9月8日(夏日)  グローバリーゼーションとスタイルについて その5 テーラリングへの拘り 




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百歳堂 |  テーラリングへの拘り



「なぜ、私はこだわり始めたのだろう?」 ,
その理由の3つめは、やはり「テーラリング」そのものへの拘りといえる、しかし、この私が辿った経緯と、その中身の真実を説明し切るのは、このブログという範囲のなかでは、難しいのではないだろうか、

ここでは、或る部分に絞って話をしていこう、それと、これはあくまで「ビスポーク」というレベルの話で、いわゆる「工場」でつくられた「既製服」や「パターンオーダー」と混同されては困る、いくら値段が似通っていたとしても、それらは、全く別物で、同じ土俵で語るものではない、と思う。


以前に、お話したように私はいくつかの店でオーダーをくりかえしていた。それらは、多分、夥しい数(数える気がない)で、そして、それらを毎日、着続けていると、続けて袖を通したいものと、どこか不満を持ってしまうものとに、時とともに別れてくる。

この「時とともに」というのがクセモノで、最初はやはり気が付かないのだ。
自分の「美意識」や「見抜く眼」というのは経験と共に成長してゆき、磨かれていく、、それは時間が必要で、私にしても、正直に云って17,8歳でスーツを頼み始めたとき、仮縫い姿ではほとんど出来上がりを想像できず、テーラーに注文をつけることさえ気が引けた、六義で仮縫いに必ず私が立ち会い、クライアントの気持ちを代弁し、できるだけ一方通行にならないよう気をつけているのは、若い頃の私自身の苦い体験による、
(仮縫いに関しては、丁寧な上手いテーラーほど美しい仮縫い服をつくる、これは経験上、そういえる、時に片袖だけつけられた仮縫い服を出すテーラーがいるが、それは少し違うと思う。)


当初、私は名の知れた店で頼めば、そこには或る種、統一された「質」があるんだろうと思い込んでいた、しかし、いつかしら、そこにも「違い」があることに気づき始める。

幸い私は、親切な良いテーラーに恵まれ、そして4都市を移動する生活で、それぞれの街にテーラーを持っていたから比較もできた、何より、ダンデイたちに魅かれ、憧れ、自分なりのスタイルを探していて、テーラーたちとより深い付き合いが出来たことも「見る眼」を養うのに幸いした、

その「違い」は、着心地ともいえるし、どんな場所へも自信をもって着て行ける仕立ての「品」ともいえる、(特に、私はこの「品」というのに拘っているように思う、後で気づくのだが、それは高い技術がなければ適わないのだ)そして、今まで知らなかった優れたものに出会うと、以前は気に入っていたものも、その歩みのなかで、着られなくなってしまう、美意識と経験が高まるにつれて、その許容範囲は狭まり、それに適うテーラーは絞られてくる、テーラリングには違いがはっきりと現れるのだ。

残念なことに、厳しく評すれば優れたテーラリングというのは昔も、今も非常に少ない。それは、一握りのもので、しかも、それを経験しない限りは何が優れているかははっきりと認識できない。しかも、それは何年か後になってやっと気づくこともある。

多分、こういう説明は経験が同じでないと、抽象的で伝わりにくいものだと思うし、どの「高さ」のレベルで話しているのかも正確には伝わらないと思う。少し、順を追った説明に努めてみよう、先ずテーラリングの「質」について、



ウイーン、パリ、ローマ、ロンドンと、これらの店で頼んだ、同じ2ボタン、ノッチドラペル、の3つ揃いでも、そのテーラリングは店ごとに異なる。ここまでは、お分かりだと思う。

次に、いま同じ店で、同じスタイルを頼んだとしても、そのテーラリングの質は既に違うと思う。

その大きな理由は、時代が変わったという事と共に、ヨーロッパの店はその着数を増やすために、分業体制を組んでいるからだ。これは、ビスポークの靴にも同じことがいえる。

カッターがいて、コートメーカー(上着を縫う)、トラウザーズ メーカー(ズボンを縫う)、ウエストコート メーカー(チョッキを縫う)、そして仕上げ担当(ボタン縫い など、飾りステッチもこの範囲に入る場合もある。)。先ず、この人たちが上手い時代もあれば、そうでない時期もある、そして同じ時期でも上手い人と、そうでない人がいる。

しかも、本来は、こうした職人はハウス内に雇われているはずだが、80年代以降とくに、そのアトリエの規模、そしてサビルローならば、人材の不足と経営的に正規に雇いきれないと言う理由もあり、いまやアウトワーカーに出すこともある。注文が殺到すれば、なおさらだ。
当初から、メイキングに関してはアウトワーカーというところもある。
問題は、それが玉石混交だということだ、

事実、20代の半ば頃、或るテーラーでまとめて3着スーツを頼んだとき(まだ、よく分かっていなかったのだ)、仮縫いも3着同時に行われた、しかし仮縫いでは問題が無かったのに、出来上がって、しばらく着ていると、その内のスーパー140‘sの繊細な生地で作ったちょっと変わったピークドラペルのシングルスーツの背の衿元に変なシワが出て気になるのだ、それで修正を頼みに行ったところ、そのアトリエの責任者の気の良いおじさんが、それは、仕立てるのに技術がいる繊細な生地なのに、いつもの上手いコートメーカによるものではなかったからと言われたことがある、3着同時に頼んだから、コートメーカーを振り分けられてしまったのだ。

結局、パーソナルテーラーと呼ばれる、個人で丸縫いをするところに行き着いたのは、こうした理由もある、パーソナルテーラーはサビルローの2倍から2.5倍ぐらいは平気でチャージしてくる、そして京都のお茶屋さんみたいに「一見さんお断り」で、これは年間縫える着数が限られているからだ。

その代わり、実に根気強く丁寧につきあってくれる。テーラリングにも、それぞれの自負がある。

こうしたテーラーは、大概、熟練の技術者で、ギルドの役員をしていたり、サビルローのテーラーや、ニュービスポークと云われるテーラーに指導に行っていたりもする、既に年金が出る年齢の人も多く、その分、自分の愉しみもあってやっているという人も多かった。

そのひとりのテーラーとは、とても親しくしてもらって、ロンドンの昼下がりどきに、アトリエによくお茶を飲みにいって話を愉しむ仲だった。
お爺さんは、或るとき「本当に、私はテーラーをやっていて良かった」としみじみ漏らしたことがある。ロンドンの老人は、年金は物価とスライドするようになっていて、経済的には日本よりましなのだろうが、やはり孤独な人が多い、お爺さんが云わんとすところは、なんとなく分かった。

お爺さんのつくる服には、「品」があった。この時代には、私も経験を経て自分なりのスタイルもあり、また挑戦もしたい時期でうるさく様々な注文をつけていたが、
ただ、そのどれもが今も通用するというのは、お爺さんの服に「品」を与えてまとめていく手腕にあったのだろうと思う。

それと、仕立てが良かった、フルビスポークの醍醐味といえる人を惹きつける注文服ならではの「見栄え」があった。お爺さん自身は、しきりに歳のせいで手が甘くなった、若い頃はもっと良かった、と繰り返していたが、仕立ての「充実」というものがそこにあった。上手いテーラーの手は、意外にふくよかで、艶々している。ガサガサの手では、繊細な生地を扱えないからだ。お爺さんは、歳を経て手の皮膚が老いるのを何より気にしていて、ベッドに入る前にはハンドクリームを必ずつけるそうだ。
お爺さんの、その口癖は、「注文服の仕立ての良さは男を奮い立たせる」というもので、確かに、それを着ると自然に溌剌と歩く自分を発見した。既製服と違って、シンプルな紺のスーツでさえ、その品のある「仕立て」は雄弁に語る。ブランメルが云った「アンダーステイトメント」は単に「地味な服」ではないのだ。そして、そういう服は「長持ち」する。質とともに、時代が変わっても美しさが通用する。この「品」と、着る人を奮い立たせる(元気にさせる)「仕立て」が、なかなか今、見つからない。


このお爺さんだけでなく、一緒に旅行やピクニックに出掛けたりと、私は良い職人さんと良いつきあいができた、それはとても感謝している。それを、今からやれと言われても、到底、無理な話で、こうした付き合いも含めて「時間がかかる」ということなのだ。


テーラリングの「質」のヨーロッパの現状について、あからさまに問題点をあげることはやめておきたい。それに言葉を費やしても、あまり意味もないことだと思う、
私は、幸いにも良い時代に良い職人と出会い、自分自身もクリエイテイブなものがどんどん欲しい時だったので、とても良い体験をした、それを、もう一度、今のヨーロッパに望むのは無理だと思う。時代も違う。それに、そこで得た知識や体験や、年齢とともに少しは成熟してきたといえるものは、今は日本やアジアの職人さんといっしょに作り上げて行きたい。



そして、次にはテーラリングの「クリエイテイブ」さへの拘りについて話そう、、
(つづく)












百歳堂日乗
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-09-08 01:00 | ■テーラリングの旅


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