カテゴリ:■テーラリングの旅( 9 )

10月2日(秋 晴天)  グローバリーゼーションとスタイル  その10  テーラリングの旅 2



百歳堂日乗
ART of Tailoring  


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私は、一人前の男にとって、頼りになるテーラーというのは事情が許すなら、いた方が良いと思う、いや本心は、いるべきだと思う、上手くは説明できないけれど、良いテーラーにあたれば、この世の中を少しは愉しくサヴァイヴする一助を得られるように思う、

この「頼りになる」テーラーというのが、今は難しくなっている、多分、どの国でも、いまや探すのは難しいと思う、
「頼りになる」というのは、ひとつには良い服がつくれることはもちろん、正しい服や布地の知識は云うに及ばず、説明が難しいが男が生きる「手助け」をしてくれるということではないかと思う、


私が若い時分の、パーソナルテーラーにはそれがあった、例えばアスコットなどでの振舞い方、そこでの帽子の扱い方、或いは誰それはうちの顧客だから、それとなく云っておきましょうとか、随分と若い私は助けられた、
とにかく、この人たちに身を預けておけば、それなりの自分になれるという安心感があった、
少なくとも、外側だけは、、(しかし、外見がそれなりになるということは、世の中を歩いていくには思っている以上に大切で、しかも、外見は内面へと影響していくことを忘れてはいけない、だからテーラー選びは男にとって重要で、後述するパブリックスクールの上級生の言は、単にスノッブというだけでない、)

だから、その頃のパーソナルテーラーの幾人かには、本当に紹介でもない限り頼めなかったし、テーラーも顧客を限定していた、いま、パーソナルテーラーが何人いるのか、いないのかは知らないが、今は多分、様変わりしていて、そんなことは遠い昔の話になってしまったことだろう、

「頼りになる」テーラーを選ぶコツは、やはり経験豊富な人の方が良く、できればクラッシックで格好良い服を仕立て続けた人の方が良い、

昔は、パブリックスクールの上級生は、「服はロンドンで仕立てろ」と下級生に忠告するのが常だった、つまり、ロンドンのカットと仕立ては「洗練」を意味していた、だから、「デンマン & ゴダード」はイートンに支店を出し、イートンとのつながりの中で、彼らの将来にふさわしい服を提供した、それは、やはりテーラリングが違っていた、いまはどうだか知らない、私が感じる限り、80年代後半には、そういうものは一部のテーラーにしか残っていなかった、社会のエトスが変わるにつれ、60年代後半から、様々な「澱」のようなものが溜まっていって、いくらビスポークといえど変わってしまったのだ、

この3人のお爺さんたちが作っていた服について触れる前に、云っておきたかったのはそうしたことだ、これは、私も随分後になってはっきり気づいたことだが、お爺さんたちは、正真正銘の「クラッシック ビューテイ」をつくっていたのだ。






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by momotosedo | 2008-10-02 19:45 | ■テーラリングの旅

10月1日(陰 秋)  グローバリーゼーションとスタイル  その9  テーラリングの旅 1


百歳堂日乗
ART of Tailoring  

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20代前半に、私は3人のパーソナルテーラーのお爺さんに出会っている、それぞれが個性的で、人間的にも面白く、懇意にしてもらったのは幸いだった、それは、今考えれば私の「テーラリングの旅」の始まりともいえる、実に恵まれた出発だった、


このお爺さんたち、3人それぞれ、少しづつカットも、縫いも違う、芯地の作り方なども、当時は意識していなかったけれど厳密に云うとかなり違っていたのでなかろうか、面白いのは、各人ともに「テーラリングの秘密」というのを持っていて、これは私だけの秘密だけどラペルの芯には○○を使うとか、ソフトショルダーと呼ばれる肩パッドを使わない独自のカットの方法とか普段は他人には見せないという「企業秘密」をもっていることだった、それがどの程度の秘密で他に知られていないかは定かでないけれど、たしかに三人三様に独自の「テーラリング」を編み出していたからこそ、一目置かれていたのだろう、


白状すると、20代前半の私は遊び盛りで、極く単純に、ロンドンのクラブでも、ローマでも、パリでも、南仏の地でも、とにかく並み居る遊び仲間と先輩たちに張り合える、かっこ良い、かつ文句のつけられない、エレガントな美しい服が欲しかった、それは実にシンプルな動機で、私はそのお手本として古のダンデイたちの写真を集めたりして、気に入るものを探していたにすぎない、

お爺さんたちと、付き合いはじめたのも良い服が欲しいということでの巡りあわせだったけれど、それが長続きしたのは、実際のところ、会話が面白かったのが大きかったりする、

テーラーは妻より私のことを知っている」と云うけれど、多くの男たちにとってテーラーは一種の気のおけない「サロン」であり、心を許す「戦友」のようなものでもあり、或いは優秀な「バレット」なのだと思う、
事実、良いテーラーほど話題が豊富で、思わず聞き耳をたてる裏話も知っている、「bespoke」という本当の意味合いはむしろココら辺りにあるのではなかろうか、


当時のパーソナルテーラーのアトリエは、サビルローの大きな店と違って寛いだ雰囲気があった、採寸とフィッテイングをおこなう客間には大概、造り付けのマントルピースがあって寒い季節になると薪が燃やされる、これはリラックスした雰囲気でなかなか良かった、洒落たアンテイークの姿見など調度品にもテーラーの趣味が現れていて、布を広げる大振りのテーブル、その下には布地やバンチが納められている、やはり、サビルロー同様、革張りのズッシリした顧客台帳があって、それに顧客のデザインの覚書などを記していく、

雰囲気だけではなく、顧客対応も同様で、ファーストネイムで呼び合っていた、私が若かったせいもあるのかも知れない、



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(つづく)





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by momotosedo | 2008-10-01 10:06 | ■テーラリングの旅

9月25日(秋のような、、、) グローバリーゼーションとスタイル  その8  テーラリングの創造力3




百歳堂日乗
ART of Tailoring  
HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングの創造力

ART of Tailoring



ART(=意味のあるもの)とrubbish(=ゴミ、くず、意味のないもの)、これがお爺さんの口癖であり、テーラリングや出来上がったスーツを評価する、たった二つの言葉だった、



● 



お爺さんは、私が頼んだあの「ゲーリークーパーの6ボタンダブルのスーツ」の作成過程を見せてくれることになった 





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by momotosedo | 2008-09-25 15:42 | ■テーラリングの旅

9月22日(秋雨のち陰) グローバリーゼーションとスタイル  その7  テーラリングの創造力2



百歳堂日乗
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HARD TALK
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百歳堂 |  テーラリングの創造力

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このお爺さんの、スタイルに関する知識は膨大なものだった、それは、タウンスーツの数々、カントリスーツ、ブレザー、バイウイングジャケット、ブリーチーズ、ハンテイングピンクと呼ばれる正式な狐狩りの衣装などのスポーツクローズ、またそれに合わせる様々なウエストコート、タウンコート、スポーツコート、テイル、スペシャルオケイジョンと呼ばれるフォーマル、までを網羅する、

「網羅」と一言でいっても、例えばタウンコートでも、チェスターフィールド、カバートコート、ポロコート、などはいうまでなく、呼び名は知らないが、ロンドンでは30年代に一般的だったというアルスターカラーのダブル前に背にウエストバンドがついたものなど、そのひとつひとつのバリエーションは数限りなくあり、若い私には、見たこともないスタイルが随分とあった、しかも、これに、それぞれのスタイルにあい相応しい生地という知識もある、

70年代後半の時点で、すでにお爺さんは「いまのテーラーは、テーラーとしてのクラッシックなコレクトスタイル(正しいスタイル、デイテール)の知識がない」と言い切って、迷いがなかった、

昔の英国では、サビルローのテーラーのことを、皮肉と尊敬をこめて「服の番人」と呼んでいたらしいが、その意味が実感として分かった、この人の頭と手には、あらゆるオケイジョン、あらゆるスタイル、あらゆる時代の服の「コレクト(正しい)」なバランスとデイテールのさまざまが、新鮮な血液として勢い良く巡っている。いや、もはや「全身テーラー」といえる、


この「コレクトスタイル」というのは、「あたりさわりのない服」というのとは違う、
スウインギングロンドンの洗礼をうけた当時の私でも、クラッシックな服というのは、時にこんなにアバンギャルドなのかと思うほど、スタイルによってはスラントは急角度で切られ、コートは見たことも無い凝ったデイテールがあり、逆に「魅惑的」なのだ、カっこ良いのだ、

考えてみれば、古い写真をみてもわかるように、少なくとも50年代以前の方が、服のバリエーションが今よりも多岐にわたっている、フォーマルが簡略化されたように、いつのまにか男のスーツも「2ボタンか3つボタンのフラップポケット」と退化、簡略化されて私にはその「魅惑」を失ったように思える、それは時代の要請だけでなく、こうした「コレクトスタイル」を自在に操るテーラーがいなくなったせいにもあるように思えて仕方がない、


ART of Tailoring


「コレクトスタイル」とともに、お爺さんの拘りに「アート」がある、

例えば、チャコールグレイのピークドラペル、2つボタンのシングルスーツ3つ揃いの、ラペルの上衿は、首元から、かなり、目を奪われるほど、抉れるほどの急カーブを描いて下衿に繋がっている、スーツ全体のバランスは、やや広めの肩、絞ったウエスト(ただし、この場合は、そう極端ではない)、と文字通りクラッシックなイングリッシュドレープで、チャコールグレイという地味な色もあり、上品な服という印象なのだが、そばで話していると、その衿のカーブに魅きつけられるのだ、それは、こちらが着ている服に引け目を感じるというほど、魅力的なのだ、変わっているのだが、クラッシックと認めてしまう力があって、単なる「変わったデイテール」ではなく、その服をそして着ている本人を「尊敬」してしまうのだ、、、言わんとするところが、うまく伝わるだろうか、

それが、お爺さんがいうところの「ART アート」なのだ、
                                                                                                            
(つづく)



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copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa



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by momotosedo | 2008-09-22 23:58 | ■テーラリングの旅

9月20日(台風は去ったのか)  グロバリーゼーションとスタイル その6 テーラリングの創造力


百歳堂日乗



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百歳堂 |  テーラリングの創造力



テーラリングの創造力(クリエイテイブ)」、これは説明しづらい、説明し出すと誤解を多く含んでしまうテーマでもある、そして本当は、語らない方が良いとさえ思うのだが、一方で、一度、整理しておきたいとも思うところもあり、とりあえず連休3日でゆっくり整理というつもりで挑戦してみよう、

このチャレンジ精神のきっかけになったのは、クライアントのA氏との電話でのおしゃべりだった、A氏はロンドンから戻ったばかりで、以前から何着かつくっているソフトショルダーで有名だったサビルローの或るテーラーにスーツを引き取りに行ったところ、「もう全然、違うんですよ、それにソフトでも何でもない、残念でした」、それで注文も止めてきたということだった、(これは、あくまで個人的な感想であることを、その店の名誉のために特記しておかなければならない、)

これは、分かる気がする、私も同様の経験を繰り返してきたから、ただし、A氏も私もテーラリングへの拘りはかなりマニアックといえるのはおことわりしておいた方が良いと思う、

話をすすめる前に、「テーラリング」という言葉の私がここで意味するところ、言葉の厳密な意味では、様々な解釈があり、それらは各人の語り方で全て正しいといえるが、ここでは、すべてのことを含んでいる、つまりパターン、カット(裁断)、縫い、など、そして「考え方」、

そして、ここでいう「テーラリング」はあくまでビスポークでのことで、工場生産の既製服、あるいは「パターン オーダー」と混同されてしまうと困る、(パターンオーダーは、オーダーという言葉がついているのが混乱を招くが、工場生産である限り既製服の一種だと思う。システムの構造上、そう割り切って考えた方が良いようにも思う、
パターンオーダーについては、幾人かのクライアントの方からも度々意見を求められるけれど、私が、或いはアトリエとして、目指している方向とは180度以上違いすぎるので、自分では着ないだろうというしかない、)


さて、単なる技術論に終わらせないために(細かい技術的なことは別に詳しい文献があるはずで、ここではそれをめざしていない、それに、それは膨大なものになってしまう)「私」がテーラリングに拘り出した、その「進化過程」を整理してみよう、上手く整理できるかな、


 出発点の「私」 -------ひと言で言えば、「カっこいい、質の良いスーツが欲しい。」(基本的には、いまも変わらない)、このとき、大概各人によって、ある種のイメージがあるはずで、例えば、ケーリー・グラントが「汚名」で着ていた、チョークストライプのダブルブレステッドと同じものが欲しいとか、、、私の場合は、20代の初々しいゲーリー・クーパーが着ていた完璧な6ボタンダブルのスーツの写真だった、
ゲーリー・クーパーは、日本では、その代表作「OK牧場の決闘」とかの西部劇の印象が強いことも災いしてダンデイなイメージが薄いが、20代、30代の頃の姿は、実に仕立ての良いクラッシックなスーツを着こなしていて、なにより、長身痩躯のスタイルの良さ、後年、自身でも絵を描くのを趣味にしているぐらいで、品の良さがあった、


その、写真を携えて20代前半の私は、クーパーが頼んでいたと言うサビルローのテーラーへと赴いた、なじみの店ではなく、クーパーが実際に頼んでいたという白い壁に青いテントが印象的なその店を選んだのは、その方が望むものが得られるように思えたからだ、


 「私」の最初の挫折 ------ところが、テーラーで、仮縫いを重ねるごとに、私は不安になってくる、悪くはないのだが、思っていたのとは少し違う、ただ、どこが、どう違うのかは明確に注文できなかった
案の定、できあがったスーツは、ゲーリー・クーパーのとは「違う」、よくできたスーツなのだが、「雰囲気」が違うのだ、


そこで、私は、どう違うのかを、自分なりに解明しようとする、、、まるで、数学の難問を解くように、私は、クーパーの写真に定規をあて、ラペルの幅、ボタン位置、ウエスト位置などを計って、全体のバランスの中での比を割り出していった、いま思えば恥ずかしくなる、、、そして、これを実際に出来上がった私のスーツの上着と比較してみた、それは、確かに違う部分もあるのだが、そう大幅に違うというものでもない、、、

とりあえず、私は、この「研究成果」をもとにして、もう一着つくってみることにした、しかし、専門家の意見を聞くべきだと思って、こんどは、なじみのサビルローのテーラーにいくことにした、



 もう一歩を踏み出した「私」 --------なんとなく、バツの悪い思いをしながら、私はなじみのテーラー氏にコトの次第を説明した、
テーラー氏の口から出てきた言葉は意外なものだった、これは、「今」のサビルローのスタイルとは違うのですよ、カットの「考え方」が違うんです、カットが変われば縫いの考え方も違ってきます、カットが変わって、コートメーカーが縫いづらくなるということもありますからね、私たちはチームワークでやっていますが、縫いを管理するということは結構大変なんです、



さて、ここで「カット(裁断)」という言葉と、「縫う」という言葉に私は出会う。そして、英国では、それが分業されていることと、本来、カッターが縫いを「管理」しているということ、

そして、「カット(裁断)」と「縫い」は密接につながり、両方とも優れていれば問題はないのだが、極端にいうと、「カット(裁断)、パターン」がひどいと、縫えなくなる、或いは矛盾が出てきてしまう、これは、既製服を扱うメーカーや工場では冗談ではなくあるらしい、或いは、工場で縫製できるという限界でのパターンがつくられる、

ビスポークでの「カット」と「縫い」は、スタイルをつくりあげるということと、フィッテイング、或いは補正という2面がある、

このことに詳しく触れる前に、分業ではなく丸縫い(裁断、縫いなどすべてをひとりのテーラーが行う)という意味について述べておこう、

先ず、丸縫いをするテーラーが

▼ 採寸をし、クライアントと話しながら、そこで得た、補正の問題とスタイルの考え方をもとに

▼ クライアントごとに、手でパターンを作成し、

▼ 裁断し仮縫いを作る、

▼ 仮縫いは場合によって何回が繰り返され、クライアントの意向を聞きながら、それはボデイとスタイルに合わせて修正されていく

▼ また、その何回かの仮縫いで、カットの修正だけでなく、そこに現れない「縫い」についてのプランが明確にされていく、つまり、例えば、胸のボリューム、上着とズボンのつながりを「意識」して、上着の裾を「丸め込む」ように縫っていくなどということは、型紙には現れない縫いの「考え」なのだ、実は、この「縫いの考え(アイロンワークも含め)」というのは良いスーツをつくるためにはたくさんある、

▼ 場合によっては、「中縫い」でのチェックを行い、再度、修正され、また「考え」を再認識する
中縫いは、仮縫いでは表現できない仕上がりの姿を、本縫いの途中で、実際に目で確認するためで、ただ、この時点で変更できる箇所は限られる


これは、云うまでもなく、ひとつの「流れ」である

例えば、これを、Aさん(採寸)、Bさん(仮縫い)、Cさん(型紙作成)、Dさん(裁断)、Eさん(上着の縫い)、Fさん(ズボンの縫い)、Gさん(仕上げ)、、、、という複数の人間がかかわる場合、或いは、C(型紙作成、CAD)、D(裁断 機械)、、、ということも現在では考えられる、、、もっと云えば、Dさん以下は別の国にいるということだってありうる、、、

これは、「伝言ゲーム」みたいなもので、チームワークのケーススタデイとしては興味深くもあるが、充分、実社会でその苦労を見てきた私は、正直、あまり考えたくない、、、それに、クラッシックな良いスーツをつくるということは、クライアントにとって、そしてそれを作る側にとっても、愉しい体験に結実させるべきもので、こうした分業化を進めていくという姿勢は何かマズイものを感じる、

ひとりの優秀なテーラーが、すべてをひとりで行うということは、
採寸で出会ったクライアントの印象から始まって、当然ながら、カットは自分で縫うということを前提として裁断され、縫いは仮縫いで見出された補正、或いは胸のボリュームからウエストへの絞りという、型紙では現れないその服に望まれる美しくつながるラインの流れをつくるためにすすめられる、、、

「Art of Tailoring」、仕立て屋の芸術というものが生まれるとすれば、こうした流れのなかでしか適わないような気がするのは充分、納得して頂けるものと思う、


さて、ここで、丸縫いするからすべてが解決するかというと、それだけでなく、当然、そこにはテーラーとしての資質と気構えの「優劣」があり、また、スタイリッシュな顧客にとっては、そのテーラーの「考えかた」というのが大切だと、いうことに私は気づいていく、、、


 最初の目から鱗の「私」 ---------なじみのテーラー氏は、実に良い人(後年、一緒に家族でピクニック?に行く仲にまでなる、)で、それならばということで、一人のお爺さんを紹介してくれた、
このお爺さんは、多分、テーラー氏の先生的な存在だったと思う、当時、ごく限られたお客を相手にパーソナルテーラーを営んでいた、お爺さん、職人さんという言葉から想像していたイメージと違って、長身でスタイルも良く、何より着ているスーツが見たことないほどスタイリッシュだった、
後年、冬枯れのロンドンを生地を見るために問屋まで一緒に歩いたときに着ていた、しっかり織られたハイツイストの生地で仕立てた長めのカバートコート姿も、いまだに映像として記憶に焼き付いている、

ヨーロッパを駆け巡る或る程度の人たちの間では、「紳士服はロンドンで仕立てるべきだ、なぜなら英国の服は、フランスでもイタリアでもどの国でも尊敬されるから」、という言葉を私の時代には、よく耳にしたものだったが、

それは、単に伝統的なクラッシックな服だから文句がつかない程度に私は思っていた、ところが、その言葉の言わんとするところが、お爺さんの服と、その服づくりを知ることで了解できた、

それは、まさに辺りを払う「威厳」(これは、伝えようとする意味を正確に現していない、)があり、なにしろ「かっこ良い」のだ、20代の私が、シンプルにその時感じたのは、男のかっこよさ、ある種のスノッブさ、オーラーともいえるものだと思う、

なるほど、イタリアのテーラーがサビルローに憧れてやまないのも分かる、この服の前では、クラシコ何とかも、フレンチ何とやらも、子供じみて見える、


このお爺さんとの出会いは、私には衝撃だった、それを、少し、順を追って説明してみよう、




このお爺さんは、テーラー協会の先生的な存在で、サビルローのテーラーが技術的に迷ったときなどは、電話をかけてアドバイスを求めるという存在だった、
なにしろ、出会った最初の言葉が「I`m different、、」(私は他とは違うよ、、)だったから、相当に自信もあり、一家言あるのだなと思った、

 お爺さんがいうには、今のサビルローはクライアントごとに、パターンをたしかに引くのだが、多くのテーラーのそれは、ハウススタイルと呼ばれる「ひとつのモデル」をもとに割りだされたものにすぎない、
少しわかりにくい、
つまり、パーソナルパターンは採寸時に読み取った、補正と、スタイルという入念な考えのもとにゼロからスタートして設計されるべきものだが、いまのテーラーは、その入念な考えというものを、仮縫いに持ち越そうとしている、


これは、当時の私には、正直、分かりにくかった、
サビルローのテーラーは、クライアントごとにパーソナルパターンを作るのを「売り文句」にしているのに、どういうことなのだろう、

お爺さんの説明にはふたつのポイントがある、重複するけれど、もう少し噛み砕いて説明してみよう、

まず、今のサビルローのパターンは、すべて、「ひとつのモデル」から出発している、それを採寸をもとにして、一種の比で割り出して作成し、仮縫いで補正する、

一見、問題ないように思うのだが、お爺さんによると、

パーソナルパターンとは、クライアントの体型、補正のポイント、そしてスタイルによって、ゼロからつくられるもので、そこには、そのテーラー独自の技能と経験、そしてセンスから割り出された「考え」があるべきだ、これがビスポークというものだ、

ということになる、

だから、私が頼んだ1930年代のスタイルは、「ひとつのモデル」から出発したパターンでは、いくら仮縫いで、「それ風」に調整したとしても、その「味」は出てくるはずが無い、当初から30年代のスタイルを私の体型のクセと、「今の時代に着る」ということも考慮して取り組まれなければ、「アート」(これがお爺さんの口癖だった)にはならない、

なるほど、














copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-09-20 10:39 | ■テーラリングの旅

9月8日(夏日)  グローバリーゼーションとスタイルについて その5 テーラリングへの拘り 




HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングへの拘り



「なぜ、私はこだわり始めたのだろう?」 ,
その理由の3つめは、やはり「テーラリング」そのものへの拘りといえる、しかし、この私が辿った経緯と、その中身の真実を説明し切るのは、このブログという範囲のなかでは、難しいのではないだろうか、

ここでは、或る部分に絞って話をしていこう、それと、これはあくまで「ビスポーク」というレベルの話で、いわゆる「工場」でつくられた「既製服」や「パターンオーダー」と混同されては困る、いくら値段が似通っていたとしても、それらは、全く別物で、同じ土俵で語るものではない、と思う。


以前に、お話したように私はいくつかの店でオーダーをくりかえしていた。それらは、多分、夥しい数(数える気がない)で、そして、それらを毎日、着続けていると、続けて袖を通したいものと、どこか不満を持ってしまうものとに、時とともに別れてくる。

この「時とともに」というのがクセモノで、最初はやはり気が付かないのだ。
自分の「美意識」や「見抜く眼」というのは経験と共に成長してゆき、磨かれていく、、それは時間が必要で、私にしても、正直に云って17,8歳でスーツを頼み始めたとき、仮縫い姿ではほとんど出来上がりを想像できず、テーラーに注文をつけることさえ気が引けた、六義で仮縫いに必ず私が立ち会い、クライアントの気持ちを代弁し、できるだけ一方通行にならないよう気をつけているのは、若い頃の私自身の苦い体験による、
(仮縫いに関しては、丁寧な上手いテーラーほど美しい仮縫い服をつくる、これは経験上、そういえる、時に片袖だけつけられた仮縫い服を出すテーラーがいるが、それは少し違うと思う。)


当初、私は名の知れた店で頼めば、そこには或る種、統一された「質」があるんだろうと思い込んでいた、しかし、いつかしら、そこにも「違い」があることに気づき始める。

幸い私は、親切な良いテーラーに恵まれ、そして4都市を移動する生活で、それぞれの街にテーラーを持っていたから比較もできた、何より、ダンデイたちに魅かれ、憧れ、自分なりのスタイルを探していて、テーラーたちとより深い付き合いが出来たことも「見る眼」を養うのに幸いした、

その「違い」は、着心地ともいえるし、どんな場所へも自信をもって着て行ける仕立ての「品」ともいえる、(特に、私はこの「品」というのに拘っているように思う、後で気づくのだが、それは高い技術がなければ適わないのだ)そして、今まで知らなかった優れたものに出会うと、以前は気に入っていたものも、その歩みのなかで、着られなくなってしまう、美意識と経験が高まるにつれて、その許容範囲は狭まり、それに適うテーラーは絞られてくる、テーラリングには違いがはっきりと現れるのだ。

残念なことに、厳しく評すれば優れたテーラリングというのは昔も、今も非常に少ない。それは、一握りのもので、しかも、それを経験しない限りは何が優れているかははっきりと認識できない。しかも、それは何年か後になってやっと気づくこともある。

多分、こういう説明は経験が同じでないと、抽象的で伝わりにくいものだと思うし、どの「高さ」のレベルで話しているのかも正確には伝わらないと思う。少し、順を追った説明に努めてみよう、先ずテーラリングの「質」について、



ウイーン、パリ、ローマ、ロンドンと、これらの店で頼んだ、同じ2ボタン、ノッチドラペル、の3つ揃いでも、そのテーラリングは店ごとに異なる。ここまでは、お分かりだと思う。

次に、いま同じ店で、同じスタイルを頼んだとしても、そのテーラリングの質は既に違うと思う。

その大きな理由は、時代が変わったという事と共に、ヨーロッパの店はその着数を増やすために、分業体制を組んでいるからだ。これは、ビスポークの靴にも同じことがいえる。

カッターがいて、コートメーカー(上着を縫う)、トラウザーズ メーカー(ズボンを縫う)、ウエストコート メーカー(チョッキを縫う)、そして仕上げ担当(ボタン縫い など、飾りステッチもこの範囲に入る場合もある。)。先ず、この人たちが上手い時代もあれば、そうでない時期もある、そして同じ時期でも上手い人と、そうでない人がいる。

しかも、本来は、こうした職人はハウス内に雇われているはずだが、80年代以降とくに、そのアトリエの規模、そしてサビルローならば、人材の不足と経営的に正規に雇いきれないと言う理由もあり、いまやアウトワーカーに出すこともある。注文が殺到すれば、なおさらだ。
当初から、メイキングに関してはアウトワーカーというところもある。
問題は、それが玉石混交だということだ、

事実、20代の半ば頃、或るテーラーでまとめて3着スーツを頼んだとき(まだ、よく分かっていなかったのだ)、仮縫いも3着同時に行われた、しかし仮縫いでは問題が無かったのに、出来上がって、しばらく着ていると、その内のスーパー140‘sの繊細な生地で作ったちょっと変わったピークドラペルのシングルスーツの背の衿元に変なシワが出て気になるのだ、それで修正を頼みに行ったところ、そのアトリエの責任者の気の良いおじさんが、それは、仕立てるのに技術がいる繊細な生地なのに、いつもの上手いコートメーカによるものではなかったからと言われたことがある、3着同時に頼んだから、コートメーカーを振り分けられてしまったのだ。

結局、パーソナルテーラーと呼ばれる、個人で丸縫いをするところに行き着いたのは、こうした理由もある、パーソナルテーラーはサビルローの2倍から2.5倍ぐらいは平気でチャージしてくる、そして京都のお茶屋さんみたいに「一見さんお断り」で、これは年間縫える着数が限られているからだ。

その代わり、実に根気強く丁寧につきあってくれる。テーラリングにも、それぞれの自負がある。

こうしたテーラーは、大概、熟練の技術者で、ギルドの役員をしていたり、サビルローのテーラーや、ニュービスポークと云われるテーラーに指導に行っていたりもする、既に年金が出る年齢の人も多く、その分、自分の愉しみもあってやっているという人も多かった。

そのひとりのテーラーとは、とても親しくしてもらって、ロンドンの昼下がりどきに、アトリエによくお茶を飲みにいって話を愉しむ仲だった。
お爺さんは、或るとき「本当に、私はテーラーをやっていて良かった」としみじみ漏らしたことがある。ロンドンの老人は、年金は物価とスライドするようになっていて、経済的には日本よりましなのだろうが、やはり孤独な人が多い、お爺さんが云わんとすところは、なんとなく分かった。

お爺さんのつくる服には、「品」があった。この時代には、私も経験を経て自分なりのスタイルもあり、また挑戦もしたい時期でうるさく様々な注文をつけていたが、
ただ、そのどれもが今も通用するというのは、お爺さんの服に「品」を与えてまとめていく手腕にあったのだろうと思う。

それと、仕立てが良かった、フルビスポークの醍醐味といえる人を惹きつける注文服ならではの「見栄え」があった。お爺さん自身は、しきりに歳のせいで手が甘くなった、若い頃はもっと良かった、と繰り返していたが、仕立ての「充実」というものがそこにあった。上手いテーラーの手は、意外にふくよかで、艶々している。ガサガサの手では、繊細な生地を扱えないからだ。お爺さんは、歳を経て手の皮膚が老いるのを何より気にしていて、ベッドに入る前にはハンドクリームを必ずつけるそうだ。
お爺さんの、その口癖は、「注文服の仕立ての良さは男を奮い立たせる」というもので、確かに、それを着ると自然に溌剌と歩く自分を発見した。既製服と違って、シンプルな紺のスーツでさえ、その品のある「仕立て」は雄弁に語る。ブランメルが云った「アンダーステイトメント」は単に「地味な服」ではないのだ。そして、そういう服は「長持ち」する。質とともに、時代が変わっても美しさが通用する。この「品」と、着る人を奮い立たせる(元気にさせる)「仕立て」が、なかなか今、見つからない。


このお爺さんだけでなく、一緒に旅行やピクニックに出掛けたりと、私は良い職人さんと良いつきあいができた、それはとても感謝している。それを、今からやれと言われても、到底、無理な話で、こうした付き合いも含めて「時間がかかる」ということなのだ。


テーラリングの「質」のヨーロッパの現状について、あからさまに問題点をあげることはやめておきたい。それに言葉を費やしても、あまり意味もないことだと思う、
私は、幸いにも良い時代に良い職人と出会い、自分自身もクリエイテイブなものがどんどん欲しい時だったので、とても良い体験をした、それを、もう一度、今のヨーロッパに望むのは無理だと思う。時代も違う。それに、そこで得た知識や体験や、年齢とともに少しは成熟してきたといえるものは、今は日本やアジアの職人さんといっしょに作り上げて行きたい。



そして、次にはテーラリングの「クリエイテイブ」さへの拘りについて話そう、、
(つづく)












百歳堂日乗
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-08 01:00 | ■テーラリングの旅

9月2日(夏日) グローバリーゼーションとスタイルについて その4 ダンデイたちへの拘り





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百歳堂 |  ダンデイたちへの拘り




「そして、理由のふたつ目は、私はダンデイズムに強く魅かれる、、、、」という話だった、

それは、一種の熱病といえる。おおよそ17歳から22歳までの間、私は、古のダンデイたちの姿に魅かれ、そういう書籍や、古い雑誌や、旅先で見つけた古いポストカードの類を切り抜き、自家製のスクラップノートをつくり、ファイルをいくつも作っていた。かなり、熱心な作業だったと思う。それなりの独自の工夫と、歩いた距離と時間を誇れる「調査」だと自負もできる。文字通り、「病い膏肓(こうこう)に入(い)る」だったのだ。そして、それらは、今でも大切に保管している。

正直にいうと、ダンデイズムそのものというよりは、ダンデイたちの姿の美しさに先ず魅かれ、そして、その数々の優雅なエピソードに心奪われていった。六義庵百歳堂に記した「ボニ・カステラーネ公爵」「プレイボーイ ルビ」「異端のスノッブ ベリー・ウオール」とも、この時代に出会った。

どうして、古のダンデイたちは、あんなに美しいのだろう。若い私には、それがひとつのショックで、そして当時は、私を夢中にさせるかけがえの無い楽しみであった。人間は強欲だ、ひとつ見つけると、ふたつ、三つが見たくなる、私はさらなる「ショック」を探して、古書店を、博物館を、図書館を、時には遠回りし、失望もし、或いは思わぬ所で思わぬ収穫も得て、糸をたぐりよせるように、ヨーロッパ中を彷徨した。

不思議に、こうした分野でひとつにまとまって私を満足させてくれる書籍や、博物館は見当たらなかった。いや、確かに「ダンデイズム」を伝える名著や、コスチュームの歴史が俯瞰できる幾多の博物館はあったが、それは、ダンデイズムの「コンセプト」であったり、服装の「歴史」であり、私が欲しかったのは、ダンデイたちの魅惑的な「姿」の数々や、凝った服装の具体的なデイテールや、その波乱も含めた実人生の味わいだった。それは、散逸していて、埋もれてもいて、工夫を繰り返しながら探し歩かなければ姿を見せなかった。


幸いなことに、当時は頼りになるアーカイブがヨーロッパには残っていた。「マーケット」である、雑多な「蚤の市」、雑多なもので溢れる古物屋に、それらは、二束三文で眠っていた。

「アダム」や「ムッシュー」、古い「ヴォーグ」や、名も知らない古雑誌、書籍、こうした今ではコレクターが探し高値で取引されるものが、若い私でも気軽に買える二束三文で埋もれていた。マーケットだけでなく、ロンドンの中心地でも、ソーホーのブリュアーストリートなどには、こうした古雑誌を売る専門店がまだあり、マーケットよりは高値としても、充分、値段を気にせず買える値段で並んでいた。

そして、共に、やはり二束三文で埋もれていたものに、「トーツ」や「バーナードウエザリル」(この店は名前だけ別のテーラーに引き継がれ残っている)という消えた名注文服店の黄金期を教えるスーツ、古の注文靴店の新品サンプル、手入れの行き届いた鰐皮の靴や鞄類、しっかり重みのある凝った柄の絹のドレッシングガウン、モンゴルカシミアのコートなどの古の名品がある。それらは、今の「ビンテージショップ」にある多くの悲しくなるような「残骸」ではなく、博物館級のものがゴロゴロしていた。

これらは、驚くべきクオリテイーをもっていて、そして、まだ、正当に評価する人もなく本当に二束三文で売られていた。この時代、80年代初めまでは、美術品でもアールヌーボ以降のものは、その評価を待つ「ジャンク」として売られていた。例えば当時、私はロンドンのアパートで本物のアールデコの食器を日常品として使っていたが、気にいってもいたが、それは安かったからだ。欠けてしまえば、マーケットに出掛けていって代わりのものを買う、それは50P(50ペンス、ポンドが高かったといっても、200円もしないものだった。)ぐらいのものだった。


こうした名店は、ロンドンでは60年代にバタバタと失くなり、戦禍の激しかったヨーロッパ、特にウイーンやブダペスト、ミュンヘンなどの東ヨーロッパのエレガントな店は、戦争を境に復興できず失くなっている。
ビンテージでも、戦中、或いは戦後まもなくのものは、物資不足などから質も悪く、簡略化もされている。やはり、戦争を境にガラリと変わっているのだ。

しかも、戦後、人の嗜好も、生活も変わり、その豊かさを取り戻してからも、質は変質した。その大きな理由は、エレガントという考え方が変わってしまったことにある。

つまり、一概に質を支える技術が失われたというだけでもなく、それを望む人が少なくなってしまったのだ。そして、それは時とともに忘れ去られ、今度は本当に技術そのものが職人とともに失われていく。


「クオリテイー」という世界に魅了された私は、そのラベルに記載された住所を手がかりに「失われた名店」の足跡を辿り始めた。これも、幸いなことに当時はまだ、それを知る人が幾人かはいた。なじみのテーラーで、知りあった顧客の幾人か、そしてクラブの老人たち、私のファイルには、当時のジャーミンストリートや、バーリントンアーケードが再現されていった。

そして、なにより、貴重な情報をくれたのはテーラーたちや、靴屋など親しくしていた職人たちだった。
まだ、戦前を知る職人たちが現場に隠れていた時代だ。当初、彼らは私の質問に訝っていたが、私が集めた往年の服を見せたりする間に、いままでの付き合いとは違う関係が徐々に現れ始めた。

事実、そういった職人から紹介されて、かつての名店で働いていた既に引退した老人に話を聞きに行ったこともある。

そして、同時に私は、なじみの職人たちにその「質の再現」を頼み始め、或いは、それができる職人を探し求め始めた。折角、手にいれても、私は、基本的に「古着」は着ないのだ。しかし、そこで得た「発見」をそのままにしておくのには惜しかった。

その「質」は解明され、或いは解体され、なおかつ、それに触発された新しい「質」を生み出していった。
テーラーや職人たちは、私をアトリエ深く招きいれてくれて、目の前で実践してくれたりもした。私は、それに夢中になった。フィッテイングルームにいるよりも、アトリエでお茶を飲んだりする付き合いになり、職人たちのギルドのクリスマスパーテイにも呼ばれるようになった。

私はこうして、思わぬことではあったが、古のテーラリングや「質」や「感覚」を遺伝することになった。


(つづく)




百歳堂日乗
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-09-02 22:09 | ■テーラリングの旅

9月1日(夏日)  グローバリーゼーションとスタイルについて その3 拘り





HARD TALK
Style

百歳堂 |  拘り



f0178697_1735675.jpg某誌の取材で、
池田 哲也氏の来訪賜る
靴やスーツの話もそうだが
ピザの話や
もろもろの裏話(?)など
愉しい時間を過ごさせて頂いた
ありがとうございます。
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そのとき、同行の編集部の方から「どうして、そんなにお詳しくなったのですか?」とぽろりと問われた。
詳しいかどうかはさておき、なぜ、私はこだわり始めたのだろう?その理由には、およそ3つある。


先ず、私には服が必要だった。

「クラバブル」、ジェンントルメンズクラブにふさわし装い、という今やほとんど死語になった言葉があるけれど、街のレストランが次々にカジュアルな装いを許すなか、「クラブ」にはいまだドレスコードが厳然としてある。

しかも、それはルールブックに明記された「ルール」なのだ。最低限でも、タイと上着、クラブによっては「ツイード」は許されないところもある。

古いクラブは、横につながっていて各都市に関連のクラブがある。私は、一人で旅するときは、必ずといっていいほど、こうしたクラブのオーバーナイトステイルームに泊まることにしている。
それは、必ずバールームに行けば友人の誰かがいるからで、また、いなくとも、新しい友人がすぐにできる。クラブのメンバーは、ある種の帰属意識で結ばれているから、お互いに友人を増やすことに抵抗はない、逆に、それが「クラブ」の役目であり、誰もが望むところなのだ。「クラブ」というのは社交の場なのだ。

特に、はじめて訪れる街では、必ずクラブに泊まるか、(オーバーナイトルームを持たないクラブの場合は)立ち寄ることにしている、それは、私は、海外では外国人だから、こうして、その地の人脈を増やし、それを作り上げることは大切で、かつ愉しい滞在を約束してくれるからだ。

こうした関連のクラブにも、当然、ドレスコードがある、ドレスコードだけでなく、関連クラブを訪れる際には、そのクラブの「ルール」を守るというのがもちろん鉄則なのだ。

こうした生活をしていると、シーズン毎に数着のまっとうなスーツはどうしても必要になる。

ここで、クラブの「ルール」というものに触れておこう。クラブのすべてに関連することは、一件づつ、クラブの「コミテイー」にかけられ討議され、結論され、明記される。例外は認められない、しかも「ルール ブック」には記載されていない、不測の事態がおこれば、緊急の「コミテイー ミーテイング」が開かれ、討議され、結論され、それは新しいルールの一行として記されることになる。それまでは、メンバーはその行為を禁止される。

クラブにとっての「ルール」を現す一例をあげておこう。実体験です。

或る年の1月3日、私は家族とともにロンドンにいた、当然友人たちが集まってきて、皆でニューイヤーデイナーに行こうということになった、その中の一人、私と同じクラブに属する友人が「そうだ、今日は金曜日だ、ロンドンでは紳士は、金曜日はクラブで食事をとることになっている、クラブのメインダイニングに行こう」と言い出した。しかし、元旦近くの、クラブのダイニングはメニューが限られているのだ、

しかし、ソイツに引きづられクラブに行くことになった、

しかし、クラブに着いた我々を待っていたのは、マネージャーの戸惑った顔だった、そのとき私は息子も連れていて、彼はまだ、7歳だった。息子の年齢を確かめると、マネージャー氏は「少々、お待ちいただくかもしれません。バールームでおくつろぎ下さい」と言い残し、一目散でクラブオフィスに駆け上がった。

どれぐらい待たされただろう、結局、合流する予定の友人が遅れたり、皆でビールを飲みながらワイワイやっている間に時間が過ぎていった、ようやく、マネージャーが深刻な顔をして、私のところに戻ってきた。彼、曰く「シリアスなお話があります。残念ながら、息子さんをメインダイニングルームにお入れすることは、当クラブのルールに反しております。メインダイニングルームには12歳以上とルールブックには記されておりまして、、、、」

それを聞きつけた、友人は悪態を付き始めたが、私はかえって喜んだ。クラブの限られたメニューより、好きなレストランで、好きなシャンパンと好きな料理が食べられる。私は、「息子が成長して、再訪することを喜びとしよう、、、」とか鷹揚にいって、さっさと別のレストランに向かった、、、

後で聞いた話だが、この息子の件で緊急の「コミテイー ミーテイング」が召集されたらしい、夜だったので、電話によるものだったらしいが、30分以上はかかっていた、一時間近いかもしれない、、、

それが、「クラブ」のルールというものなのだ、
マネージャーが目をつぶれば良いじゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれない、だが、そうはできないのだ、無断で、しかもクラブを守るべきマネージャーが、ルールを破るということは、それがどんな些細なものであれ致命的なのだ、即解雇される、何より恥ずべき行為としてマネージャー本人がそうはしない、彼はルールに身を捧げているのだ。

さて、こうしたクラブにはウルサ型の老人がいることになっている、彼らは大概、クラブの要職、「コミテイー メンバー」で、当然、ルールにもやかましく、そして紳士としてのマナー、身なりにもうるさい。いまは、かなり大人しくなっているが、私が若い時期は、本当にタイや、スーツの素材についてもウルサく難癖をつけていた。ロンドンで着るもの、カントリーで着るもの、プライベートで着るもの、クラブで着るもの、彼らの頭のなかには、どこの交差点をすぎればロンドンといえるかについて明確な地図さえ入っていた。この地点で、着替えるべきだと、、

こうして、やはりクラブで一目おかれるためにも、単にまっとうなだけでなく、ウルサイ老メンバーをも黙らせる完璧な仕立ての良い上等なスーツが、必要となってくる。


そして、メンバーとの交流が始まると、当然その付き合いは、クラブ以外の場所にも広がっていく。「田舎の家に遊びにこいよ。」とか「南仏で夏を過ごそうよ」とか、例えば、関連クラブのガーリッククラブの関係で毎年ロイヤルアスコットの貴賓席、パドックでメンバーはアスコットダービーを楽しめる、そこにはメンバー専用の昼食やアフターヌーンテイーが楽しめるプライベートガーデンがついたテント(Marquee)が用意されている。

こうした社交で自信をもって振舞うためには、チャーミング(魅力的)な美しい服装が頼りになる武器となる。装いの役割とはそういうものだ。

こうして、単に仕立ての良い上等なスーツから、私を魅力的にみせてくれる「美しい、エレガントな服」が必要となってくる。


このように、

「数着のまっとうなスーツ」  「仕立ての良い上等なスーツ」  「魅力的に見せてくれる美しい、エレガントなスーツ」

という「進化の過程」で、私はスーツ、服装ということに拘らざるを得なかった。



そして、理由のふたつ目は、私はダンデイズムに強く魅かれるということにある、これは後ほど語ることにしよう(つづく)







HARD TALK
Style

百歳堂 |  拘り

copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-01 19:33 | ■テーラリングの旅

8月14日(猛暑日)  グローバリーゼーションとスタイルについて その1





HARD TALK
Style

百歳堂 |  スタイルについて



わたしは、主にロンドンとパリと、ウイーンとローマのテーラーで服を頼んできた。これは、時系列というわけでなく、各都市毎にテーラーと付き合ってきたということで、服や靴だけでなく、その他、生活に必要なものも各都市毎に決めて継続的に付き合ってきた。

これは常にその都市の間を移動してきたからで、事情によって一週間もたたないうちに別の都市へ移動したり、或いは何ヶ月もそこに居つくこともあった。その都市を拠点にして、郊外や田舎に出掛けたりもする。

とにかく、好きな時に、好きな場所に出掛けるというのを身上としているので、余計なことにストレスを感じたくない。しかし、自分のライフスタイルは崩したくない。そうなると、自ずとそのスタイルに必要な各々はその専門家にまかせた方が良いし、楽だということになる。




ロンドンでは、学生時代からの付き合いである「デンマン&ゴダード」、サビルローの変容に少し失望してからは、それにソーホーの3つのテーラーが加わった、パリでは、今はない「バーソローミュー」と「チフォネリ」(チフォネリは、ローマーのカッターが良かったので、後ではローマで頼むようになった。)、ウイーンでは、祖父が顧客だったこともあり、「クニーシェ」、ローマでは、前述の「チフォネリ」。靴屋も同様に決めていた。


先ず、現地につくと靴とスーツをクラブ或いはホテルのフロントに預け、靴屋とテーラーに連絡をとる。翌朝には、スーツにはプレスがあてられ、靴は踵に新しいラバーが張られピカピカになって戻ってきている。

もうひとつ、必要なのは、「ジェントルメンズクラブ」である。歴史のあるクラブは横でつながっている。私はロンドンの或るクラブのメンバーだが、英国内だけでなく、パリ、ニューヨーク、ワシントン、など世界のある程度の都市にその関連のクラブがある。

一人旅のときは特に、できるだけ私はそういうクラブに泊まる。なかには、オーバーナイトルームを持たないクラブもあるけれど、その場合も、できるだけ各地のクラブを覗くことにしている。
それは、必ずバールームに友人がいたり、また新しい友人をつくることができるからで、それだけでなく各クラブは、メンバーのために各種のイベントや、トークデイナーなどを定期的に催しているし、ホテルのコンシェルジェより優れた交渉力があったりする。

それだけでなく、その地で歴史のあるクラブは、それ自体が美しい建物や室内を持っている。

そして、「クラバブルな装い」と言う言葉があるように、クラブに出掛けるというのは、それにふさわしい装いを必要とする。ずいぶんとカジュアルになったとはいえ、いまでも英国のクラブには、ツイードのシューテイングジャケットは許されないクラブもあるし、メインダイニングでは、たとえ起きぬけの朝食でも、タイの着用を求められる。「ドレスコード」がいまだあるのだ。

つまり、私のライフスタイルには、スーツとネクタイとドレスシューズが必要なのだ。

で、こうした生活をしていると同じスーツやネクタイ、ドレスシューズでもどういったものがふさわしいか、或いは一目おかれるか、または洒落て見えるかというのがはっきりしてくる。



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by momotosedo | 2008-08-14 00:29 | ■テーラリングの旅