9月20日(台風は去ったのか)  グロバリーゼーションとスタイル その6 テーラリングの創造力


百歳堂日乗



HARD TALK
Style

百歳堂 |  テーラリングの創造力



テーラリングの創造力(クリエイテイブ)」、これは説明しづらい、説明し出すと誤解を多く含んでしまうテーマでもある、そして本当は、語らない方が良いとさえ思うのだが、一方で、一度、整理しておきたいとも思うところもあり、とりあえず連休3日でゆっくり整理というつもりで挑戦してみよう、

このチャレンジ精神のきっかけになったのは、クライアントのA氏との電話でのおしゃべりだった、A氏はロンドンから戻ったばかりで、以前から何着かつくっているソフトショルダーで有名だったサビルローの或るテーラーにスーツを引き取りに行ったところ、「もう全然、違うんですよ、それにソフトでも何でもない、残念でした」、それで注文も止めてきたということだった、(これは、あくまで個人的な感想であることを、その店の名誉のために特記しておかなければならない、)

これは、分かる気がする、私も同様の経験を繰り返してきたから、ただし、A氏も私もテーラリングへの拘りはかなりマニアックといえるのはおことわりしておいた方が良いと思う、

話をすすめる前に、「テーラリング」という言葉の私がここで意味するところ、言葉の厳密な意味では、様々な解釈があり、それらは各人の語り方で全て正しいといえるが、ここでは、すべてのことを含んでいる、つまりパターン、カット(裁断)、縫い、など、そして「考え方」、

そして、ここでいう「テーラリング」はあくまでビスポークでのことで、工場生産の既製服、あるいは「パターン オーダー」と混同されてしまうと困る、(パターンオーダーは、オーダーという言葉がついているのが混乱を招くが、工場生産である限り既製服の一種だと思う。システムの構造上、そう割り切って考えた方が良いようにも思う、
パターンオーダーについては、幾人かのクライアントの方からも度々意見を求められるけれど、私が、或いはアトリエとして、目指している方向とは180度以上違いすぎるので、自分では着ないだろうというしかない、)


さて、単なる技術論に終わらせないために(細かい技術的なことは別に詳しい文献があるはずで、ここではそれをめざしていない、それに、それは膨大なものになってしまう)「私」がテーラリングに拘り出した、その「進化過程」を整理してみよう、上手く整理できるかな、


 出発点の「私」 -------ひと言で言えば、「カっこいい、質の良いスーツが欲しい。」(基本的には、いまも変わらない)、このとき、大概各人によって、ある種のイメージがあるはずで、例えば、ケーリー・グラントが「汚名」で着ていた、チョークストライプのダブルブレステッドと同じものが欲しいとか、、、私の場合は、20代の初々しいゲーリー・クーパーが着ていた完璧な6ボタンダブルのスーツの写真だった、
ゲーリー・クーパーは、日本では、その代表作「OK牧場の決闘」とかの西部劇の印象が強いことも災いしてダンデイなイメージが薄いが、20代、30代の頃の姿は、実に仕立ての良いクラッシックなスーツを着こなしていて、なにより、長身痩躯のスタイルの良さ、後年、自身でも絵を描くのを趣味にしているぐらいで、品の良さがあった、


その、写真を携えて20代前半の私は、クーパーが頼んでいたと言うサビルローのテーラーへと赴いた、なじみの店ではなく、クーパーが実際に頼んでいたという白い壁に青いテントが印象的なその店を選んだのは、その方が望むものが得られるように思えたからだ、


 「私」の最初の挫折 ------ところが、テーラーで、仮縫いを重ねるごとに、私は不安になってくる、悪くはないのだが、思っていたのとは少し違う、ただ、どこが、どう違うのかは明確に注文できなかった
案の定、できあがったスーツは、ゲーリー・クーパーのとは「違う」、よくできたスーツなのだが、「雰囲気」が違うのだ、


そこで、私は、どう違うのかを、自分なりに解明しようとする、、、まるで、数学の難問を解くように、私は、クーパーの写真に定規をあて、ラペルの幅、ボタン位置、ウエスト位置などを計って、全体のバランスの中での比を割り出していった、いま思えば恥ずかしくなる、、、そして、これを実際に出来上がった私のスーツの上着と比較してみた、それは、確かに違う部分もあるのだが、そう大幅に違うというものでもない、、、

とりあえず、私は、この「研究成果」をもとにして、もう一着つくってみることにした、しかし、専門家の意見を聞くべきだと思って、こんどは、なじみのサビルローのテーラーにいくことにした、



 もう一歩を踏み出した「私」 --------なんとなく、バツの悪い思いをしながら、私はなじみのテーラー氏にコトの次第を説明した、
テーラー氏の口から出てきた言葉は意外なものだった、これは、「今」のサビルローのスタイルとは違うのですよ、カットの「考え方」が違うんです、カットが変われば縫いの考え方も違ってきます、カットが変わって、コートメーカーが縫いづらくなるということもありますからね、私たちはチームワークでやっていますが、縫いを管理するということは結構大変なんです、



さて、ここで「カット(裁断)」という言葉と、「縫う」という言葉に私は出会う。そして、英国では、それが分業されていることと、本来、カッターが縫いを「管理」しているということ、

そして、「カット(裁断)」と「縫い」は密接につながり、両方とも優れていれば問題はないのだが、極端にいうと、「カット(裁断)、パターン」がひどいと、縫えなくなる、或いは矛盾が出てきてしまう、これは、既製服を扱うメーカーや工場では冗談ではなくあるらしい、或いは、工場で縫製できるという限界でのパターンがつくられる、

ビスポークでの「カット」と「縫い」は、スタイルをつくりあげるということと、フィッテイング、或いは補正という2面がある、

このことに詳しく触れる前に、分業ではなく丸縫い(裁断、縫いなどすべてをひとりのテーラーが行う)という意味について述べておこう、

先ず、丸縫いをするテーラーが

▼ 採寸をし、クライアントと話しながら、そこで得た、補正の問題とスタイルの考え方をもとに

▼ クライアントごとに、手でパターンを作成し、

▼ 裁断し仮縫いを作る、

▼ 仮縫いは場合によって何回が繰り返され、クライアントの意向を聞きながら、それはボデイとスタイルに合わせて修正されていく

▼ また、その何回かの仮縫いで、カットの修正だけでなく、そこに現れない「縫い」についてのプランが明確にされていく、つまり、例えば、胸のボリューム、上着とズボンのつながりを「意識」して、上着の裾を「丸め込む」ように縫っていくなどということは、型紙には現れない縫いの「考え」なのだ、実は、この「縫いの考え(アイロンワークも含め)」というのは良いスーツをつくるためにはたくさんある、

▼ 場合によっては、「中縫い」でのチェックを行い、再度、修正され、また「考え」を再認識する
中縫いは、仮縫いでは表現できない仕上がりの姿を、本縫いの途中で、実際に目で確認するためで、ただ、この時点で変更できる箇所は限られる


これは、云うまでもなく、ひとつの「流れ」である

例えば、これを、Aさん(採寸)、Bさん(仮縫い)、Cさん(型紙作成)、Dさん(裁断)、Eさん(上着の縫い)、Fさん(ズボンの縫い)、Gさん(仕上げ)、、、、という複数の人間がかかわる場合、或いは、C(型紙作成、CAD)、D(裁断 機械)、、、ということも現在では考えられる、、、もっと云えば、Dさん以下は別の国にいるということだってありうる、、、

これは、「伝言ゲーム」みたいなもので、チームワークのケーススタデイとしては興味深くもあるが、充分、実社会でその苦労を見てきた私は、正直、あまり考えたくない、、、それに、クラッシックな良いスーツをつくるということは、クライアントにとって、そしてそれを作る側にとっても、愉しい体験に結実させるべきもので、こうした分業化を進めていくという姿勢は何かマズイものを感じる、

ひとりの優秀なテーラーが、すべてをひとりで行うということは、
採寸で出会ったクライアントの印象から始まって、当然ながら、カットは自分で縫うということを前提として裁断され、縫いは仮縫いで見出された補正、或いは胸のボリュームからウエストへの絞りという、型紙では現れないその服に望まれる美しくつながるラインの流れをつくるためにすすめられる、、、

「Art of Tailoring」、仕立て屋の芸術というものが生まれるとすれば、こうした流れのなかでしか適わないような気がするのは充分、納得して頂けるものと思う、


さて、ここで、丸縫いするからすべてが解決するかというと、それだけでなく、当然、そこにはテーラーとしての資質と気構えの「優劣」があり、また、スタイリッシュな顧客にとっては、そのテーラーの「考えかた」というのが大切だと、いうことに私は気づいていく、、、


 最初の目から鱗の「私」 ---------なじみのテーラー氏は、実に良い人(後年、一緒に家族でピクニック?に行く仲にまでなる、)で、それならばということで、一人のお爺さんを紹介してくれた、
このお爺さんは、多分、テーラー氏の先生的な存在だったと思う、当時、ごく限られたお客を相手にパーソナルテーラーを営んでいた、お爺さん、職人さんという言葉から想像していたイメージと違って、長身でスタイルも良く、何より着ているスーツが見たことないほどスタイリッシュだった、
後年、冬枯れのロンドンを生地を見るために問屋まで一緒に歩いたときに着ていた、しっかり織られたハイツイストの生地で仕立てた長めのカバートコート姿も、いまだに映像として記憶に焼き付いている、

ヨーロッパを駆け巡る或る程度の人たちの間では、「紳士服はロンドンで仕立てるべきだ、なぜなら英国の服は、フランスでもイタリアでもどの国でも尊敬されるから」、という言葉を私の時代には、よく耳にしたものだったが、

それは、単に伝統的なクラッシックな服だから文句がつかない程度に私は思っていた、ところが、その言葉の言わんとするところが、お爺さんの服と、その服づくりを知ることで了解できた、

それは、まさに辺りを払う「威厳」(これは、伝えようとする意味を正確に現していない、)があり、なにしろ「かっこ良い」のだ、20代の私が、シンプルにその時感じたのは、男のかっこよさ、ある種のスノッブさ、オーラーともいえるものだと思う、

なるほど、イタリアのテーラーがサビルローに憧れてやまないのも分かる、この服の前では、クラシコ何とかも、フレンチ何とやらも、子供じみて見える、


このお爺さんとの出会いは、私には衝撃だった、それを、少し、順を追って説明してみよう、




このお爺さんは、テーラー協会の先生的な存在で、サビルローのテーラーが技術的に迷ったときなどは、電話をかけてアドバイスを求めるという存在だった、
なにしろ、出会った最初の言葉が「I`m different、、」(私は他とは違うよ、、)だったから、相当に自信もあり、一家言あるのだなと思った、

 お爺さんがいうには、今のサビルローはクライアントごとに、パターンをたしかに引くのだが、多くのテーラーのそれは、ハウススタイルと呼ばれる「ひとつのモデル」をもとに割りだされたものにすぎない、
少しわかりにくい、
つまり、パーソナルパターンは採寸時に読み取った、補正と、スタイルという入念な考えのもとにゼロからスタートして設計されるべきものだが、いまのテーラーは、その入念な考えというものを、仮縫いに持ち越そうとしている、


これは、当時の私には、正直、分かりにくかった、
サビルローのテーラーは、クライアントごとにパーソナルパターンを作るのを「売り文句」にしているのに、どういうことなのだろう、

お爺さんの説明にはふたつのポイントがある、重複するけれど、もう少し噛み砕いて説明してみよう、

まず、今のサビルローのパターンは、すべて、「ひとつのモデル」から出発している、それを採寸をもとにして、一種の比で割り出して作成し、仮縫いで補正する、

一見、問題ないように思うのだが、お爺さんによると、

パーソナルパターンとは、クライアントの体型、補正のポイント、そしてスタイルによって、ゼロからつくられるもので、そこには、そのテーラー独自の技能と経験、そしてセンスから割り出された「考え」があるべきだ、これがビスポークというものだ、

ということになる、

だから、私が頼んだ1930年代のスタイルは、「ひとつのモデル」から出発したパターンでは、いくら仮縫いで、「それ風」に調整したとしても、その「味」は出てくるはずが無い、当初から30年代のスタイルを私の体型のクセと、「今の時代に着る」ということも考慮して取り組まれなければ、「アート」(これがお爺さんの口癖だった)にはならない、

なるほど、














copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa


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by momotosedo | 2008-09-20 10:39 | ■テーラリングの旅


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