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7月27日(陰 真夏)  鰹節とコーヒー豆





SWEET MY LTTLE REAL LIFE
鰹節とコーヒー豆

百歳堂 |  我が家的「食」のグローバリーゼーション。


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誰にでも、ちょっとした「習慣」がある。
そのほとんどは、他人から見ると100パーセント、どうでも良いようなものなのだが、当人にとっては、なにしろ長年の習慣だから、万一それを妨げられでもすると、一日中、何だか気分も調子も乗らないこともある。

それが、麗しい一日の始まり、毎朝の習慣ともなるとなおさらだ。例えば、ベッドから抜け出す時いつも必ず左足から出るようにしているのに、今日に限って右足が先を越してしまったとか、そのせいでカーペットの端に躓き、クローゼットの角に足の小指をしこたまぶつけて、しかも寝ぼけまなこで気が付くと、家族の誰かの歯ブラシで歯を磨いていたとか、、、

、、、やはり、日常の習慣は大切にすべきだ、、、私の場合は、極く普通に、シャワーを浴びたあとバスローブをはおって目覚めのおいしいコーヒーのためにコーヒー豆を挽くというものだった。

一日中、何杯も紅茶は飲んでいるけれど、朝食のときだけはカプチーノを愉しむことにしている。きめ細かくミルクが泡だって、アラビカ豆の奥深い甘味を伴った苦さも麗しく、おいしいカプチーノが仕上がった時は、今日一日が楽しくなる予感がする。大切な「習慣」なのだ。


それが、今日に限って、スイッチを何度押しても、電動コーヒーミルが目覚めてくれない。つまり、この20年来使ってきた「電動コーヒーミル」が、ついに壊れてしまったのだ。

白いキッチンで沈黙するコーヒーミル。なんだか、「ミシン台の上のこうもり傘、、」みたいだ。シュールリアリズムに思いを馳せる前に、動かない家電というのが如何に ニヒリステイックなものかがヒシヒシと身に沁みる、、、

私は30数年間、ほぼ毎朝、コーヒー豆を挽いてきた。

そういうと、何か大変な事業を遣り通してきた風だが、既に「粉」に挽かれて売られているコーヒーというものに手を出さず、店頭でまとめて挽いてもらうこともせず、毎朝、必要な分だけを挽いてきたのは、そこに私の「生活」が在り続けたということで、褒めてやりたいという気持ちもある。

コーヒー豆を買うところも、決めてある。


バチカンにある「CASTRONI」という古い食料品店で、ついでに、隣の肉屋でクラテッロとか名前は忘れたがもっと旨いプロシュートもワンブロック買ってくる。
ここの名入りの袋を抱えていると、「あんたもアソコのコーヒーか、アソコのがローマでも一番おいしい。」と声をかけてくる人もいるから、一番かどうかは知らないが旨い。昔は、グリニッジビレッジのイタリア人がやっていた食料品店のアラビカ豆も同じように旨かったので、そこでも買っていたが、いまやその店は移転して経営権も他人に渡ったので買わなくなった。

つまり、私はこの何十年間、東京でコーヒー豆を買ったことがない。


コーヒー豆だけでなく、ソシソンもビクトルユゴーからピガールに上る坂道にあるリヨンのソシソンを売っている店で買うことにしている、この坂道にはチーズ屋、肉屋、チョコレート屋、パン屋など食料品店が軒をつらねていて、パリで大好きな通りのひとつでもある。フォワグラもこの食品通りの中腹にある店で買う。フォワグラは、他に有名な店があるのだが、この店で試しに買ったところ問題なく旨かった、ついでの便利もあるので、以来ここで買うことにしている。

コーヒー豆と同じく、ソシソンもプロシュートもフォワグラも東京で買ったことがない。


何故、そうしているかというと、我が家の「コーヒー」、「ソシソン」、「フォワグラ」、「プロシュート」の味は、この味で長年決まっているからで、それを変えるつもりがないのだ。
これらの店のものは、正当な価格でしかも何年来、味が変わっていない。フォワグラ、プロシュートは、本場で買っても確かに安くはないが、それでも「高価な食材」としての妥当な価格だ。


船場吉兆や、食肉偽装に代表されるように、残念なことに日本の食料品店にポリシーを持っているところは少ない。食料品店だけでなく、日本の小売店は間違ったデファクトスタンダードというようなものに取り憑かれていて、空虚なマーケテイング志向が強すぎて、およそ頼りになるとも、頼りにしたいとも思わない。


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そういうわけで、数十年来、我が家では、コーヒー豆はローマで買い、ソシソンはパリで求め、めざしを買うために高松に出掛け、からすみのために長崎に出かけてきた。
これは、主婦の大好きな「お取り寄せ」とは違う。生産現場に直接出掛けるというのが大切で、世界中を気軽に移動していくことに意味がある。

それに、ココ数十年をかけて、より川上の生産業者に知己を得て、私は世界各地の農村、漁場まで出掛けていった。ニヨンのオリーブ畑からペリゴールのトリュフまで、多分、下手な商社の食品担当よりはより細かな人脈を辿っていると思う。

この移動によって体感できるのは、単に安全で旨い食材がどこにあるかだけでなく、地域財としての食料と、一方で貿易財としての食料をめぐる様々なからくりである、例えば、メジャー投資機関が次に目をつけるのが食料で、実勢価格を越えた投機的な食料の高騰が起こるだろうなどということは数年前に既に予測できた。エネルギーと同じように、食料もサプライチェーンの上流を握っていた方が有利なのだ。

そして、どうしても気になるのが「水」で、今年の夏は、バカンスを兼ねて水源を巡る旅に出かけることにしている。

食料を巡って世界を散歩していると、当たり前だが良い食材の源は良い「水」にあることが分かる。それだけではなく、世界の水の7~80%が食糧生産に使われている事実は、「食料」の争奪は、すなわち「水」の争奪戦と置き換えることもできる。そして、例の如く、わが国は「水」に対する法規制の整備と戦略に遅れている。



この我が家的「食」のグローバリゼーションによって、我が家のキッチンは年々、巨大化しつつある。いま、一番興味があるのはやはり保存技術で、本当は専用の食料保管庫が欲しい。少なくとも、良い冷凍庫をもう一台は入れる「必要」がある。

私は、とても本気なのである。投資と同じように「食」についても個人レベルでグローバリーゼーションを行っていないと、日本の国際競争力において不親切な体制は、いまや「食の格差」を生み出しかねない。幸いにも私は、あのバター騒動の最中でも適正な価格で手作りの旨いバターが食べられた。


私は、このグローバリゼーションをテーマに一種の体感的旅行記を、少し前から別のブログに書き始めた、書き進めるたびに思うのは、結局、一番根本にあるのはその人独自のクリエイテイブな基準の持ち方だということで、日本の他の時代に比べ、より個人がクリエイテイブであることが、このグローバリーゼーションの時代には求められているように思う。


グローバリーゼーションの本質は「格差」にある。
その格差から生まれる利益を生かすことが21世紀の鍵だと思う。
そのために、必要なのは、正しく本質を見抜く自らの基準であり、これだけは、ウエブや、ブログや、本という情報から得ようとは思わない方がいい、体感がすべてだと言い切れる。


日本人のグローバリーゼーションの遅さは、多分、本物を見極める自らの基準をつくるための、リアルな体感や、経験値が絶対的に不足しているからだと思う。


そして、日本人独自の視点をもつことが望ましい。グローバリーゼーションの時代に、日本人が独自の競争力を築くためには日本の文化を今の感性で捉えなおすことも糸口のひとつかもしれない。


例えば、鰹節。削られて袋にはいっているやつではなく棒状に硬く固まった鰹節。昔は、それをカンナがついた箱で毎朝削って味噌汁をつくっていたものだ。

これは、私の時代にはごく当たり前で、子供の時、ときどき私もカツカツ削らされた記憶がある。これは、保存に優れ、必要な分だけ削れるという用途に優れ、しかも日常の美しい習慣を生み出してくれる。理想の食材として感嘆するにあまりある。

、、、ところで、この鰹節、何かに似ている、そう毎朝のコーヒー豆とまさしく相似ではないか。










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鰹節とコーヒー豆

百歳堂 |  我が家的「食」のグローバリーゼーション。
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by momotosedo | 2008-07-27 20:09 | MY LITTLE REAl LIFE

7月24日(真夏日) パジャマ そして ヨーロッパの贅沢品というもの



SWEET MY LTTLE REAL LIFE
Pajamas そしてヨーロッパの贅沢品というもの
百歳堂 |  手間がかかるという「贅沢」。



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ワードローブのなかで、私が愛してやまないものに、パジャマがある。
私としては、パジャマは下着の一部なんかじゃなくて、積極的にワードローブのひとつだと考えたいと思っている。
つまり、やっと約束をかわせた彼女とのデートに出掛ける時のように、或いはお気に入りのレストランにデイナーに出掛ける時のように、それと同じぐらいの気構えで、安らかな眠りのために、毎夜、お気に入りのパジャマに着替えるべきだと思っている。


だから、寝室にある私のクローゼットの一番良い場所を占めているのはパジャマである。一週間分がアイロンをあてられ、揃いのズボンとともに行儀よくハンガーにかけられて整列している。中国絹のものや、シャツ地に負けないくらい上質のコットンのもの、上品なパウダーブルーとか、ゴールド、目にも鮮やかな赤、クラッシックなストライプ。
毎晩、この整然と並んだ姿を見るのは何とも頼もしく、麗しい。




パジャマの良いところは、それが眠るためだけにあるということだ。なかなか、潔いと思う。大体、「こうにもなります。」「ああにもなります。」というものにエレガントなものがあった ためしがない。
純粋に、眠るための装いで、めったに家人以外の目に触れることもない。パジャマに凝るというのは、きわめて個人的な愉しみで、誰かがほめてくれるというわけでもない。しかし、こうしたものにこそ手を抜かないのが本当の生活だと思う。



だって、考えてもみてほしい。
統計をとってみたわけではないけれど、多分、人類の多くは寝床で最後を迎えるのだと思う。脳溢血か、心臓発作か、逝き方は様々としても、古びたTシャツとジャージ姿で死に様を晒したくはないでしょう。ソノトキニ、ナッタラカンガエル?いやいや、この21世紀、いつ何時、何があるか分からない。日頃の心がけが大事です。第一、あなたも私も、人生の3分の一は眠っているわけだから。


昔のジャーミンストリートには、エレガントな実に良いパジャマが売られていた。


ジャーミンストリート、そしてブリッグがまだあったころのオックスフォードストリート、つまり今のようなブランドストリートではなくて、紳士の細々したものを売る古い店で、この通りが成り立っていた頃には、誰が身に着けるのかと思うような、異常に質の良い(単純な用途に対して驚くほど高価だったりする)、且つ、けっこうエキセントリックなものが平然と売られていた。

ブリッグの一階のガラスケースには、もはやアンテイークではないかと思われるような、真珠貝の柄がついたマニキュアセットなどが並んでいたし、傘を買う場合には、必ず「シルクのものか、ナイロンのものか」を聞かれたりもした。


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ためしに尋ねてみた、「シルクの傘は、強い雨には水漏れしないものなのかね」、70年代後半のブリッグの店員はこう慇懃に答えた、「もちろん、漏れることもございましょう。」「ところで、お客様は、強い雨の中をお歩きになるための傘をお探しでございますか。」


それは、そのシルクが張られた傘は、強い雨の中を「歩く」人には不向きな傘だということで、これは、「傘」という形をしているが、別なものなのだ。


つまり、昔のヨーロッパの贅沢品は、それが我々が慣れ親しんだ或る物の形にいくら似ているからといって、その実用性を期待すると裏切られる、あっさり壊れてしまうのだ。

高価だからといって頑丈だと「身勝手にも」思うのは、そもそもソウイウものに「慣れていない輩」「非常識」なのであって、ソウイウいくらでも代わりはあるようなものに大金を出すのは、当然、それを許し、メインテナンスに手間ヒマを惜しまない余裕の或る人、つまり「エレガントな」人だ、、、という独自の考えが20世紀末までは確かにヨーロッパに根強くあった。

例えば、、、

私が自分で最初に買ったパジャマは、きれいなブルーに赤いパイピングが施してあるもので、袖口のカフや少しラウンドした襟にも赤いパイピングの縁取りがしてある、ズボンの前は共地の紐でしばるクラッシックなタイプだった。特質すべきはそのコットンの質で、絹のような光沢があって、一目で気にいった。


ところが、これがすぐにダメになった。襟のところが、ボロボロにほころんでしまったのだ。それで、もう一枚、同じものを買うべくジャーミストリートの店にでかけていった。幸い、色違いだが同じ質のパジャマが一枚残っていた。


勘定しながらも、私としては文句のひとつも言いたいところだ、「ところで、このパジャマはすぐにダメになってしまうね。」「この間買ったのに、もう襟のところが台無しだ。」

ピンクのポケットスクエアを胸にさした店員は、慇懃に「お持ちくだされば、修理できるものでしたら、襟など早速直させていただきますが」と請け負ってくれたが、話し込んでいくうちに、店員は何かに気づいたようで、おそるおそる私にこう聞いた「失礼ではありますが、お客様、もしかして、あのパジャマを洗濯機でお洗いになったのでは、、、」、そりゃそうさ、日本人は清潔好きなんだ、一日使うごとに洗濯機に放り込んださ。

店員は、「オウ、、」と短い悲鳴に似た小さな叫びをあげると、隣にいたヴァイオレットのポケットスクエアを胸にさした店員に、「リチャード、このお客様は、品番TA8865のシーアイランドコットンのパジャマを洗濯機で洗ってしまわれた」と小声で告げた。リチャードも、また「オウ、、」と口元に手をあてながらも短い悲鳴をあげると、その隣にいたハウンドツース模様にライラックの縁取りがしてあるポケットスクエアを胸にさした店員に、小声で同様に囁いた、その店員もまた、「オウ、、」、、、、。小さな叫びが店中を伝染していった。

そのフロアの一角にいた店員全員から哀れみに似た視線を浴びながら、私だって思わず叫びたくなった、、、

つまり、これほど上質のコットンのパジャマは、大切に手洗いされるべきもので、それを洗濯機に放り込んだ私は、大英帝国に攻め込んできたローマ人以来の暴挙の徒というわけだ。


もっとコワイ話もある。

私は、ロンドンでの足代わりに、ロータスエランという小さなスポーツカーを使っていた。ルノーアルピーノとさんざ迷ったあげく、地元の車の方が何かと便利で、街にもなじむだろうと選んだのだ。ところが、これが油漏れする。


危険を感じて、ロータスのガレージに持ち込んだ私に、そこのエンジニア氏は平然とこう答えたものだ「アア、あれは、わざと油が漏れるようにしてあるンです。自動車というのは、完璧なものだと間違った考えを持たれると困りますからね。信用できないと思わせておけば、事故も故障も少なくなりますから。」、、、

アレは、英国人特有のユーモアだったのだろうか、それとも本心だったのだろうか、、そういえば、当時のロンドンには自動車修理工場がやたらあって、車をもつ友人は常に優秀な修理工を探していたようにも思うが、、、


それから、21世紀へと月日は流れ、ブリッグはモダンな店へ移転し、シルクの傘は、よっぽどの酔狂者の特別注文品となり、店頭からはとうに消えた。そして、あのロータスでさえ、タッチスクリーン式マルチメディアシステムなどというものがつき「ラグジュエリーカー」をめざしている。

、、、そして、まともなパジャマで眠りにつく人は、稀になった。











SWEET MY LTTLE REAL LIFE
Pajamas そしてヨーロッパの贅沢品というもの
百歳堂 |  手間がかかるという「贅沢」。

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by momotosedo | 2008-07-25 08:15 | MY LITTLE REAl LIFE