カテゴリ:■百歳堂 a day( 34 )

7月9日(晴れ) 「 respectfully 」


六義RIKUGHI
GoldenClassics

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「 respectfully 」
本棚に積み上げられた昭和の古書は端のほうから黄ばんできていて少し酸っぱい紙の匂いがするいつかは朽ちてはらはらと崩れるのだろう、
書斎に入ると机のうえに一通の手紙がおいてあった、
ウイーンのシェアから現(7代目)当主マルクスの祖父にあたるカールお爺さんが、この5月末に「靴職人」としてその生涯を閉じたという知らせだった、
享年93歳、大往生だと思う、


私がシェアを初めて訪れたときはカール爺さんが「当主」で、
シェアやクニーシェは「古の」隠れた名店として欧羅巴の奥に「密かに在る」という感じだった、実際、当時の欧羅巴では「東欧(ウイーン)」は忘れられた存在でロンドンの洒落者の間でもシェアやクニーシェの名を知る者などほとんどいなかった、


酔狂にも服や靴を注文しにウイーンに出かけようとどうして思ったかというと、それは祖父が残した服を調べていて大戦以前の東欧の服に興味を持ったからだ、ニューリンベルグのテーラーの手による冬のテイルコートが見事で本当はそのテーラーを探していたのだが行方が知れず、既に店を閉じて久しいようだった、

そのほかにも幾つか興味のあるテーラーを探してみたが、悉く店を閉じているか行方がしれなかった、そのなかでクニーシェだけがいまも店を開けていて連絡をとるといかにも昔風の老舗のおっとりした対応で、それが気に入ってとりあえず出かけてみようと思った、


ちなみに祖父はウイーンではなくパリのクニーシェで服を仕立ている、クニーシェは1960年代までシャンゼリゼにパリ支店を本店と同じくアドルフ・ルースの設計で構えており、祖母によると、ウイーンの本店より細かな洋品が揃っていて設えも華やかだったそうだ、たしかに、グラーベンの店は見過ごすほどに間口が狭い、


祖父はシェアでは靴を注文していないと思う、少なくともシェアの靴は我が家に残っていない、ウイーンのやはりいまは影も形もない靴屋のものとこれも跡形もないブダペストの靴屋のものは残っていて、それはいわゆる「東欧の靴」らしくなく、なかなかエレガントな細身のシルエットを湛(たた)えている、シューツリーのつくりが面白いことに英国風で、ただしベベルドウエストではなく幾分婉曲したフラットウエストでやはりバナナラストをつかっている、






(この項つづく)



 















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by momotosedo | 2011-07-09 00:59 | ■百歳堂 a day

1月7日(晴天、今日は友人と久しぶりに会う)  「、、Ooh La La」





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21st Century
Elegancy








(ちなみに、このブログもこれでちょうど100タイトルになります、ただし、数えると99タイトルしか見当たらないはずです、あと1タイトルは非公開にしてあって、ランダムに現れることになっています、フ、フ、フ、、百歳堂)


70年代の、ロンドン、パリ、そしてニューヨーク、これはホントに面白かった、

生まれていなかった、或いはそこにいなかった人とは、多分20世紀後半の捉え方が実感として違うと思う、


音楽や「ファッション」、「グラム」や「ヒッピー」という言葉で繰り返し語られる表層とは別に、そこには、あまり取り上げられない、或いは説明しようにもできない、時代のデイテイールと真実がある、悪いけれど体験の真実は言葉では遺伝させようがない、シンプルに「愉しかった」と云うしかなく、それだけに私のなかにはいまもあの時代の「DNA」 がこびり付くように存在している、




そのなかで、私的な経験で思い出深いのは「Bright Young Peple」と呼ばれた、上流階級(貴族階級)の若者の存在だ、彼らは、生まれの良さと「金」に恵まれ、そして時代のテイストを存分に享受していて、クリエイテイブに時代を駆け抜けていった、

街には、こうした輝くエリートを対象とした店が生まれて、このブログでも紹介した「グラニー テイクス ア トリップ」なんかも、そのひとつだ、ジャーミンストリートでもレデイメイドのジャケットなら40~50ポンドで買えたときに、グラニーのそれは、軽く200~300ポンドした、

あまりに高価な「キッチュ」だったそれらは、確かにポップなくせにハンドテイラードだったり、極めて質の良い凝った生地で仕立てられていて、それまでに無かった「クオリテイー」と時代感覚を併せ持つもので、ためらいなく「クリエイテイブ」と呼べるものだった、こうしたモノが出現し始めるのは、この時代からだろう、

ロンドンに、各時代に突然出現するハイエンドで思い切り「クリエイテイブ」な店を支えたのは、この「Bright Young Peple」だった、彼らの幾人かは、もの凄くセンスが良く、着こなしが上手かった、そして、この層がいたおかげで「ソサイエテイー」も活気づいて、面白かった、
彼らが催すパーテイは、実に刺激的だった、パーテイだけでなく、基本的には「職業」を持たない彼らとの日々のつきあいは「贅沢な退屈」とともに「冒険」に満ち溢れていた、




当時のそうした「人種」のなかで、忘れ難い存在は、4代目オラモア・ブラウン男爵の息子、タラ・ブラウンだろう、男爵は貴族院のメンバーで、男爵の妻、タラの母親はビールで有名な「ギネス」の相続人、「Golden Guiness Girls(輝けるギネス三姉妹)」のひとり、ウナー・ギネスだった、

タラは、キングスロードにあった「フォスター&タラ」というグラニーに匹敵するエッジーなブテイックの創立者でもあった、いわゆるyoung millionaireのひとりで、25歳の誕生日には当時で100万ポンドを越える資産を相続する予定だった、ストーンズのミックジャガーやブライアン・ジョーンズ、ゲティ財閥のジョン・ポール・ゲティらとも交友があった、タラがその名を残したのは、その華やか過ぎるライフスタイルとともに、21歳で流れ星のように煌く短い生涯を終えたその瞬間が、イコニックなサージェントペッパーズの「A Day in the Life」にジョン・レノンによって活写されて、いまも時折、流れてくるからだろう、


He blew his mind out in a car,
He didn't notice that the lights had changed,
A crowd of people stood and stared,
They'd seen his face before,
Nobody was really sure
If he was from the House of Lords.



そう、12月の或る日、タラは愛車ロータスエランに当時のトップモデルでガールフレンドのスキ・ポティエーを伴ってサウスケンジントンを170キロの猛スピードで走り抜けていた、一説にはドラッグをやっていたともいわれるが定かではない、レッドクリフの交差点で信号が変わったのに気がつかなかったタラのロータスは、そのままローリーにクラッシュして、大破した、

翌日未明、タラはスキと別れた妻(18歳のときに結婚している)と二人の子供を残してあっけなく夜空の星になった、スキは奇跡的に命を取り留め、その後ストーンズのブライアン・ジョーズと、彼の謎の死まで一緒に暮らしている、




調べてみると「Bright Young Peple」という言葉は、セシル・ビートンがオクスフォードで奇妙な服装をした芸術家グループをつくり始めたころに、若い才能に溢れた、しかし奇妙な若者たちを指して使われ始めたという、
時代の流れ方のせいで、いまや、ロンドンの街を歩いても、そんな「Young Peple」がいるはずもなく、Bright な若い世代自身によるBrightでクリエイテイブで、フレッシュで強い我侭を持つ店もなくなった、


明らかに「パンク」とは違う、あの時代の良質な「心」の部分はいま必要な気もするし、それが言葉に置き換えられるのなら「宝石」のようなものになるのではと魅かれもするが、それを伝えるのは言葉ではないのだろう、
いまやみんな、どうしても演繹的な思考から抜け出せないロスを重ねる時代にいる、意外に人生は短いよ、









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by momotosedo | 2009-01-07 00:09 | ■百歳堂 a day

2009年1月4日(冬晴れ、あけましておめでとうございます、) 「チック、タック、、、」 






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たぶん、90年代ぐらいからリストウオッチをしなくなった、

旅に明け暮れていたので、それまではワールドタイムやデュオフェイスをその必要もあって古の名品から最新鋭まで機械に拘って集めたりもしていた、これは、これで納得できるものを探し出すのに愉しみがあった、
90年代にはいって、モバイルツールに完璧な時計機能がつきはじめて、どう考えても必要がなくなったので、リストウオッチは「コレクション」となって眠りについている、



リストウオッチを外してみると、シャツをつくるときカフスを時計に合わせるメンドウもなくなり、気にせず手も洗えるのでサッパリしている、



といって、時計を「しない」わけじゃない、旅の生活にホンの少し自分なりの彩りをつけるために、プラチナの薄い懐中時計を鎖に繋いでトラウザーズのウオッチポケットからフォブが揺れるチェーンを覗かせるのは優雅で好きだし、
小さく、かつ健気に精巧なトラベルウオッチをベッドサイドに置いて、デジタルじゃない、ゆったりした旅の時間を自分に言い聞かせる、


良い細かく班の揃ったリザードを張った(驚くのは良く見ても継ぎ目がひとつもなく、靴のように「釣り込まれ」ている)この小さな時間機械は、ケースを開けるたびにゼンマイが巻かれる「自動式」になっていて、後ろの小さな板を開くと自立する、
手のひらに納まるほどのコロンとした小ささが愛らしい、

これは、ムーンフェイスのトリプルカレンダーになっているのが珍しい、

ヨーロッパでは、この「トラベルウオッチ」専門のコレクターもいるほどで、
20年代~30年代には、モバードだけでなく、カルテイエなどもクロコや色鮮やかなガルーシアを張ったもの、ゴールドにエナメル細工を施した凝った意匠のものをつくっていて、蒐集したくなる気持ちは良くわかる、




こうした古の「時間機械」に魅かれるのは、時間という実は曖昧なものを精密な機械世界に忍ばせながら、その美しく凝った細工や、見ほれるほどの精巧な仕掛けが、しばし「時」をノスタルジックな浪漫的なものとして見せてくれるからかも知れない、



その一方で私のモバイルには、

21世紀を自分なりに捉えてみようと立ち上げた「百歳堂醍研究室」のおかげで、世界のあちこちの友人、知人からニュースには載ることのない「現実」と隠れていた「革新」が、もの凄い勢いで送られてくる、



古の機械が思い出させてくれる浪漫的な「時」と、モバイルにアップデイトされるスピード感溢れる刺激的な「時」、2009年から「時」の概念がもう一度大きく変わってきそうな気がする、

それは例えばこういうことだ、セントルイス連銀のデーターによると、ドルの発行量は2008年の9月から11月末まで、たったの3ヶ月でそれまでの200年分を越える発行高になっている、
この3ヶ月でドルの発行高は1.5T$に増え、データーは11月末までだが、多分12月末のデーターでは1.6T$を越しているはずだ、
いままで200年かかって800B$になったことを思うと、たったの3ヶ月で、200年分、つまり、2400ヶ月分をたった3ヶ月で、すなわち800ヶ月分をたった1ヶ月で発行したことになる、
これを異常といわずして何といおう、
いまや、猛スピードで「時間」は加速している、 




元旦そうそう「メールマガジン」を発送して思ったのは、「自分らしい時間」をいかに「生物」としての限られた時間内に発見できるかということだった、









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by momotosedo | 2009-01-04 15:26 | ■百歳堂 a day

12月9日(雨)  「アレクサンダー大王」 英雄ふたたび




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コミック好きで、オタクに媚をうる首相を抱える我々をはじめ、大人物と呼べる指導者を失くして久しい今日的状況のなかで、誰か胸のすくような大きなスケールの世界的指導者と考えたとき、思い出すのは、あの「アレクサンダー大王」である、

白状すると、私は「伝記」好きで、書物になっているもの、いないものも含めて、さまざまな人物の人生を「コレクション」している、その他人の人生についてのエピキュリアンである私が考えるに、どうも経済や「文化」が発展していくにつれ、人間のスケールは逆に矮小になっていく気がする、読んでいてもツマラナイ、しかも、現実世界では、もっとツマラナそうに生きている人が多い、そんなとき、決まって「口直し」に開くのがマケドニア(ギリシアの北部)の王、「アレクサンダー大王」の英雄物語である、私はファンなのだ、




アレクサンダー3世は美男子で、なおかつ聡明(なにしろ家庭教師が、あのアリストテレスだ)、「3代目で家が潰れる」どころか、20代で東西4500kmにわたる大帝国をつくりあげる、つまり世界を征服したのだ(ここでいう世界は、今とは違う、アレクサンダーはインドまでを征服し、そこで止まるが、これは当時の世界地図では、そこが地の果てで、そこから先には大地がないことになっていたからだ、)、そして絶頂期の32歳で急逝する、


アレクサンダーの地政学的世界征服の足取りについては、多くの文献が語っているので、ここでそれを繰り返すことはないと思う、特筆すべきは、負け知らずの秀でた軍人であったと同時に、真剣にギリシア文化と思想を広めようとしたことで、アレクサンダーのもとには思想家、歴史家、天文学者、彫刻家、植物学者などありとあらゆる学者、科学者、芸術家がたえず従って、ヘレニズム文化を世界すみずみにまでひろめていく上で、良い仕事をした、地理的拡大だけでなく、文化の「質」が良いのだ、
ミロのビーナスや、瀕死のガリア人、サモトラケのニケなどの人類史に残る傑作が生まれたのもアレクサンダーの功績といえよう、ヘレニズム文化の痕跡は法隆寺を支える柱にも残されている、


しかも、男としてはグッとくる胸のすく英雄伝説に事欠かない、

例えば、インド遠征からの帰路、ゲドロシアの砂漠を行軍しているとき、飢えと渇きから兵士たちが次々と倒れていくなか、ひとりの兵士が王のために一杯の水を見つけてきてさしだした、しかしアレクサンダーは「わたしは兵士とともに苦しむほうを選ぶ」といって躊躇なくこれを砂漠に捨てた、


或いは、有名な「ゴルディオスの結び目」、リュディア王国のゼウス神殿に一台の古い戦車が「ゴルディオスの結び目」と言われる複雑に絡み合った縄で結わえられ祀られていた、
言い伝えでは「この結び目を解いたものがアジアの支配者になる」という、それを聞き及んだアレクサンダーは、兵士を引きつれ、神殿につくやいなや、やおら腰の剣を抜くと結び目をスパリと切り落とし、兵にむかって、こう告げた、「運命とは伝説によってもたらされるものではない、自らの剣によって切り拓くものだ」、


、、、まだまだ、ある、、、、


残された逸話を見ると、勇敢なだけでなくアレクサンダーには明晰な知性がある、さすが幼少の頃よりアリストテレスに学んだだけあって「賢者」の趣さえある、なさけない男が多い今の世にあって、アレクサンダーの伝説には学ぶところが多い、




アレクサンダーは病死したことになっているが、私の考えでは間違いのもとは征服する世界がなくなったあと軍服を脱いでしまったことと、「東西融和政策」だと思う、

自らも征服したペルシアのダレイオス3世の娘を娶り、部下にもペルシア人との集団結婚を奨励し、東西融合にアレクサンダーは心を配った、「賢帝」としてはふさわしい政策であったろうが、ここで初めてアレクサンダーの鋭い知性が曇ってしまう、歴史的にみてもこの「良策」は自らの帝国に矛盾と退廃をもたらすことは自明の理だと思う、「大王」は「大王」のままでいるべきだった、




一説には、アラビア遠征を計画していたとも言われるが、私が憶測する真実は、平和の世で、かつ成り立ちの違うペルシア人に囲まれての生活は、アレクサンダーにとって自らの能力を持て余す日々ではなかったろうか、そして、多分、賢明なアレクサンダーは、このことに後になって気づいていたと思う、結局、日ごろに増して酒量が増え、バビロンの川で泳いだ後、悪性の風邪を引き高熱を出して息を引き取る、アレクサンダーの墓は、いまだ発見されていない、



、、、「運命とは伝説によってもたらされるものではない、自らの剣によって切り拓くものだ」、、、



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by momotosedo | 2008-12-09 19:38 | ■百歳堂 a day

11月28日(晴天)  「贔屓のひきたおし」 サムソン・フランソワと斉藤史



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贔屓の「引き倒し」、、、誰が何と言おうと、どうしても魅かれてしまうモノ、、私の場合は、サムソン・フランソワのピアノと斉藤史の歌とフォートナム&メイソンのエクレアだろう、エクレアはパリの皮が堅いものも旨いと思うが、サバランのようにしっとりと濡れたフォートナムのものは、子供の頃食べて世の中にコンナ旨い菓子があるのかと驚いた記憶がこびりついている、 
いまはどうか知らないが、フォートナムの地下食料品売り場は、ヨーロッパ中のハムやチーズ、ワインなどが並び、その色とりどりのタイル張りの床の意匠も含めて、子供心にもワクワクするエピュキリアンのスノッブな殿堂だった、


 「夜毎に月きらびやかにありしかば唄をうたひてやがて忘れぬ」 


フォートナムのエクレアは、子供の頃のまま、味が変わっていないような気がする、白状すると、いまでもロンドンに出掛ける度に密かに買い求めてしまう、「贔屓の引き倒し」は、多分、こんな風に何らかの錆びた記憶がどこかに引っかかていて、それを味わうたびに、ついでに遠い記憶もふと思い出して、小さなタイムスリップをする快感が忘れがたくするのだろう、


  
  「たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも
            悪事やさしく身に華やぎぬ」



SLIP INTO、、、はるかな記憶にすべりこむ快感は、とりあえず時を重ねてしまったこの歳になった恩恵ともいえる、フレッシュなヴァージニテイは失ってしまったが、持て余すほどの体験は抱えている、サムソン・フランソワというピアニストが、現在どのような評価にあるのかは知らない、ソラーロさんも愛聴なさっていることで少し自信が持てたけれど、この天才肌で「快楽主義者」のピアニストは、誤解を覚悟でいうと私にとっては「フランス版グールド」ともいえる存在だ、享年46歳、酒好きで心臓発作で急逝した、


  
  「ほろびたるわがうつそ身をおもふ時
           くらやみ遠くながれの音す」


サムソン・フランソワは、もう二度と現れないだろうタイプのピアニストで、グールドと同じように彼自身の肉体が音楽を抱えていた、ダンデイで華やかなナイトライフを愛し、移り気で演奏にムラがあった、およそ模範的な音楽家ではなかった、
ただ、生まれついての天才で、メロデイーの申し子だった、楽曲の「解釈」という以前に、サムソン・フランソワという「音楽」がある、
恐れることなく、フランソワのラベルと、グリーグ(ドビュッシーは有名だが、あえて、、)については私は忠実な信奉者だと告白できる、とくに、ラベルのピアノ曲、夜のガスパールなどは、私にとっての「グールドのゴルデンベルグ」といえる、


  
「或る瞬間(とき)にひろげられたるわが指の五つの方向(むき)に色を失ふ」



そうして、斉藤史。日本語に飢えていた10代の私は、家の本棚にあった斉藤史歌集(第一歌集「魚歌」は昭和15年刊行)と何冊かの「荒地詩集」(鮎川信夫らの荒地同人による詩集、昭和26年から昭和33年にわたって刊行)を見つけた、

そこには、求めていた「格好良い」日本語があった、短歌や詩という何度も読める短いものであったのも幸いした、正直に言うと、斉藤史より「荒地詩集」の方に耽溺していた、ここにある日本語は、学校で学ぶものにない鮮烈さがあった、感受性ばかりで角立った10代の私は夢中になり、ほとんど毎日のように繰り返し気にいったページを読んでいた、空で言えるものもあったように思う、そして多分、私の日本語のコンセプトはここにある、


  

「さくら散るゆふべは歌を誦しまつる
       古き密呪のさきはひは来む」



斉藤史の「確かさ」は、言葉の組み合わせの意外性に頼ることなく、歌の鮮烈さを紡ぐことのできる「力」と「余裕」にある、それは、その「出自」と「生き方」の良さだと思う、(斉藤史は二・二六事件に連座した「歌人将軍」、斉藤瀏少将の娘、三島由紀夫の「豊饒の海」、鬼頭槇子のモデルといわれる)、
斉藤史の生き方の姿の「良さ」と「凄さ」は、二・二六の後、昭和15年に刊行された第一歌集「魚歌」が当時、歌は詩ではないと歌壇から無視されて以来、歌人としての豊かな「本物」を内包しながら常に先鋭であり続けたことや、その後60年に渡って、二・二六で無為の死を遂げた「仲間」である青年将校を詠い続けたことにも現れている、

  

「転生の緋芥子群落 血塗られて折れ易かりしかの若者ら」



ただ私が斉藤史になおさら魅かれるのは、歌のその先をいく「走者」としてだけでなく、歌を詠む人としてのその豊かな「余裕」にある、そこには優雅な「ユーモア」と呼べるものさえある、80歳のとき詠んだ歌を最後にご紹介しよう、

  

うす汚れたる花も花なれ

   「老いてなほ艶(えん)とよぶべきものありや 
                         花は始めも終りもよろし 」
                  






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by momotosedo | 2008-11-28 21:32 | ■百歳堂 a day

11月24日(陰、雨)  東と西



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東と西、 といっても何も私は深遠かつ博学な文化的考察をここで開陳したいというわけではない、ことは、もっと現代的、極めてマテリアルな話題である、

つまり、ニューヨークのアッパー「イースト」とアッパー「ウエスト」のことだ、
元来、セントラルパークをはさんで、イースト(東側)は東部エスタブリッシュメントを中心とする生まれついての「上流階級」の牙城として知られ、対してウエスト(西側)は、同じ金持ちでも成功したビジネスマン、ファッションデザイナー、俳優など、名もあげ金も稼いだが少しボヘミアンな部類の種族が住むという色わけがなされている、



アッパーウエストに住む、こうした金持ちにとっては、「いつかは」アッパーイーストに住むというのが根強い憧れ、イヤ、一種の強迫観念となっている、ここら辺りの感情は遠くはなれた極東の人間には、分かるようで正直分からない、
だが、これはニューヨークで成功するという「双六ゲーム」においては、一種の宿命、ゴールのようなもので、彼らはアッパーイーストに住むためにはあらゆる手段を使い、何年でも虎視眈々と待ち続けている、、
というのも、そこには簡単にはいかない「障壁」があるからだ、、、




そんなことが思い浮かんだのも、ユニオンリーグクラブで知り合った友人が、先頃、或る著名人が住んでいたというアッパーイーストのプレステイジャスなアドレスのアパートが売りに出されたことを知らせてきたからだ、

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お値段は約2000万ドル(約20億)、広さと番地にもよるけれど、これは相場的にはそう高くはない、通常なら申し込みが殺到して、下手をするともう1000万ドルぐらいはプレミアがついていく値段だ、金融危機以来、こうした超高額なアパートの値動きにどう影響がでているかは知らないが、多分、そう変わりはしていないのではないだろうか、



こうしたアパートを購入する場合、ローンは許されないことになっている、すべてキャッシュで清算すること、
しかも、経済的な審査基準として、通常、購入価格の3倍の現金資産をもっていることが必要条件となる、つまり、20億でうまく落とせたとしても、その他に60億のキャッシュを持っていなければならないことになる、あわせて80億、そういうキャッシュを右から左に動かせる人間でなければ、そこそこのアッパーイーストの住まいは適わないということだ、


さらに、80億ぐらいのキャッシュなら、いつも押し入れにいれて用意しているという羽振りの良い貴方にも、まだ難関が残されている、むしろ、ここからがニューヨークらしい、双六ゲームの見せ場だ、


大概、こうしたアパートはCOOPという住民管理のシステムになっていて、「ボード」という委員会がある、こいつがクセモノなのだ、

そもそもパークイーストの名門COOPそのものが、ニューヨークの社交界、上流社会の牙城そのもので、「COOP」という言葉、それも「アッパーイーストの」COOPという4文字は、或る種のニューヨーカーには憧憬をこめた甘い響きをもつ、
日本ではアメリカには貴族がいないとか平気で云う人が多いが、現実にはアメリカ貴族というものは存在し、ヨーロッパの上流社会が歴史の長さに、いささか、中だるみしている昨今、ニューヨークの社交界カレンダーはかえって綿密に正確に運営されている、ニューヨークほどヒエラルキーがはっきりしていて、またそれを厳格に守ろうとしている街はない、


こうしたCOOPが、なんらかの理由で売りに出された場合、名門COOP(パークアベニュー東700番台番地など)になればなるほど、審査基準が厳しくなる、先ず、こうした物件をただ見に行くだけでも、不動産エージェントに納税証明書、ならびに財産目録証明を提示しなければ適わない場合もある、しかも、エージェントは、これら買い手の財政状態ならびに、「社交面」での背景を慎重に調べ上げ、はじめて内覧が許される、

「社交面の背景」という、この含みのある表現にこそ「ニューヨーク上流階級」の排他性と矜持が隠されている、アッパーイーストのCOOPの審査が俳優、女優、デザイナーなど「現代的」なセレブリテイーに厳しいのは、パーテイなどの人の出入りが頻繁なのは他の住民の迷惑となって好ましくないというのが表向きの理由だが、明らかに「新興成金」とは一線を引きたいという頑なな姿勢が見られる、


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ニューヨーク社交界のアイドルであったトルーマン・カポーテイは、イーストサイドの名門COOP「The Alexsander」に居を構えていたが、東49丁目250番地という「アッパーイースト」というには少し気がひけるアドレスだった、ちなみに、このアレキサンダーには、キャサリン・ヘップバーン、同じ南部出身のダンデイ作家トム・ウルフが住んでいた、

どうしても、アッパーイーストに住みたかったが、結局適わなかった有名人は枚挙のいとまもない、例えばその一人が不世出の歌姫、バーバラ・ストライザンドだ、私は幸いにも短いステージを見たことがあるがやはり素晴らしいといわざるを得ない、この人とライザ・ミネリはアメリカンクラッシックの最良のパフォーマーと云える、

ストライザンドは、アッパーウエストのCOOPにペントハウスを持っていたが、やはり「いつかは」アッパーイーストへという想いを抱いていた、

ストライザンド自身は、割りと知的な人らしく、パーテイに明け暮れることもなく、どちらかと云えばひっそりと自身のライフスタイルを愉しむタイプでCOOPの住民としてもふさわしかった、スッピンのまま早朝のセントラルパークを犬をつれて散歩したりという、そういう自身のライフスタイルへの自信もあったのだと思う、


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ストライザンドが、最初に目をつけたのは、1917年に建てられた5番街927番地のこじんまりとした、しかしグランドセントラルステーションを設計したワレン&ウエトモアの手によるアメリカンルネッサンス様式のエレガントなCOOPだった、
このCOOPを全国的に有名にしたのはレッドテイルと呼ばれる尻尾の赤い鷹が、12階の石作りのルネサンス風の飾り窓の上に巣をつくったことによる、朝のニュースショーで紹介されたこの鷹は一躍、ニューヨーク中の人気者になり、ジャーナリストのマリー・ウインは、さっそくこの鷹にPale・Maleという名をつけた、


実に趣味の良い、しかもボード審査を考えても最良の選択と思われた、


実際、このコープには女優、コメデイエンヌのマリー・タイラー・ムーアー、ニュースキャスターのパウラ・ザーなども住んでおり、多分にストライザンドとしては、エンターテイメントのキャリアとしては自分の方が格上と考えていたのではないだろうか、

ストライザンドは、用意周到に当時のニューヨーク市長の推薦状もつけて、ボード審査に望んだが、結果は芳しくなかった、これが躓きの始まりだった、

失意のストライザンドが次に向かったのが、「パークアベニュー740番地」だった、これは、相手が悪かった、このCOOPのかつての住人には、ロックフェラー、ヴァンダービルド、クライスラーというニューヨークを代表する政財界の大物が名を連ねている、世界でも富と名声が集中した稀なアドレスなのだ、

結局、ストライザンドは断られるのだが、その断り方も、この世界有数のプレステイジャスなアドレスにふさわしく、本人に悟られることなく不動産エージェントの巧みな誘導により、ストライザンド自身が自分には合わないと思わせるような工作がなされたという、


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こうして、結局ストライザンドは「アッパーイースト」をあきらめ、結婚相手の都合もあり、ニューヨークにも別れをつげロスアンジェルスに居を移すことに決めた、

「アッパーイースト」に住むことを夢見て、永らく市場価格を上回る値付けでマーケットに出されていたアッパーウエストのCOOPのペントハウスにも、新進ポップシンガーによる高値購入の申し込みがあった、しかし、やれやれと思っていた矢先、ストライザンドに「悲報」が届く、、、そのポップシンガーの申し込みはボード審査で撥ねられたのだ、、、




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by momotosedo | 2008-11-24 02:43 | ■百歳堂 a day

11月23日(晴天) クリスマス 近し 深夜特急便 





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美味そうなプラータチーズ(「ジャージの王様」さんのブログです)とハムの写真をみているとせっかく風邪で有り余るウエイトを少しでも落とせそうなことを忘れてキッチンに走りそうになる、なんとか思いとどまって、風邪の間にたまった郵便物を整理しはじめた、

白い封書はロンドンのクラブから。
アートコミッテイーのチェアマン、アントニーからメンバーのヘンリーがパリの叔父から譲り受けたMichael Pelopidovich Lattry (1875 Odessa - 1942 Paris 亡命ロシアの画家)の膨大なコレクションの我がクラブでのエクスビションについて、手助けを乞うとの依頼、

それにしても、こうした依頼文における英国人のボキャブラリーとイマジネーションには脱帽する、「思わず、、」というのを誘う、「偽善的ではあるが公明正大」という古からの英国外交ポリシーを想いだす、、、自分が割ける時間での協力は惜しまないが、むしろフランクの方が適任であると、自分でも関心するぐらいの優美で遠まわしの断りの文面を書いて、なんとかクリア、



クリスマスも近いせいか、それに類するDMも多い、取るに足りない色々の郵便物をくずかごに投げ入れ、次に目をひいたのが、ニューヨークのオークションハウスDOYLEからの「IMPORTANT ESTATE JWELRY」のお知らせ、クリスマス前に何らかの恩義のある女性には見せたくない郵便物の最高峰のひとつといえる、オークション日も12月10日というベストタイミング、

カルテイエ、ブチョラッテイ、ヴァンクリフそしてテイファニーなどなど往年の煌びやかな逸品が並ぶ、なかにはダリ デザインというものもある、私は割りと鉱物好きなので愉しく見るがうるさくもあり、カタログで気になるのは数点で(といっても、超高価)、やはり好きなファベルジェはこんなところには出てこない、



今週は、クライアントの方々のご来店の予定も多く、やっと風邪から抜け出せたのは幸いだった、
クリスマスといえば想いだす一曲を、天使の歌声とともに、、、、




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by momotosedo | 2008-11-23 02:59 | ■百歳堂 a day

11月21日(ようやく風邪から立ち直りつつある)  優雅な死は最高の復讐である  




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ヒックション、、、クシャミと咳は少し残っていますが、ようやく風邪から立ち直りました、「ジャージの王様」さん、「ソラーロ」さん、暖かいお気遣いをありがとうございました、元気づけられました、ホットカルピス、さっそく試してみました、美しい花の写真集、愉しんでいます、


風邪のおかげで、ここ何日間かはベッドでぬくぬくと読書を愉しむことができたのは幸いです、これこそは贅沢な冬の愉しみ、せっかくだから普段できない読書をと考えた末、英雄、王族、大富豪、プレイボーイ、などなど興味のある人物の「最期」=死に方をまとめて読んでみることにしました、瀕死(?)の私にこれ以上ふさわしいものがあるでしょうか、


「優雅」な死は最高の復讐である、、、、

死なないで良いならば、それにこしたことはありませんが、残念ながら生物としての人間には限界があります、加えて、ドラマチックな人生を好む豪傑には、ときにして運命の限界も襲ってきます、



例えば偉大なる王にとって、その死後の評価を高めるかどうかの決め手は、ひとえに最期の時への身の処し方にかかっているともいえます、一生をかけて築いてきた名声が、一瞬の油断で永遠に汚されることになってはいけません、

どちらかというと気の弱かった英国王チャールズ一世さえ、1649年1月30日午後2時、斬首刑へと向かうとき凍てつくような寒さに思わず身震いして、それが刑を怯える震えと誤解されるぬよう、慌ててシャツを2枚重ねて着込んだといいます、優柔不断なルイ16世でさえ、ギロチン台では、感動的な演説とともに毅然として首を差し出したといいます、ただ、その毅然とした態度は、もっと早く在位中に見せるべきでした、


逆に最期の時に失敗してしまったのは、ルイ6世で、狩猟の際に飛び出してきた豚に驚いた馬に振り落とされて命を失くしています、シャルル8世にいたっては室内テニス場に向かう途中で転んで、かいば桶に頭をしこたまぶつけたことが命取りになっています、

さあ、ここまででも、もうお分かりでしょう、「在位中は優柔不断な王であったが、最期は毅然としていた、」と云われるのと、「幸せな王だったが、転んで頭をぶつけて死んだ」と後世にわたって云われ続けることを考えれば、いかに最期の時が大切であるかが、




私は特別、憧れの対象となるようなドラマッチックな死に方を望んでいませんが、少なくとも正当な死は迎えさせて欲しいと望みます、


いかにもその人物らしい最期といえば、あの世紀のプレイボーイ、ルビローザを想いだします、夜通し続いたパーテイの後、愛車フェラーリーを全速力で飛ばしたあげくの、朝まだきのブローニュの森での事故死、不謹慎ですがルビらしい最期といえます、ルビの伝説と「名声」は守られました
逆に、大富豪であり、世界的な大馬主でもあった「プラチナ王」チャールズ・エンゲルハートは病床にあってコカ・コーラを飲んで心臓発作を引き起こして命を落としています、せめて、年代モノのシャンパンを選ぶべきでした、


こうして考えると、死への準備と油断ない気遣いをする人間の少ないことに気づきます、できれば考えたくない分野なのかもしれません、
しかし、この分野における、コンセプト、美学、具体的なノウハウにおいて世界で最も優れていたのは、云うまでもなく戦前までの日本です、英国紳士がいまだ最後は「ヘベレケ」になるまで酔っ払うというコンセプト以上のものを持ちえていないことを考えると、その綿密ともいえる具体的な「作法」は異次元の芸術とさえいえます、

かつての日本の死生観は各個人の勝手ではなく、普遍化された美学に昇華されているのが特異です、


それは、美しいもので、内実のある哲学に裏付けられたものですが、21世紀の私が心酔できるかというと、今はそう思えません、




4日間、人の最期ばかり読みふけったヘソ曲がりの私にとって、ただひとつだけ感心した「最期」がありました、1959年2月3日に亡くなったニューヨークの富豪、ヴインセント・アスターの最期です、

別段、変わった死に方をしたわけではありません、家族に見守られ清潔なベッドで安らかに亡くなりました、
ただ、遺言ともいえる一言を、その妻ブルック・アスターに残しました、

この莫大な資産を、、、、


「頭を使って社会の本当に必要なところに還元し、すべて使い切ること」



そして、事実、その妻ブルックは、夫の言葉に真摯に従い、その後の48年間の半生をこの言葉通りに生きました、総額約2億ドル、しかも彼女は、ただ寄付するのではなく、ハーレムでもブロンクスでも自分の足で歩いて、確かめた上で、寄付を自ら届けました、


ブルック・アスターは105歳で、昨年、夏、惜しくも亡くなりました、100歳をすぎた辺りから認知症がでて、遺産相続で家庭内のもめごとが起こったことは残念ですが、彼女の半生は祝福されたものだったといえるでしょう、そして、ブルック・アスターのいたニューヨークも、

それを導いたのが、夫ヴインセントが最期に用意した言葉です、、、どうですか、実に「優雅な」死にっぷりです、自身だけでなく、妻を祝福された人生に導き、かつ愛したニューヨークも、、、
これ以上は云いません、噛みしめてください、、、



ところで、「優雅な死は最高の復讐である」、、、何に対する「復讐」かって? もちろん、この愉しい人生に別れを告げなければいけなくなった死=死神への「復讐」です、、、、







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by momotosedo | 2008-11-21 03:00 | ■百歳堂 a day

11月18日 (晴天、風邪気味)  風邪とグールドとサイダー





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百歳堂 |  風邪とグールドとサイダー



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金曜の夜から、久しぶりに風邪をひいてしまい瀕死(大げさか)状態です、
幸いにも大病を患ったことがないので、その分、病気との付き合い方を知りません、


かかりつけの医者はあっさりとしたもので、薬を4日分処方して手渡されただけです、扁桃腺を確かめるために、喉をみるときに上手く口が開けられずあきれられました、

でも、まあ風邪も愉しまなければなりません、

そうしたわけで、薬以外に風邪をひいたときの私の定番は、三ツ矢サイダーとグレングールドです、

サイダーは幼児体験でしょうね、子供の頃、痛めた喉に炭酸が心地よかった記憶がこびりついています、グールドは微熱っぽい頭に、これも心地良い、

私の風邪の定番にグールドが登場したのは、大昔、ニューヨークで風邪をひいてしまったときです、このときは、三ツ矢サイダーもあるわけでもなく、立ち寄ったユニオンスクエアのファーマーズマーケットでアップルサイダー(りんごを絞ったアメリカンホームメイドの定番の飲み物です)を初めて買いました、アレって、サイダーというのに、炭酸じゃないんですね、試し飲みして訝っている私を不審に思ったのか、売ってるオバさんが声をかけてくれて、事情を説明すると、「ホット アップル サイダー」(後で聞いたら、これもニューヨークの冬の定番の飲み物で、逆に知らなかったのかと驚かれました)という飲み方を教えてくれました、つまり暖めて飲むと、ホントに身体の芯から暖まるよ、と、オバさんの純な心配顔にほだされて、安かったので数本を買いました、



アパートに戻って、試してみるとシナモンが入っているせいか、確かに汗をうっすらかくぐらい暖まりました、それに、ニューヨーク近郊の農家の人が売っているだけあって、りんごが新鮮で、頷くほど旨くて、元気が出ました、

元気が出た私は、音楽でも聴こうと思って、セロニアス・モンクのLPジャケットを取り出して、ライナーノーツ(大昔のジャズのライナーノーツはどれもしっかり書いてあって、面白かった)を何気なく読んでると、もう裏覚えですが、「このレコーデイングのモンクは、まるで日曜日の午後に聞くグレングールドのように、、、」とかいう言葉があって、それで例のゴルドベルグを手にとったというわけです、そのころは、ニューヨークではグールドは異端という賛否両論の声がまだあったと記憶しています、ゴルドベルグはそれほどのセンセーションだったということです、

グールドについてここで言葉を費やすことは無用だと思います、判官贔屓という言葉があるように、「グールド贔屓」という言葉を生み出す稀有なピアニストです、


そのかわり、近頃贔屓にしているピアニストをひとり紹介します、長七郎さんからワイアットをほめてもらい、仲間が増えたようで嬉しかったので、図にのりましょう、


ワイアットと違って、このピアニストは1991年生まれという俊英です、グールドと同じカナダの人で、今年5月にカーネギーホールでガラデイナーとともにセンセーショナルなニューヨークデビューを果たしました、17歳です、しかもかわいい女の子です、ただ、すでにアーテイストとしての貫禄と気構えを身につけています、「将来を約束された」という形容詞がつく17歳です、

映像は、グレングールド財団の記念館で、グールドが愛用したスタインウエイをひく、俊英、マリカ・ブルナキです、、、ゴホン、ゴホン、、、寒くなってきました、どうぞお体をご自愛ください、、、














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by momotosedo | 2008-11-18 22:03 | ■百歳堂 a day

11月14日  満月とROBERT WYATT


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百歳堂 |  満月とRobert Wyatt






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あまり、自分が聞いている具体的な音楽家の名前をだすのは好まない、
それは、もうCDを意識的に手にしないで、極力、コンサートに出掛けるようにしていることや、それに好きな音楽家から自分を探られるのも違うような気もして控えられるからだ、

ただ、こんな私でも新譜がでれば必ず買うようにしている贔屓は、極めて数少ないがいないわけじゃない、その一人がロバート・ワイアットで、久しぶりにワイアットを思い出したのは、あまりに満月が見事だったからだ、

夜明け前の公園を散歩していて木立の向こうにいる満月と、雲と空をみているとワイアットの、あの「声」を想い出す、


ワイアットは、一種、フランク・ザッパともいえる人で、出すアルバムに駄作がない、そしてどれもワイアットそのもので60年代以来、音楽に対するある種の信念を保ち続けている、
この人の魅力は、優れたソングライテイングとその声にある、ワイアットは声の人なのだ、そして、それには訳がある、


私がもっとも音楽にひたったのは、60年代後半から70年代で、ロンドンの街自体が音楽に溢れていたし、先鋭的な音楽としてロックが登場し、毎夜のように新しいバンドが生まれていった、レコードになるのを待つよりは、新しい、格好良いバンドの噂に導かれ、ライブを見に行くのが主流だったのだ、実に幸せな時代だった、



ワイアットは、そのころダダ的ともいえるジャズロックバンド「ソフト マシーン」で、ドラムとボーカルを担当していた、

ソフトマシーンは、先鋭的なバンドで面白かったし、上手かった、或る意味プログレッシブロックといわれるものの先駆けだったといえる、当時、ロンドンのUFOクラブとかでライブを何回か見たことがあるが、ワイアットのドラムは、シャープで先鋭的でカッコよかった、かなり上手かったのだ、
この当時から、ボーカルにもワイアットは拘りがあったようで、声を楽器のように使い、ちょっと新しいコンセプトを感じさせた、

ただ、ソフトマシーン自体は、やがてジャズロック的な楽曲中心になっていき、ボーカルにも拘りたいワイアットと乖離していって、結局、ワイアットは脱退し、当時としては、かなり精鋭的なメンバーで「マッチング モール」というバンドを結成する、(マッチング モールというのは、ソフトマシーンのフランス語訳を、むりやり「英語読み」して名づけられたらしい、シェルシェミデイを「チャーチ ミデイ」というようなもんだ、ちなみに、こういう英国人は60年代、私の周りにもいた。当時、ソフトマシーンはパリでも人気があった、こういうバンドは意外とパリの知性的な若者に受ける)

数枚アルバムを出し、そして、ここからがワイアットの特異な音楽人生がはじまるのだが、何とワイアットはパーテイでテキーラーとラムをしこたま飲んで、酔っ払ったあげく建物の5階から落下し、脊髄を損傷して、半身不随となる、生きていられたのが奇跡なぐらいだ、



もちろん、ドラムプレイヤーとしての生命は絶たれたわけで、これは当時のロックファンにはショッキングなニュースだった、これでワイアットもおしまいかと思われたが、デイビッド・ギルモアをはじめとする仲間の手助けで、車椅子のミュージシャンとして74年に傑作「ROCK BOTTOM」を発表する、ここでのワイアットの「声」は先鋭的でかつ素晴らしく美しい、同時期にロイアル ドリユリー レーンで行われたそのアルバムと同メンバーによる復活ライブは永らく伝説となっている、下に貼り付けたBBCでのスタジオライブ「Sea Song」はそのアルバムに収められていた名曲だ、

車椅子というハンデイを背負って、むしろワイアットの「声」がよりクローズアップされたのは幸いだった、神様も捨てたものじゃない、

ワイアットは、いまも独特のポジションで、ヨーロッパには彼のファンは根強く、「大御所」として尊敬されてもいる、不世出の女性トロンボーン奏者アニー・ホワイトヘッドなど常連のサポートメンバーとともに音楽活動を続けている、












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by momotosedo | 2008-11-14 04:02 | ■百歳堂 a day