽も聞かない、でもCDやレコードはしこたま持ってる、オーデイオに凝り始めたこともあるけれど、あまりに際限がないし、はたして人工の音を生音に近づけることに、それほど意味があるのかと思い始めていたら、音楽そのものが人工の音になり始めたのでやめてしまった。CDを買うのをやめて、音楽を聞きたいときは、コンサートに出掛ける。その結果、かえって私の音楽生活は充実したように思う。

家で音楽を聴きたくなったら、頭に音を浮かべることにしている。バッハのコンチェルトを頭のなかで再現するのは、かなりスリリングだ。
これは、そう訓練がいることでもなく、コンサートに行ったときに演奏者の指使いも含めて、記録機よろしく、画像として覚えこめば良い。心配しなくても、良いコンサートは意外に細部まで思い出せる。閉じ込められた人間の機能を再活用するためにもお勧めする。それに、エコだし、

このところ、おもしろいなと思うのはハープという楽器で、わが国は、吉野直子という逸材(しかも美人)に恵まれたことを忘れてはいけない。しかし、正直に白状すると、今までハープをあまりあてにしてなかった、

やはり、マイナーな楽器という印象が損をしている。ところが、演奏会にいって、ハープという楽器の思いのほかの雄弁さに驚いた、しかも、演奏を「見る」のが楽しい。様々な技法があり、演奏する姿に見ごたえがある、これは意外だった。


「月の光」は、秋の気配を感じとると聞いてみたくなる一曲で、ポピューラーすぎるといわれても、これは情景のみえる名曲だ。

ドビュッシーの「月の光」とともに、フォーレがヴェルレーヌの詩に曲をつけた歌曲「月の光」も捨てがたい、


 あなたの心にひそむ 私の知らない風景
 にぎやかに舞い踊る仮面舞踏会に 浮かれるリュートの調べ
 そうした陽気な姿のうちにも 悲しみの影が差す
 
 もの悲しく歌うは 
 恋の勝利と人生の歌
 幸せを信じてはいないあなたの声が
 差し込む月の光に溶けてゆく

 月の光はいつも悲しく美しい
 小枝に止まる夢を求める小鳥を照らし
 大理石の像より夜空高く吹き上げる噴水を
 すすり泣かせては降り注ぐ           ポール・ヴェルレーヌ(百歳堂 意訳)
                   


頭のなかに音をうかべながら、中秋の名月を眺め続けよう。
■  百歳堂日乗




copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-09 22:22 | An Aesthete's Lament

9月5日(夏日)  マンハッタンの愉しみ方

百歳堂日乗



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An Aesthete's Lament 
Manhattan
百歳堂 |  マンハッタンの愉しみ方


本日は、仮縫い、取材と充実した時間が過ぎていった。

ユニークな靴専門某誌、大久保曰く、「靴に関しては信頼すべきジャーナリスト」、名物編集長氏の来訪賜る。

取材後、大久保をまじえ週末の夕刻にふさわしい愉しい会話。博識の方、しかも国内、海外を問わず飛び回る第一線のジャーナリストの方ゆえ話題はつきない。

そのなかで、話題のひとつにのぼったのが、ロンドンやヨーロッパの今のインフレ、物価の高さだった。たしかに、ロンドンの地下鉄の初乗り、約1000円(厳密にいえば、これは一概にインフレというよりはオイスターカード=プリペイドカードへの移行がからんでもいる)、つまらないサンドイッチでさえ1000円、7月のロンドンの消費者物価指数(CPI)は4.4%と政府の目標とする2.2%より大幅に上昇した、「どう思います?」、それであらためて気がついたのだが、私はそれを避けるように、このところヨーロッパには出掛けていない、(クニーシェのパーテイをきっかけに、この10月には出掛けるが、)去年の5月ぐらいから、毎月のようにニューヨークには通い続けているが、今ヨーロッパに出かけたい理由も見つからない。

それは、良い時代を知っているだけに、ここ最近の変質を見ると、それが10年前と同じことをやっているにも拘わらずコストが上がっただけで、結局、得るものが少ないように思うからだ、それを嘆くであろう自分がジイサン臭くてイヤだということもある。もう少し刺激のある発展をしてもらわないと困る。

ヨーロッパでなく、毎月、ニューヨークに通うのには訳がある。しばらく通っていなかったから、新鮮に映るということもあるが、マンハッタンほど「散歩」に適した街はないからだ。


マンハッタンを
散歩しながら

思考してみよう

私は散歩をしながら「思考」する癖をもつ。今の私の「散歩」と「思考」には、マンハッタンが一番、そのスピードが適しているように思えるからで、街が思考をほどよく刺激してくれて、それは私の毎月の愉しみなのだ。


私に限らず、マンハッタンは、「散歩」に向いた街だともいえる。先ず、碁盤の目のように作られた街で、迷うことが少ない、しかも縦に貫くフィフィスアベニュー、ブロードウエイという通りごとに特色があり、アッパー、ミッドタウン、ダウンタウンと区別された街の顔をもっている。

つまり、歩ける距離で変化を楽しめる街で、そこには美しく聳え立つ摩天楼、ウエストビレッジのヨーロッパを思わせる石畳の小道、いまだにドレスコードのあるクラッシックなフレンチレストラン、コブサラダがうまい新アメリカ料理のタバーン、グラマシーパークホテルのルーフトップバー、たまにハリウッド女優を見かけるスノッブなホテルのラウンジ、モジリアニの本物がある美術館、先鋭的な美術評論家の小さなギャラリー、ブロードウエイの劇場、街に埋もれてしまいそうな小さな劇場とライブハウス、自社刊行物もある54丁目の老舗の書店、たまに朗読会のある小さなしかし特色のあるビレッジの古書店、人とドル紙幣が渦巻くミッドタウン、リスに餌をやるセントラルパーク、ニューヨークステーキ、ベジタリアンのインド料理、これらが、貴方の足取りとともに現れてくる。なかなか、魅力的ではないか。

それと、ニューヨークはおいしい。
私は、散歩とともに、思考は「食事」に宿ると考えるひとりで、家でもコースで料理を食べないと気が治まらない、

誰しも、「どういうお料理が好きですか?」と尋ねられ、尋ねたことがあるだろうが、一品の料理の優劣をきめるには、おいしいものが多すぎて、答えは正確にでない。こういうとき、私は「コース料理。」と答えることにしてる。つまり、一品のおいしさと価値は、そのほかの料理との関連性にあるというのが正確だと思う。同じ料理でも、流れのなかで光り方は違う。

ワインにしても、貴重なクラレット一本を愉しもうと思えば、最初の白ワインは、かえって軽いものでなければいけない。それを、最初の白から凝ってしまうのは野暮だし、せっかくのクラレットを台無しにしてしまう。

或いは、これから油ののった旨い秋刀魚を食うというのに、いかに新鮮で旨くとも最初に刺身を出す下衆はいまい。

つまり一品の料理ではなく、料理と次の料理の組み合わせ、そして食べ終わった後に完成する、その食事の美的センス、その納まり方、これが「食事」であり、食べることが、或いはその料理をつくることも、その人の生活と人柄をつくるに至る行為になる所以である。だから、私は太る(!)のだが、しかし、結局、社交のなかでもレストランで、どの料理を選び、どう組み立てていくかはその人の教養と人生を見せるものとして案外、気を抜いてはいけないひとつなのだ。

なにより、その人の体調、その季節、天候をも考えて、メニューを組んでいくのは「思いやり」と「もてなしの心」と「創造性」を含んだ「思考のゲーム」だと思う。


でも、大概こういう説明はつけ加えません。ただ「コース」(この極く一般的な言葉を選ぶ)料理と答えるだけ。ただの「食いしん坊」と思われている方が気楽です。


それはともかく、いまニューヨークで気に入っているレストラン、ご参考までにあげておきましょう。ただし、臨場感を増すためにホームページをもっている店だけに絞りました。今夜は、バーチャルですが、ウエブ上でニューヨークレストランめぐりをお楽しみ下さい。


その壱 「Dovetail / ダヴテール」 


シェフはパリのタイユヴァンなどで経験を積んだロサンジェルス出身の、ジョン・ フレイザー。今年2月の ニューヨーク・タイムズのレビューで は3つ星を獲得している。
ペストリー・シェフを勤めるヴェラ・トンは 、ロシアン・ティールームなどでキャリアを積んだ女性シェフ。メインのお薦めはラムなど 肉料理かな。デザートはブリオッシュ・ブレッド・プディングがニューヨーク・タイムズのレビューでも評価が高い。今のニューヨークは、こういう感じが多い。
先ずは、お薦めは70ドルの5コースのテイスティング・メニュー。内容を考えると非常に良心的です。


その弐 「Dell' anima / デルアニマ」

元ル・ベルナダンのシェフだったガブリエル・トンプソンと、人気レストラン、バッボの元ソムリエ、ジョー・カンパネールによるカジュアルなイタリアンとワインが豊富にそろった良い感じのフレンドリーなレストラン。パスタはどれも外れがない。ゴルゴンゾーラーに浸したリブアイステーキもおいしい。

その参 「Freemans / フリーマンズ」

一種の家庭料理の店でしょうね。マカロニ&チーズとか、テクストとしてはくだけた家庭料理、ただ、すべてレベルが高い、おいしい。ちょっと隠れ家的なローワーイーストサイドという場所と、その鹿や猛禽の剥製が飾られた独特のインテリア、そういうものが合わさって、ニューヨークらしいヒップさがあります。


その四 「Shorty's 32 / ショーティーズ・サーティー トゥー」

シェフは、ジャン・ジョルジュに長年務めたジョシュ・エデン。ニュー・アメリカン・レストランといわれるアットホームな小さな店で、一種のコンフォート料理をハイレベルにしたメニュー、ハンバーガー、ショート・リブ、マカロニ&チーズ、カントリー ローステッド チキンといったアメリカ人に馴染みの深いメニューのくせに、デリケート。ジャン・ジョルジュで12年のキャリアですから、推して知るべし。


その五 「Gemma / ジェマ」

スノッブなボワリーホテルの一階のイタリアンレストラン。スノッブな場所の割りには、意外にクラッシック(土俗的)でシンプルなイタリア料理です。そこは、好感がもてる。インテリアもアットホームというのか崩れ具合が実際にみると良い。ねらい方がおもしろい。
なにより、この店の特徴は、場所柄、マドンナとかケイト・ハドソンとかの有名人とかニューヨークの社交人種があつまるというところかな。まあ、ニューヨークらしいレストランということで。

  百歳堂日乗



 



copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-05 22:22 | An Aesthete's Lament

8月29日(陰、大雨の予報あり)  良き時代の「感覚」を越えられるのか もしくは A.Sulka & Company


百歳堂日乗


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An Aesthete's Lament 
Sulka

百歳堂 |  衣服をつくるという「感覚」



SULKA(シュルカ)、それも、ここは拘って、「A.Sulka & Company」と云おう、なぜなら、シュルカのロゴは時代によって多分3回変わっていて、60年代以前の、「A.Sulka & Company」と記されたラベルがついていた時期のものに秀逸なものが残されているからだ、、、シュルカは、古くはノエル・カワードがそのシグネチャーであるシルクのドレッシングガウンをつくらせていたことなどで知られるハーバーダシャー(紳士雑貨店)、カワードだけでなくウインザー公、チャーチル、クラーク・ゲーブルなども顧客だった。「A.Sulka & Company」というラベルの時代のシュルカは、こうした一家言あるような顧客にある種の信頼があったように思われる。残念ながら既に、店を閉じてしまって久しい。そのラベルが変わる毎に、時代の変化もあったろうが、店としての質も変わっていったように思う。経営者も何回か変わり、最後の持ち主は、カルテイエなどを有するヴァンドーム グループだった。

シュルカに限らず、この時代の良いハーバーダシャー(紳士雑貨店)に私は魅かれる。事実は歴史の向こうにいってしまったので確かめることは適わず、こちらの「思い込み」かもしれないが、想像のなかでは、ワクワクするような品で溢れた店内が浮かんでくる。



その「思い込み」の理由は、残された幾つかのもののクオリテイーにある。ただ、それはいまの「質の高さ」というのとも違うように思うのだ。単に、貴重なビキューナーとか今はない織りとかいう「素材の珍しさ」のせいだけとも言い切れない。
仕立てが違う?確かに、よくできているが、部分的には今のほうが優れたものもある。
じゃあ、いったい何が違う? それは、そのものを作る「考え方」、或いは「感覚」が違うように思えてしかたがない。例えば、ここに「贅沢なスカーフ」があるとする、その贅沢なスカーフという言葉から思いつくイメージが既に今とは違っている。多分、その「感覚」に魅かれるのだと思う。それは、「デザイン」じゃないんだな、

「贅沢なスカーフ」とは、こういうもんだよ、という「感覚」。それも、フラフラしたものじゃなくて、分厚い経験と遍歴に裏打ちされた、言い切ってしまえる「感覚」。その時代の幾つかのものは、そういう、はっきり言い切った「存在感」が伝わってくる。「今年の流行です」と云うのとでは大きな違い、


時代も違う、ライフスタイルも違うといってしまえばそれまでだが、例えば「スカーフ」に対する考えが単に「かっこいい目をひくスカーフ」という「セールスポイントを備えた商品」ではなくて、スカーフの歴史を経て、紳士が身に着けるべき美しいスカーフという、スカーフそのものの「存在」になっているような違いだと云うことができる。


その違いが、スカーフの微妙な幅や、長さや端のフリンジの始末の仕方や色の組み合わせ、もろもろに影響して、ひいてはバランスや量感そのものに違いをあらわす。そして、それは「時」に風化されない美しさをもつようになる。デザイナーがビンテージを繰り返しコピーするのは、そこにあると思う。「デザイン」では適わないものが、そこに存在するからだろう。


「感覚」という言葉の選び方は正しかっただろうか、誤解を多く生み出してしまいそうだ、ここで云いたかったことは、「感覚」は「学習」とは違う、ここまでは分かってもらえるだろうか、そして「感性」とも違う、
「感覚」と「感性」の違いは、例えばこういうことだ、ものを作るとき、手先が無意識に描いてしまうものが「感覚」だ、いつも慣れているように、或いは、ここはこうするのが当然だから、つまり「感覚」は染み付いたもので、それまでの自分が実体として現れる。それは「事実」としてある。

優れたピアニストが、指先に「感覚」を押し込めるために、飽きることなく練習することを想像してほしい。そして、指先が覚えた「感覚」は、時に意図していた以上に鍵盤の上を踊り、さらなる地平をみせることもある。つまり、優秀な「感覚」は、それ自体が独立していき発展していくのだ。


「感性」は、その「感覚」に至る前のもので、身体や肉体がしっかり覚える以前の頭のなかのものと、私は意図している。どうだろう、分かってもらえるだろうか、


私は、職人さんと仕事をさせてもらうとき、まずその「感覚」を確かめていく、それは一朝一夕にできあがるものではないのだ。「感性」のレベルで話し合っていても、私の欲するものは生まれないことは、もう知っている。この部分においては、私はエゴイステイックな体験主義者なのだ。


これからスタートし始める六義のハンドメイドのレデイ トウー ウエア「GINZA 1」や「Made to Measure」も、実は、この「感覚」を目に見える形にしたいとうエゴな願いがベースになっている。

フルオーダーのクライアントとコラボレーションしていく愉しみとは別に、純粋に今まで得た、或いは、その得たものから発展させた、私が魅かれる「感覚」を形にして提示したいというのが正直なところ原動力になっている。

ただ、これは大変な作業なんですね。私の拘りは強いし、理解できる技術や仕様ばかりでなく、「感覚」を具体的な作業に落とし込むのには体力と時間がいる。そして、情熱がいる、ときには菓子折りや一升瓶で職人さんを懐柔する必要も生まれる、、、これは半分、冗談ですが、、、しかし、愉しい作業ではあります。


そうそう、シュルカの話だった、、、





シュルカのスタートは、アモス・シュルカとアルザス・ロレーヌ出身のシャツ職人レオン・ウルムザーが出会い、1895年にマンハッタンのブロードウエイの下町に小さな店を開いたことから始まる。その店の経緯では、ラスベガスを作ったバグジーらギャングスターが自分たちの気に入るシャツをつくるため出資していたともいわれている。ウルムザーは腕の良い職人だったと見えて、身体に正しくフィットするそのシャツは評判を呼び、富裕な顧客も店に出入りするようになって、1904年にはパリの店をオープンするまでになる。


比較的早い時期に、パリの店がスタートしていたということもあり、私はてっきりシュルカはヨーロッパを出自にした店だとばかり、長い間、信じ込んでいた。
ロンドンの店があったという記憶は私には不思議にない、チュルリー公園近くのパリの店はいつも滞在していたホテルの近くだったということもあり、記憶に残っているし、名が知れていた。
確かに、色だしの綺麗なストライプのシャツが豊富にあって惹かれたことは、いまでも覚えている。


シュルカのスペシャリテイーは、創立以来、やはりハンドメイドのシャツとネクタイだった。面白いのは、店独自でクリーニング店をもっていたことで、当初は縮み防止のためシャツ地を仕立てる前にあらかじめ一度洗いにかける必要と、店の職人が作業中につけた指の跡などの汚れを最後に一度洗い落とす必要があったからだったらしい。パリの古い仕立て屋でも、そうやって仕立て後に一度、洗濯に出してからアイロンを当てて客に手渡す店もあった。ちなみに、六義のビスポークシャツでは、一度、生地を「地のし(地直し)」(布を水にある時間つけた後、重しをかける)をしてから、仕立てることにしている。


そして、1917年からは顧客へのランドリーサービスを始めている。このおかげで、シュルカのシャツを着る顧客は、下手に巷のクリーニング屋に洗濯に出して、シャツにダメージを蒙る心配もなくなった。これは、実に好評だったらしい。(これは、うちでもスーツに限っては、選んだ水洗いのクリーニングに出すサービスはしている。ただし、コーヒーなりを上着、或いはパンツの全面にわたってこぼしてしまったとかいう緊急事態のみで、原則としては、いくら水洗いでもスーツのクリーニングはお勧めしていない。持ち込まれるもののほとんどは、いわゆる「スポンジング」で済む範囲の汚れが多い。
着た後の日常の手入れ方法と、呼吸のできるスーツカバーをお渡ししてそれに入れて保管することを基本に勧めている。ブラッシングも生地によってはお勧めしない。)


この時代のシュルカのシャツ生地は、リヨンで特別に織らせたものだった。実は、このラベルの期間、シュルカは自身のミルをリヨンに持っていたのだ。


この時代の広告によく「Sulka Silk」という表記がでてくるが、これは単なる広告表現ではなく、事実、自社ミルで織ったシルクなのだ。リヨンは、長く絹織物の産地として名高い街で、この時代のシュルカのシルクは確かに、質と独特なデザインがある。


そして、これは、シャツ、ドレッシングガウンだけでなく、なにより、そのハンドメイドのタイに使われた。シュルカのタイが、この時代、他と比べて優位性を保ち、一家言ある顧客に好まれた理由は、ここにある。タイの生地そのものが自社ミルでつくられているからこそ、あのバリエーション豊かな、時に特殊な織りの質の違うものが生まれたのだ。


シュルカは時に大胆ともいえる贅沢な素材の使い方をしている、特に黄金期の末期ともいえる60年代は、その時代の雰囲気もあったせいかアバンギャルドとも云えるものもあった、当時のある広告には、最上級のビキューナーを使った、男女お揃いのドレッシングガウン、本物のレオパードスキン(豹柄)に、裏地にビーバーを張った手袋というものも登場している。誰が買うのかというなかれ、なんとロマンとファンタジーをもったハーバーダシャーだったろう。

  百歳堂日乗





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by momotosedo | 2008-08-29 03:23 | An Aesthete's Lament

8月20日(夏日)  「クニーシェの150年」





An Aesthete's Lament 
Knize

百歳堂 |  クニーシェの150年




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ウイーンのテーラー「クニーシェ」から、創立150周年を祝う、デイナーパーテイの招待状が届けられた。

会場は、1区のアルベルテイーナ美術館内のハプスブルグステイトルーム(あのウエッジウッドの間など、歴史的な部屋がそのまま保存されている部分)。時はウイーンの秋の或る日の夕刻。

クニーシェも150年、

会場のアルベルテイーナ美術館は、ご存知の通り世界でも有数の美術コレクションをもつことで知られている、
これらは、主に最初の持ち主だったアルバート公爵とその妻(マリーテレジアの最愛の娘)マリー・クリステイヌによって集められたということで、1916年までは、その末裔のフリードリッヒ公爵の個人の持ち物だった。
絵画コレクションの数だけで、6万点、歴史的な版画類になると100万点ぐらいあるらしいから、それが個人の所有というのは、確かに、たいしたものだった。
アルベルテイーナー美術館、そしてそれを巡る歴史に現れる人物たちは、なかなか興味深いのだが、ここで話し終えるにはウイーンの歴史は深すぎる。



クニーシェが、もうひとつのテーラー 「C.F.フランク」との共同体であることは、あまり知られていない。「C.F.フランク」はプリンス オブ ウエールズ時代のエドワード7世のロイヤルワラントも受けている老舗で、それは、いまもクニーシェのアトリエに飾られている。現在のマスターテーラー、ニードルスース氏は、もともとはこちらの流れを引き継ぐ人だ。


C.F.フランクどころか、クニーシェの名前すら、六義を始めた3~4年前には誰も知る人はいなかった。六義をスタートさせたころに、雑誌の取材をいろいろ受けるなかで、どこで、スーツを作っているかとか、どこの靴が好きかとか聞かれて、「クニーシェ」や「ルドルフ・シェア」の名を出しても、マスコミの人で知る人はいなかった。


「ラスト」と言う雑誌で、個人的な靴のコレクションを取材されたとき、思い出深い靴というので、「シェア」のボタンアップブーツを取り上げたことがきっかけで、ラストは、東欧特集をくみ、シェアが雑誌で紹介されることになった。

ウイーンで、もうひとつ頼んでいるのが、通りに隠れた一軒の帽子屋で、これは驚くべきクラッシックな製法、素材でいまも営まれている。
多分、ロンドンやパリが失ったものがそこにいまだある。なにしろ、帽子を飾るシルクリボンひとつでも、そのストックがすごい。それらは、100年ほど前のものも含めて、もはやアンテイークともビンテージともいえるもので、それを見てるだけでもあきない。


クニーシャやシェアに魅かれるところは、その作り上げるスーツや靴だけでなく、その人たちの「品の良さ」で、街に良き時代の人柄とか気質が、いまだ残っているのがウイーンの良さだと思う、これは、ロンドン、パリ、ローマ、ウイーンと移動生活を送っていると自ずと浮き上がってくる。


カードには、私の名前と末尾に「Frau」とあるのは、「〇〇様とその女性」、つまり女性同伴ということでこれはヨーロッパの社交の慣用ですね、、、そういえば、ロンドンの悪友はあれからどうしたろう、、、








copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-08-20 17:16 | An Aesthete's Lament

8月12日(猛暑日)  2009年7月22日





An Aesthete's Lament 
2009
年7月22日
百歳堂 |  宇宙が伝えたいこと



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久しぶりに、ハイスクール時代からの友人からメールをもらった。彼と出会ったのは、学校の図書室で、私は一時、「20世紀の知的冒険」(貸し出し不可の古い本で、著者名はもう忘れてしまった、ヨーロッパの哲学者の誰かだったと思う。刺激的な文章に魅かれたのだ。山口昌男の同名著書とは全く別物)という本に夢中で、ことあるごとにそれを読みに通っていた。

その、図書室でいつも天気図を開げていた少年が彼で、興味を覚えて声をかけたのがきっかけだった。彼は、そのころから天文学者、或いは気象学者になることを目指していた。かなり、確固とした意思で、そして、事実そうなった。

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彼のメールは、8月1日の皆既日食についての報告と、2009年7月22日に約46年振りに日本の皆既日食帯でそれが見られるから一緒に見に行こうというものだった。(写真は、国立天文台のHPから転載)


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何でも、日本で皆既日食が見られるのは、1963年7月21日の北海道東部で見られた皆既日食以来だという。ちなみに、次回は2035年9月2日に北陸・北関東などで見られるという。当たり前なのだろうけれど、そんなにきっちり日付と場所まで決まっているとは思わなかった。


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彼がいうには、一度、皆既日食を目の前で体験すると考えが変わるという。彼は、科学者だから、そんなにロマンチックではないので、それまでの「考え」が「リセット」されると表現していた。

人間は、自分の想像以上に大きな考えに触れると変わる。または、それに魅かれて、影響を受ける。

それが、ハイスクール時代の私には、一冊の書物だったし、彼にとっては天気図だったのだろう。皆既日食を体験するということも、宇宙という大きな考えに触れるということで、溜まった雑念が「リセット」されると言うのは想像できる。

太古の昔から、人は太陽と天体に教えられてきた。

「水」の問題もそうだが、いまのひねくれて複雑になってしまった現代人の心も、軽くひねってしまうような新しいアプローチの「大きな考え」が、そろそろ必要なような気もする。それは、エコとか京都議定書とかとも違うような気もするのだが、、、


2009年7月22日、愉しみにしていよう。









SWEET MY LITTLE REAL LIFE
2009
年7月22日
百歳堂 |  宇宙が伝えたいこと
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa











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by momotosedo | 2008-08-12 15:41 | An Aesthete's Lament

8月9日(猛暑日、谷選手、銅メダル)  An Aesthete's Dream 






An Aesthete's Lament 
An Aesthete's Dream 

百歳堂 |  審美主義者の夢




オリンピックの初日、谷選手、残念でした、でも、この方は強い精神をもっている、敗者復活戦でみせた粘り腰と、そのあとのコメントは見事でした。

昔、虫明亜呂無という作家がいた。スポーツを「観る」ことを、浪漫的な文章に昇華しようとした作家で、或る短編集のあとがきにはこんな文章を残している。


「スポーツは恋愛に似ている。両者はともに精神と肉体からなりたっている。それも不安定でたえず動揺している精神と、つねに精神を裏切ることにかまけている肉体を共有することで、両者は人間の営みのおなじ領域に属している」


恋愛に似ているかどうかは一種のレトリックとしても、確かに、スポーツを「観る者」にとっての醍醐味は、たえず動揺している精神と肉体の葛藤を「観る」ことにあるように思う。

そのなかで、見事に強靭な精神と肉体に出会うと感嘆する、傷ついた肉体を引きずった動揺する精神が困難に打ち勝つと感銘する。


強靭な精神と肉体には、誰もが憧れるが、それをもっている人は少ない。


本日、シャツの採寸で訪れて頂いた、やせて見えるS氏の背中には、武道で鍛えた強靭な三角筋があった。

ご要望も、クラッシックなデチャッタブル式のシルクシャツで、それもご自身のメインテナンス経験(着易い、洗いやすい、アイロンがしやすい、、、)を踏まえた細やかな指摘があり、それは、デイテールをむやみに増やしたいという人が多い中で、実用上納得できる簡素化と、体験のうえでの仕様変更だった。ここには、「精神」があると思う。


私はといえば、ここ3年で〇(秘密、、)kg太った。 、、、なんとかならないか。








SWEET MY LTTLE REAL LIFE
An Aesthete's Dream 

百歳堂 |  審美主義者の夢
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by momotosedo | 2008-08-09 23:39 | An Aesthete's Lament

2008年8月8日(猛暑日、そして地震、ペキンオリンピック開会式)  An Aesthete's Lament





An Aesthete's Lament 
An Aesthete's Lament 

百歳堂 |  2008年8月8日





ロンドンの悪友から、またもや電話、結婚を延期しようかと思うと言い訳を聞く。何とでもやってくれ。

しかし、チャールズ・アレンが彼の新作「KIPLING SAHIB」を中心に開く、ラドヤード・キプリング(「ジャングル ブック」などで知られる英国の作家、詩人 1865~1936、英国人作家初のノーベル文学賞の受賞者、ちなみに彼は1891年に我がクラブのメンバーになっているという、知らなかった、、、)のトークデイナーを奢ってくれるというので、一緒に行く約束をする。デイナーの後には、楽曲つきでインド人俳優がキプリングのバラッドを朗読するという。

何故、「インド人」俳優なのか?、キプリングは、ボンベイ生まれで、つまり「アングロ インデイアン」(大英帝国のインド領地生まれの英国人を指す)。インドとの結びつきは深く、インドを詠った詩も多い。旅行家でもあり、日本にも訪れているらしい。人種差別家の傾向もあった、ただキプリングの生涯と作品は強い光と陰が交錯しているようにも思えて興味があった。この機会に、スペシャリストに話を聞いてみたい。

そして、そこに、彼のガールフレンドが登場するのか、言い訳がはじまるのか、、、


TIさんからコメントをいただきました。TIさん、ありがとうございます。

TIさんのおかげで、ユイスマンス、マンデイアルグを再読するきっかけを頂いて、少し栄養を補充することができました。このブログを、お読みになっている方の中にも、そういう方がきっといらっしゃると思います。ありがとうございました。


それに、「テーラー六義」をお読みになってくださり、スーツも誉めて頂いて光栄です。テレ屋の私は、少し照れます。私には、美しい服への強い拘りがあるようです。4ボタンのウインドペインのダブルブレステッドとは、良い選択ですね。少し大柄のウインドペインをダブルにするのは、いまや躊躇する方が多いですが、これはクラッシックで、仕立てると品もあります。一種の新鮮さもありますね。


さて、オリンピックも始まりました。ここしばらくは、オリンピックの話題に尽きることと思います。
いろいろペキンオリンピックについては論議もありますが、開会式はよくできていたなあ。できすぎていて、ちょっとデジタルっぽかったなあ。そして、想いの外アクロバッテイクでした。










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An Aesthete's Lament 

百歳堂 |  2008年8月8日
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by momotosedo | 2008-08-09 03:02 | An Aesthete's Lament