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1月27日(寒さぶり返す) 「Beau Brummell」


f0178697_931592.jpg「贅沢なクラシック」| 「Beau Brummell」



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21st Century
Dandy






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Beau Brummell

gentlemen, ,
I give you "Dandy".



、、、というわけで、「Beau Brummell」である、もちろん私は会ったこともない、、


果たしてBeau Brummellの「伝説」が細部をも含めてどこまで「事実」だったのか、生身の人間としてBeau Brummellがどのような印象を残す男だったのかは今となっては知る由もない、ただ、要はこれは「社交界のでき事」だったと云うことで、このことは案外見落とされがちかも知れない、


それは英国の、しかもロンドンの社交界という限定された社会での「出来事」だった、


Beau Brummell




Beau Brummellは「革新者」だった、革新であったということは、それに対する旧態の者や体制があったということに他ならない、
この場合は「Fop」(Beauらから、多少の侮蔑を込めてそう呼ばれた)と呼ばれる鬘をつけ、お白粉で化粧をし、色鮮やかで華美な服装で着飾った貴族たちだった、


18世紀までの社交界、宮廷の男たちにとっては贅をつくした煌びやかな服装こそが「貴族」の証しでもあった、それが、「大勢(たいせい)」だったのだ、その中で黒い(紺色という説もあり、英国人のネイビー好きはここに由来するともいえる)上着に白いリンネルという「みすぼらしい服装」と、化粧も香水もいらないむしろ紳士は「清潔」であるべきだと唱えるBeau Brummellは、充分に「革命的」でセンセーショナルだったことは想像に難くない、

いわば、Beau は「Less is More」思想の歴史上、初の提唱者といえる、


Beauは、服装だけでなく独特の「立ち居振る舞い」の美学を確立し徐々に徒党を組んでいく、Beauの提唱する「Dandy」たちと「Fop」は並べば明らかに姿が違う、「狭い」社交界のことである、平民出身のBeauが勢力を拡大していくことが面白くない「男の嫉妬」もあったろう、当然、お互いは反目し、街角で、或いはサロンで小競り合いを演ずることも少なくなかった、


ここまでは、多分「ロッカー」と「モッズ」のような構図に過ぎなかったと思う、Beauが形勢を決めたのは、ご存知のように、プリンスリージェント、後の英国王ジョージ4世がBeauに傾倒したことによる、
プリンスもまた、Beauの発案による「Dandy」スタイルに装った、


これによって、平民出身であるBeau Brummellの「Dandy」は王族の装いとなった、もはや、「Fop」はつけ入る隙がない、


Beau Brummell



Beauの「Dandy」という「思想」は今振り返っても卓越したもので、それは「規範」となる精神性を持ち、「新しい時代のライフスタイル」に繋がりえるものだった、

事実、ロンドンの社交界はBeauの発案による「装い」が規範となり、それは「エチケット」、「マナー」となって貴族だけでなく、台頭して来たブルジョワジーにも諸手をあげて受け入れられる、

そして、フランスを皮切りに、この「思想」はヨーロッパ全土を「感化」していく、俯瞰すればこれは、英国(ロンドン)が「装いの規範」になっていったということに他ならない、


歴史は線で繋がっている、
永らく英国が「紳士の国」とされ、その「装い」がクラシックの規範であるとされる原点と理由はここにある、つまり、この時点で「メインプレーヤー」である英国はヨーロッパの中で、メイルエレガンスと紳士の「マナー」において決定的な優位に立ったといえる、


Beau Brummell」と「Classic 


こうしてBeau Brummellを「起点」として、ロンドンの社交界は「装い」の規範をつくっていく、これは、18世紀までの「装い」とは明らかに転換していて、ここでの「装い」はBeauが発案した「エチケット」、「マナー」という規範に従った「社会性」と「紳士の美学」に基づいて発展していく、これがいま云う「クラシック」に繋がっていく、

つまりは、「クラシックな装いの起点」もまた「Beau Brummell」であるといえよう、


そして、この「規範」に基づいた「クラシック」というのは、18世紀後半のBeau Brummellに始まり、19世紀、そして第一次大戦前までのものである、第一次大戦以降、ヨーロッパの社会構造は転換し、人々のエトスも様変わりして、個人的な嗜好を容認した「ファッション」としての「クラシック」に流れていく、


このことは、 「六義庵百歳堂」にも記しているが、第一次大戦で世界の構造(第一次大戦によって、ヨーロッパの君主制<中世以来のホーエンツォレルン家、ハプスブルグ家、オスマン家、そしてロマノフ家>は崩壊し、旧世界秩序を決定的に破壊する。そして、今日の現代国家の体制がつくられた、)は転換し、ここを分岐点として社会のエトスは「ミーイズム」の20世紀へと移っていく、


Beau Brummell」と「Classic 


第一次大戦を分岐点として、紳士の「装い」は簡単にいえば、「でなければならない」から「であっても良い」に移行する、その背景には、世界構造の転換とともに、もうひとつにはブルジョワジーの台頭がある、


古い写真を探ってみれば気づくように、第一次大戦以前までのヨーロッパの「社交界」、とくに各王族の男の装いはほとんど同様に見える、それは、そう「でなければならない」という規範の上に「装い」が成り立っていたからに他ならない、

翻って、第一次大戦以降、1930年代をピークとする「装い」はタイひとつをとってみても分かるように、それまでの「規範」から「であっても良い」という個人の嗜好に答えることが優先していく、「装い」のメインプレイヤーもブルジョワジーへと移っていき、ヴァリエーションは増えているように見えるが、しかし「簡略化」されていく、

王族を中心とした社交行事に縁のない大半のブルジョワジーにとっては、「でなければならない」ことに反することで密かにそしりを受けるのを恐れることもなかった、


この結果、装いのデイテイールだけでなく実は「装いを仕立てる」という考え方そのものが具体的に略されていったことを忘れてはいけない、


装いの「メインプレーヤー」が、「社交界」から「ブルジョワジー」へ、そして終には「既製服」(もはや我々には選択の権利はあっても、身体に合わせ好きなように仕立てるという権限すらなくなった、Beauが聞けばさぞや嘆くことだろう、)へと移り、

「クラシック」はもっと簡易化され、誤りや取り間違えはともかく、例えばトラウザーズの仕立ては縫い易く略され、テーラリングの考え方自体が簡易化されていく、

多分、我々の認識にある「クラシック」は、80年代以降、繰り返し再生産されてきた「既製服のクラシック」であるように思える、


Beau Brummell」と「Classic 



時系列で見ていけば、Beauから第一次大戦までの約一世紀の100年余りでクラシックは社交界の「規範」の中で形作られ、第一次大戦からソ連崩壊までの20世紀の100年余りで「ファッション」となり、或いは時には忘れ去られていった、ということになる、


アトリエで、「イングリッシュドレープそのものがクラシックというわけではない」と答える訳もここにある、(「イングリッシュドレープ」は第一次大戦以降、ショルテイが「発明」したもので、多分、世界的に認知されたのはアメリカの顧客のおかげだと思う、もちろん、私はそれを愛しているが、、)



Beau Brummell」と「Classic 



2010年代を迎え、あらためて我が家に遺る19世紀末から20世紀初頭にかけて仕立てられた衣服を、アトリエチームとともに精査していると、(こういうのは、なかなか愉しい作業だ、)

デイテイールの興味深さはともかく、いくつかの優れたものには今とは異なる或る種の仕立ての意思や考え方があることが浮き彫りにされていく、

古のロンドンのテーラーのものも興味深いが、これは想定の範囲内ということもあり、興味を惹いたのはむしろベルリンや東欧のその頃は一流店であったろうが、今はその行方も知る由もないテーラーが仕立てたものだった、



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1926年制作の精緻なテイルズ、ニュルンベルグのテーラー


これらの服には「カリスマ」が宿っている、

「冬用」のテイルズの裏地には厚手のシルクがキルテイングされ張られ、上襟だけに黒い拝絹で極く細いパイピングが「目立たない」ように施されていたりという手の込んだデイテイールや、胸のつくり、肩などの丁寧な仕立て(幾分、古めかしいが)はもちろんだが、ここで書いて残しておきたい点はもう少し別のところにある、



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1937年制作のオペラ用のコート、今とは全く異なるアプローチの優雅なスタイル


それは、「服を仕立てていきながら、これを着る『生活』を構築している」というようなものだと思う、

(さてそれを、どう説明すれば上手く伝わるのか正直に云って迷っている、迷うぐらいなら、そんなに説明しづらいものなら避けた方が賢明じゃないかと思いもするが、書いておきたいと動かされるのは、私自身がやりたいことがそこにあるのではとやっと気づいたせいもある、)



Beau Brummell」と「Classic 



Bauから約200年後に生きる我々は、「規範に絡められた装い」というのはさぞや堅苦しく、面白みのないものに違いないと想像しがちだが、実際にその衣服を見れば存外に、いま新鮮なものと映るのに驚くことだろう、

それはソウル(造り手の魂)に満ち溢れている、

それは「そういう生活」にふさわしい衣服を造るということに魂と技術を惜しみなく注いでいる、
ソウルフルなのだ、



「そういう生活」を既に失ってしまって久しいこの時代に、その「生活」というのをいまさら説明し実感することは難しいが、それは謂わば「生活」のアートと呼べるものかもしれない、
そして、それが「クラシッククローズ」のまさしく土台だと云い換えられる、

この100年で我々が衣服について失ったものがあるとすれば、その最大といえるものがその「そういう生活にふさわしい」衣服を造るという実際の体感に基づいた「魂」だと思う、



Beau Brummell」と「Classic 



クラシッククローズは「そういう生活」を背景とし、そこから生まれている、そこを土台として「装い」が成り立っている、

これを逆説に捉えれば、ある種の人間はそういう「生活」を営み、全うしようと努めていたということが出来る、


「そういう生活」を努めようと云う魂と「そういう生活」に相応しい装いを造ろうという魂は翼の両翼として均衡し、生きる「愉しみ」を生み出す、



「エレガント」な人というのはそういう人物で、「エレガント」な装いというのはそういう服だといえる、

いまや、なかなかそういう男に出会うことが適わず、そういう服が生まれないのはそこに訳がある、



Beau Brummell」と「Classic 



1900年代初頭の英国を描いた映画のひとつで、オクスフォードに入学した主人公に年上の寮生が細々としたアドヴァイス(新入生に対して一人づつ先輩の寮生がつき学内の案内やしきたりを教えるのが慣習だった、)を与え、その最後に、「、、それから、、服はロンドンで仕立てるように、、」と付け加る場面がありナルホドなと思ったことがある、


つまり、当時のロンドンには「そういう生活」があり、そこでは「ふさわしい服」が仕立てられ、それは「違い」(残念ながら時代は変わった)があったということだ、


そして、年上の寮生はそれを認めていて、「そういう服」を着るべきだと「新人」に教えたことになる、


これは、まだ幸せな「循環」があった時代をよく伝えている、「エレガント」というのは、こうして受け継がれていった、




Beau Brummell」と「Classic 



同じような意味で、手元に遺るこれら20世紀初頭のニュルンベルグやベルリンなどで仕立てられた服には「違い」が存在する、その「ふさわしい服」となるべく為された「アプローチ」は存外に思い切りが良く深い、

これらに限っては、ロンドンと比してもそれがより色濃く現れている、何より誰もがこの服を手に取り眺めると「そういう生活」を想い浮かばせると思う、それは「デザイン」というものではなく、精緻なデイテイールをも含めた「質」の捉え方の違いにあるのだと思う、



「デザイナー」と「テーラー」の違い、「既製服」や「パターンオーダー」とパーソナルな「Bespoke」との違い、「マーチャントテーラー」と「パーソナルテーラー」の違い、、、



それらの「違い」は「生き方」の違いなのかもしれない、





ちなみに、トラウザーズを「発明」したのもBeau Brummellである(それまでは「ブリーチ」と呼ばれる7分丈のピッタリしたもの、)、もちろん、ウエストに切り返しはない、、、







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by momotosedo | 2010-01-27 01:28 | ■Beau Brunmmell