8月25日(夏日、雨、涼しく感ず) アドルフ・ロースとジョセフィン・ベーカー







建築の夢
ADOLF
Loos
百歳堂 |  アドルフ・ロースとジョセフィン・ベーカー




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今日は、朝から雨が続いている、その分、幾らかすごし易いのは有難いが、ここしばらくの東京の天候は、灼けつく真夏日とスコールを思わせる突然の激しい雨、轟く雷鳴とまさしく熱帯を思わせる、気象学者の友人によると、温暖化の影響で将来には、日本には四季がなくなるだろうということ、北海道と東北の一部を除いて、熱帯になってしまうよ、と友人はおどかす、それは近い将来の科学的な事実に違いないだろうが、それでどうしたの、私は熱帯は嫌いではない、京都の紅葉を3~4日かけて散策する愉しみは失うだろうが、私は古いベレッタのものをはじめサファリジャケットをコレクションしている、ヴォーゲルでハンテイングブーツも誂えてある、幸い祖父が残してくれた往年のマクスウエルの底に鋲の打たれたエレガントなフィールドブーツもある。これらは、いまどきのリゾート地ではなかなか身につける機会が少なかったが、それが日常着になるのもおもしろい。りっぱに、サヴァイブしてみせるよ。

しかし、地球環境が変わろうとしてるのは現実で、それは近い将来の我々の生活の転換を意味しているのも実感する、、、そして、こんな日にアドルフ・ロースのことを語るのはふさわしい。




というのも、ロースは、いま我々がお手本とすべき愉快で頑丈な「時代のサヴァイヴァー」だったからだ

バウハウスに通じる、装飾を徹底して省いた機能主義のその建築は、王宮を中心に据えるウイーンの街には大きなショックだったが、同時に彼のオープンマインドで、骨太の精神を携えた、自由に流動するライフスタイルも、世紀末ウイーンのオールドファッションな社会(社交界)に大きなショックを与えた。

彼は、新しいコンセプトを掲げるスター建築家であると同時に「作家」(或いは発言者)であったことを忘れてはいけない。これほど、建築家で「書いたもの」を残した人も稀有だと思う。


「装飾は、犯罪だ」と、ウイーン分離派をはじめとする旧体制に噛み付いた攻撃的ともいえる論説の数々をはじめ、新聞には定期的にコラムを寄稿し、寓話に形を借りて新しい生き方を伝えたり(有名な「The Poor Little Rich Man」というコラム)と生涯を通じて書き続けた。一種のカリスマを持った「グル(導師)」だったのだ。

そして、その活躍の場はウイーンだけでなく、ヨーロッパ特急を駆使して、パリ、ニース、ロンドン、ベルリン、ハンブルグ、ベニス、ミラノ、プラハ、ブダペストへと拡げていく。モダニズムを確信したのも、ドレスデンの学校を終えるとすぐさま留学したシカゴでの20代のときだった。
マルチリンガル、少なくともドイツ語、チェコ語、英語、フランス語を母国語と同じく堪能に話し、そして、いつもダンデイな姿だった、
彼は、発言し、国境を越えて自由に移動する建築家「Artitecture Dandy」だったのだ。これは、いまでこそ珍しくないが、当時は、その存在とスタイルこそが、新しい時代を予感させるひとつの「ショック」だった。


彼がクニーシェの大きな顧客であったことは知られているが、残る写真でもその服装の趣味に秀でていることがわかる。
ウイーンのクニーシェも彼の手によるが、実は60年代までシャンゼリゼにクニーシェのパリ支店があった。それも、ロースの手によるもので、祖母の話によると祖父はその店構えのほうが好ましいと思っていたらしく、いつもシャンゼリゼで頼んでいたという。祖母も、ウイーンよりパリの店の方が良かったと言う。

同じく「Artitecture Dandy」と知られるフランク ロイド ライトよりも、私はロースの方が確かな着巧者だと思う。それにロースは3回、結婚している。


ロースは、パリにもアトリエを構え、トリスタン・ツアラの邸宅などヨーロッパ中(時には、シカゴやニューヨークへも)をかけめぐりながら仕事をしていた、そして常にロースの行くところ時代を代表する煌びやかな友人たちとのパーテイや、つきあいがあった、彼は、新しい建築とともに、新しいライフスタイルのグル(導師)でもあったのだ。




f0178697_2011738.jpgそして、彼はダンスが上手かった。(ウイーンの人は舞踊会が根付いた社会なのでダンスがうまい)当時、流行の先端であったチャールストンも上手かった。彼に、チャールストンを教えたのは、1920年代のパリで、一世を風靡したあの稀代の黒人ダンサー、ジョセフィン・ベイカーだった。

「ブラック ビューテイ」と呼ばれたベイカーは、アメリカの流行のチャールストンをヨーロッパに最初に紹介したといわれている。
ベイカーは、当時、パリのフォンテーヌ通りに社交界のエリートが集まる「シェ・ジョセフィン」という自身の豪華なクラブをもっていて、ロースは1926年にはじめて彼女と出会っている。
ベイカーは、ヨーロッパの社交人種にチャールストンを教え始め、そのレッスンに異常ともいえる情熱で熱心に通っていたのがロースだった。その結果、彼はジョセフィン・ベーカーは、ロースのことをヨーロッパで最も優れたチャールストンの踊り手と認めていると自負していた。

そのロースの実現されなかった「傑作」のひとつといわれるのが、右の写真のジョセフィン・ベイカーのレジデンツ(自宅) プランである。


これは、天才建築家ロースが、天才ダンサーベイカーへ送ったオマージュといわれ、実現されなかったが、細部にわたったフロアプランまで作り上げられている。

外壁は、パリの「ブラック ビューテイ」にちなんで、白い大理石の地上階の上のファサードはブラック&ホワイトのモダンで魅力的なストライプを描いていいる、フロアプランの圧巻は、大きなガラス窓に囲まれた室内プールで、館の庭からはまるで水族館のように見えるという、魅力的なファンタジーをモダニズムというデザインに洗練させた建築なのだ。





f0178697_20324642.jpgもうひとつの、実現しなかった「傑作」は、シカゴの新聞社シカゴトリビユーン本社の75周年を記念した本社ビル建築コンペのために設計された摩天楼である。

この建築コンペのテーマは、「世界で最も美しく、そして際立った姿をした建造物」というもので、ロースはパリにアトリエがあったことから、フランス代表の一人として参加している。

当時、ロースはドイツ、パリ、そしてウイーンのバウハウスの建築家がつくる建物がすぐに「古くさ」い印象を与えることに、疑問を感じていた。つまり、バウハウスのデザイナーたちは、まるで女性の帽子のように流行を追って、デザインをめまぐるしく変えてしまっているのだ。
その結果、つい1年前に完成したものも、完成から数ヶ月たつと「古くさく」みえる、、、


ここから、ロースのデザインもかわっていくのだが、このコンペにおいて、ロースが選んだ時の流れにも風化しないモダニズムデザインは、磨き上げられた黒い御影石でできた「ギリシアの円柱」である。

ロースの戦略は、ピサの斜塔のようにシカゴの代名詞となるような塔の建立であった。しかも、これにはロースらしい、言葉遊びも隠されている、その名も「The Chicago Tribune Column」、「円柱=Column」は、新聞の記事を意味する「コラム=Column」と英語では同音なのだ。

バブリーな頃の東京だと、すぐ喰いついてきたことだろう。結局、このコンペはジョン・ハウエルとレイモンド・フッドの当時アメリカでポピュラーだったネオゴシック建築に決まった。


このふたつの「実現されなかった傑作」を見ても分かるように、ロースはコルビジェとは違う。ステレオタイプのバウハウスのデザイナーでもない。

事実、「装飾は犯罪だ」という宣言から、自らの道を独立で切り開いてきた人で、意外にそのモダニズムと建築には、人間ロースの温かみとか或いは哲学的ともいえる幅の広い思考が潜んでいるように私には思える。

なにより、最後までダンデイな姿をくずさず、パリや各地を飛び回り、チャールストンなど人生をしっかり愉しんだりもして、その実、思考の人であり、鋭い論客であり続けたという、彼の歩みを頭にいれて、もう一度、最初の写真、ロースの面構えを見てほしい。、、、頼もしいではないか、、、




<追記>

「ジョセフィン・ベーカー邸」のプール、実際には、実現したものではないので、残る資料だけでは定かではありませんが、TIさんのコメントにもあるように、このプールは、側面にガラス窓が切られ、その周りにまるでプールで泳ぐ人=(ジョセフィン・ベーカーか)、を鑑賞する為かのように、ぐるりと小道が周っているということです。是非、実物をみたかった、、、

あのフロアプランから、

「エントランスから大階段を経由してパブリックなサロンへ連続させ、そこにガラスのプールを置いてパーソナルな寝室へと連続する折りたたまれた長い動線。これはジョセフィンを鑑賞するためだけの濃密でエロティックな建築です」


という読み取りは素晴らしい。この「ジョセフィン・ベーカー邸」のモデルとフロアプランがどういう経緯で出来上がったのか、実際に、ベーカーとロースの間で、これを巡ってどんな会話がなされたのか、それは今となっては知る由もありませんが、ロースはこれを、無報酬で、自分の意志でつくりあげたといいます。この辺りにも、ロースという人間の在り方を伺い知ることができるように思います。私としては、ロースという人は、その建築家としての革新と天才、タフな思考家という側面とともに、人生を愉しむユーモアと奥深さをもっていたと願いたい。


「ロース作品群は、実はこうしたうわべを排除し、本質を追求しようとした思想=スタイルによって生まれ」



これは、まさしくその通りなのですが、素直に白状すると、ロースの作品には、現在の視点でみると、「古く」見えるものもあると思います、クニーシェやカフェ・ムゼウムなどは、当時としての斬新さと革新に想いを馳せることはできても、或いは歴史的資料としての価値は別にして、それ以降のモダニズムに慣れた今の私の目には、その実体からは何らかの感動や刺激を呼び起こさせるものでは残念ながらありません。そこが、モダニズム建築の難しいところだと思います。思想と実体の在り方の難しさ。

私は、ここで取り上げた「ジョセフィン・ベーカー邸」の一種のオマージュとしての建築、「シカゴ トリビューン コラム」の思考を経た異形や、

むしろ初期の「ヴィラ カルマ」(ロース 33歳の作品、建築途中で施主の意向で別の建築家と交代する)の、黒と白と赤の大理石で飾られたオーバル型のエントリーや、赤の大理石とゴールドのモザイク天井の図書室、マホガニーと黒に白い腑が入った大理石の円柱に囲まれたバスルームという内装に魅かれてしまいます。これらは、いまなお、たっぷりと魅力を保っています。

ただ、いまも残り、そしていまだ現役として使われているクニーシェや、「アメリカンバー」をみると、コルビジェやその後のモダニズム建築に比べ、何か温かみといえる物、或いはモダニズムのイデイオムを超えたロースの嗜好を示すものがあるように思えます、

つまり、そこには、人間ロースがいて、さらにベーカー邸やシカゴ トリビューン コラムをみるにつけ、矛盾する言い方ですが、そこには、その後の「ポスト モダン」をも想起させるものがあり、ロースの建築が持つ、思想としての革新と、実体としての建築の中に組み込まれた、もっとパーソナルなロースの試みとか情感、

その「合わさった」ものがロースの「独自」なのだと思います。

そういう視点で、ロースはもっと語られても良いし、もっと評価されるべきものだと思います。

それを知るためには、「クニーシェ」や「アメリカンバー」の地平でとどまっていては、理解しにくいと思います、ジョセフィン・ベーカー邸やシカゴ トリビューン コラムまでを俯瞰すべきです。
それが、ここでその二つを取り上げた意図です。




私は、建築だけでなく時間に風化されないものに興味があります。そして、それにめぐりあえた時は、その秘密を探りたいと思っています。

確かに、ロースは「アンチテーゼ」から始まり本質を追求しようとした思考の人だと思います。人間としては本質を見極めようという姿勢を自覚していた人だと思います。そこに、私は共感を覚えます。


人生は愉しいし、せっかく得たチャンスですから、それを大いに愉しみ、「美意識」も深めていった方が「お得」です。「人生は二度」ありません。少し、気恥ずかしい話ですが、「六義庵百歳堂」を書き始めたのも、その事を、直接的に声高にいうのではなく、自分なりに愉しいサンプルの数々を提示できればという思いからです、私自身もそういった書物を探していましたし、必要としていましたから、、

六義のモノづくりも、できればお客さんに元気を与える、心を愉しくするものでありたいと願っています、


「迷ったときは歴史に学べ」、これは賢者の教えです。そして、ロースは「人生を愉しんだ」 タフなサンプルだと思います。

私も、いまだ「迷える」ひとりです、ご一緒に探っていきましょう。



TIさん、詳しいコメントありがとうございます、建築を「読書」する愉しみを再認識しました。
時あれば、また「建築の夢」について語りたいと思います。


















建築の夢
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百歳堂 |  アドルフ・ルースとジョセフィン・ベーカー
copyright 2008 MOMOTOSEDO, Ryuichi Hanakawa

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by momotosedo | 2008-08-25 01:56 | ■建築の夢


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