カテゴリ:■東京おぼえ帖( 4 )

9月3日(秋なのか?)  東京おぼえ帖 4. 「still、、、my guitar gently weeps 」





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copyright 2009 Ryuichi Hanakawa






新宿という街に私はノスタルジーを持っていないから、当時の街の様子をこと細かく思い出すことはできない、少なくとも高島屋なンて無い時代だから南口はまだ雑然としてバラック小屋の飲み屋なども残っていてその雨にさらされ黒ずんだ板きれの腐食や路地裏の暗い色が東京の戦後を想わせた、国鉄の南口に昇る錆びついた鉄の手すりのコンクリートの階段はいつでも黒くジットリ湿っていたことや、夜半を過ぎた風林会館ではその筋がワケありの女の子と話し込んでいたのを覚えている、
この街が毎晩、生っぽいドラマを生み続けていることは私でも分かったし、今、思えば、少しソレを見ておけば良かったかもしれないと、惜しい気もする、


安田は、私が「惜しい」と思うのと同じ様な意味で、この街に魅かれていたのだと思う、安田にはそういうところがあった、


4人で遊ぶときは、大概、平田がリーダーシップをとっていて、平田は親から金を引き出すのがよほど上手かったのか、金回りがいつも良かった、
表参道に小さいながらもアルフレックスの家具で飾った洒落た部屋を持っていて、赤いトライアンフを乗り回し、当時の遊びの先端なら何でも知っていた、平田は溜池や青山にあった秘密めいたバーでも常連扱いされていたから、今振り返れば、それを不思議だと思うべきだった、


安田は平田とは違う意味でどこか大人びた遊び人で、平田が好むスノッブな店よりはむしろ高田馬場の駅裏の焼き鳥のように豚のモツを焼く、「焼き‘豚(トン)‘屋」という風に場末のしかし唸るほど旨い穴場を知っていた、新宿で遊んでいる地方出の女の子とねんごろになってその身の上話を聞くのを好むようなところが安田にはあった、私には、安田に誘われて二人で出歩く夜の街がかえって新鮮だった、


東口の雑踏を避けて、安田とは京王プラザのコーヒーハウスで待ち合わせることにした、
















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by momotosedo | 2009-09-03 01:54 | ■東京おぼえ帖

3月5日  東京おぼえ帖 3.  「雲の上は晴れているさ、」





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安田は、抜群の身体能力を持っていて、子供の時は鉄棒が得意だった、放課後の校庭で背伸びをしても届かない鉄棒にラクラクと飛びうつり、クルクルと美しい大車輪を披露して私たちは感嘆した、


東京に戻ってきて大学に通っていたとき、綺麗な女の子を街に見つけにいくときには、安田と連れ立っていた、


平田もハンサムだったが、女の子たちは、安田の天才的な運動神経の魅力を初対面でも敏感に感じ取っていた、そういう匂いがするのだろう、





その夜は、安田の提案で新宿に遊びにいった、安田は高校が新宿だったから歌舞伎町は安田の遊びなれたホームグラウンドだった、当時の新宿高校は進学校にしては変わっていて「遊び人」が多かった、他の高校よりは、少しヒネた大人びたような連中が多くて、今思えば、「時代の空気」を感じさせるところがあった、

その夜、安田と会ったのは女の子が目的というわけでもなく、安田が「チョット、相談がある、」と言い出したからだった、



安田は、一浪して早稲田の政経学部に通っていた、平田とは違う意味で、安田なりの「センス」を身に着けていて、大学では「優駿クラブ」という競馬の同好会に入って、夏休みには北海道に馬を見に行くから、一緒にいかないかと誘われたこともある、


分厚い、馬の血統を示すなんとかという辞書みたいな本を時折携えていて、喫茶店で待ち合わせると読みふけっていたりした、その頃、流行っていたデイスコにも安田なりの分析と一家言があって、「あそこの小屋には、綺麗な娘が集まるが、ここに集まる娘はダサい、けど不良っぽい娘がいるから口説きやすい、」とか「実地の知恵」があって、飄々と遊び慣れた安田と出歩くのは愉しかった、

そんな安田と「相談」という言葉は、いかにも意外で似合わなかった、いったい、何を私に相談したいと云うのだろう、、、
































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by momotosedo | 2009-03-06 02:16 | ■東京おぼえ帖

2月25日 東京おぼえ帖 2. 「ジャン・ジュネに訊け、」






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おもちゃ屋 (といっても、かなり大きい玩具問屋だった)の倅の土田くんと、文房具屋(といっても、これも大手の文房具屋だった)の倅の安田と、本屋(といってもこれも大きな本屋と喫茶店を何軒も持っていた大書店だった、ようは、全員「ボンボン」育ちだった、)の倅の平田と、

当時、外苑前にあった「ユアーズ」という終夜営業の気取ったスーパーマーケットの前で待ち合わせて、「レオン」に寄ったのか、平田がもっていた近くのアルフレックスの家具で飾ったショールームみたいなアパートに行ったのか、どっちだったか忘れてしまったが、私が東京に戻って来たと言うので、幼馴染の4人が久方ぶりに会うことになった、遊ぼうゼ、オォ、遊ぼう、遊ぼう、




平田は、ブルーと赤の縁取りのしてあるHと大きく編みこまれた白いレタードカーデイガンに赤いコーデユロイのズボンを履いて、すぐそこに住んでるというのに、自慢だったトライアンフに乗ってやって来た、平田は多分、4人の中では一番天才的で才能があったと思う、ただ、惜しむらくは頭と勘が良すぎて結局は一生を棒に振ってしまった、

平田は死んでしまったから、なおさら口惜しい、思い出しても、平田の才能は子供の頃から目立っていた、図画の時間で書き上げた「戦車」は、ほとんど少年マガジンの口絵にあるぐらいに見事で、「レーシングカー」が流行ったときは、同じキットを組み立てているにも関わらず、平田の車が一等、早かった、中学の時に音楽とギターにのめりこみ始めて、上手いのは知っていたが、東京に帰ってきたとき遊びに行ったら、ジョン・マクラグリン顔負けに早弾きを始めたので驚いた、






平田が、その才能のひとかけらにでも忠実であったなら、それなりの人物にはなれたのではないか、しかし平田は「飽きっぽかった」、それも途中でやめるのではなく、とことん突き詰めてしまって、次から次へと興味の範囲が広がっていく、突き詰める速度が常人わざではないのだ、


一度、土田くんが平田のことで、国際電話をかけてきたことがあった、土田くんは、「土田くん」としか呼びようがないほど、いつも穏やかで、学業でも安定してトップを保っていた、子供のときから優れたバランス感覚の持ち主で、どこか先を見越しているようなところがあった、4人のなかでは、一種の最新鋭の「制御装置」のような役割を果たしていた、そのときも、土田くんの敏感な「制御装置」が信号を出したのだと思う、


その電話で、土田くんは「平田は、ずば抜けて頭が良いのに、あのままではダメになってしまう、僕も直接、平田に云うつもりだが、君も平田に云ってくれ」という趣旨のことをいった、

私は、その頃は、なんでそんなことが大事なのかが分からなかった、平田は、たとえ学業ができなくてもリッパな家業があるから将来安泰なんじゃないかと思った、、、「分かるけど、それが平田じゃないのかなあ」






は、日本を離れていて平田の通夜にも、葬式にも間に合わなかった、一ヶ月後ぐらいに、ようやく平田の家と墓参りに行けたとき、土田くんもつきあってくれた、墓というのに友の名が刻まれているのはそれなりに感慨深い、そのあと、なんか食おうということになって私の要望で土田くんは近くの旨い蕎麦屋につれていってくれた、


二人で、蕎麦がきや、焼いた味噌をなめながら、菊正宗を熱燗にしてもらったのを飲んでいた、私は熱燗というのがあまり得意ではなかったけれど、暖められた日本酒の口に含んだときに広がる独特の匂いが今日は許せるような気がした、


土田くんは、最高学府を主席で卒業したらしくて、そのことを「スゴいね」と言うと、「いや、そうでも、、、でも僕より平田の方が本当は頭が良かったよ、、」「土田くん、一度、平田のことで電話をくれたよね」「うん、、」「あのとき、直接、平田にも云ってみるっていってたけど、あの後、平田とは話したの?」「うん、、」「で、そのとき、平田はなんて云ってたの?」その問いかけに、土田くんはたださみしく笑っていた、





お銚子を二人で一本づつ空けて、蕎麦をたぐって、またお銚子を一本づつ空けたところで、何だか、モヤモヤしたものが湧き上がってきて私は二人で話しているのに耐え切れなくなった、土田くんとは久しぶりに会ったし、話したいことは山ほどあって、昔だったら夜があけるまで話しても飽き足らなかったけれど、何故だか、居たたまれない気分が押し寄せてきた、それは、なんとも説明できない、

その気分が土田くんにも伝染したのか、「出ようか」とどちらともなく声をかけて、今日は僕がおごるよといって土田くんはさっさと勘定をすませてしまった、


別れしなに、何だか土田くんに悪いような気もして「また近々会おうよ、電話するよ」と云うと土田くんも「うん、絶対かけてくれよ、待ってるよ」そう云って我々は右と左に別れた、


電車で帰ろうか車を拾おうか、しかし、いますぐ何かを決めるのがおっくうで、気がつくとあてもなく歩き始めていた、そこら辺りはただ殺風景な店やオフィスが並ぶ小道で、わざと路地に入っても同じように殺風景なのにかわりはなかった、

私は只々歩いていた、そうしたら、ふいに涙がでそうになった、


それは、平田の死が口惜しいといった単純なものではなく、あれほどがっちりしていた4人の友情が平田が欠けたことで、空の上で崩れてバラバラに落ちてゆくような予感だった、その時のことを言葉で辿っても何も明らかにはなりやしない、しかし、それをきっかけに若水のような私達の少年の時代は終わったような気がする、



でも、それはズット後のことだ、「ユアーズ」の前に現れた平田は、どの若者よりもお洒落で、我々も山の清流のように若く濁りを知らなかった、








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by momotosedo | 2009-02-25 03:59 | ■東京おぼえ帖

2月22日(晴天)  東京おぼえ帖 1.  「虹のむこうへ出かけよう、」





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幽霊坂の、昼なお暗い坂道を辿っていくと、細川の殿様の屋敷があって、それはモダンな洋館だったが、石造りの暖炉のある洒落た書斎や炉がきってある和室とともにどこかに座敷牢が隠されていると子供たちのあいだではもっぱらの噂だった、



































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by momotosedo | 2009-02-22 01:43 | ■東京おぼえ帖