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9月29日(雨模様) 「ジャック ド バシェア」の口髭




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21st Century
Dandy




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悦楽園記録ノォト
title copyright 2009 MOMOTOSEDO, R.H.

/夜/ ジャック・ド・バシェアについて思い起こすと云うことは、70年代Parisの夜の「闇」みたいなものに触れるような気がする、それは「闇」ではあるが豪奢に魅惑をもって輝いていて、そして、間違いなく暗い「闇」に違いない、


同じようなダンデイに「アレックス・フォン・ローゼンバーグ」を思いつくが、バシェアがよりダンデイズムを匂わせるのは、カール・ラガーフェルドが彼のためにデザインし、特別に仕立てさせたベルエポックダンデイを彷彿とさせる一連の衣服と、モンテスキュー伯を思わせるバシェアのノーブルな容姿だろう、

事実、70年代のルウオモ ヴォーグのインタヴューで、ジャックはベルエポックの時代への郷愁とモンテスキュー伯爵への強いシンパシーを語っている、


伝サンローランを恋い焦がらせた稀代の美男貴族、サンローランだけでなく、ラガーフェルド、ケンゾー、などなど多くのデザイナーがファッションミューズとしてジャックの優雅な容姿にインスピレーションを求めた、


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/罪/人間が溺れる「大罪」には七つあるそうだが、70年代の巴里や倫敦の「そういう」人種たちはどこかそれに溺れることで「美」を覗こうと踠(もが)いているようにも見えた、

「美」の代償としての「罪」、、、それは、甘く言い訳めいていて、リキュールをかけるとグズグズと崩れていく角砂糖のように脆く、しかし紅茶に掻き混ぜると退屈な飲み物も少しは風味がたつ、時代としてはみんなホンの少し愉しんでみたかったのかもしれない、、、そういう雰囲気が当時の巴里の夜には確かにあった、、そして、「罪」というのはまたヒトを溺れさせるほどの「魅力」を潜ませてもいる、

思い返せばアノ時代、私たちは皆、少しばかりは「罪」を犯していた、

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/狂/ジャックのことについては、今ではウエブを探せば「ほぼ正しい」幾つかの記録を検索することができると思う、ジャックの「記録」で一番、悪名高いのはサンローランの人生を狂わせかねないほどだった「恋愛関係」だろう、


70年代の巴里の夜は、永遠のライバルといえるカールとサンローラン、それぞれを軸とした綺羅星のようなグループが毎夜、どこかで宴を催していて、そこに当時、「そういうことには鼻のきく」アンデイ・ウオーホールが足しげく巴里に通ってニューヨークのスノッブ連中を引き連れ合流しスノッブなレストランのテーブルは贅沢でどこかデカダンな輝きを放っていた、
そこは、「美」とか「エレガンス」というのが金科玉条のように掲げられた夜の王国だった、



或る意味で、その時代の夜が後に続く「パリファッション」の底流をつくっていったとも云える、そして、それは実に人間臭く、グッチがサンローランを買い取ったのに代表される今の「ブランドファッション」とは本質で違う、そういうことを日本のファッションジャーナリストで書く人は何故かいないが、サンローランがあれほど尊敬され、ラガーフェルドが何故あそこまで大御所然としていられるかはそのことを知らないと実感としては分からないと思う、


ラガーフェルドはジャックが死ぬまで変わらぬ愛情を誓い(ラガーフェルド自身はジャックとの「恋愛関係」を否定している)、世界中にある住居のひとつハンブルグにあるヘレニック様式のとりわけ美しいヴィラをジャックと自分の名をアナグラムで綴った「Jako」と名づけ、自身の名義で初めて売り出した香水のひとつにも同じ名を冠している、


70年代の巴里で気鋭のデザイナーとして文字通り肩で風を切っていたラガーフェルドに近づいたのはジャックの方からだったという、ジャックはこの時、22歳、すでに洗練された話術と優雅な物腰を身につけ否が応でも人目をひかざるを得ない文字通り眉目秀麗な美青年だった、



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/片目のジャック/テーブルにトランプをひろげて、あらためてカードの一枚、一枚を眺めているとダンデイな横顔を見せる「ジャック」の姿には、キングとクイーンの威厳の裏にある国を守らねばならぬという宿命とは異なる自由さと不安定さが潜んでいることに気ずく、

このカードは、ヒエラルキーとしては王と王女に次ぐ立場を与えられているが、活躍の舞台はもとより宮廷ではなく戦場なのだ、その使命は守ることより、攻め入ることにある、


「ジャック」のダンデイさは爛熟した宮廷の退屈に戦場で研ぎ澄まされた凛々しさを持ちこんだことにある、そして、忠誠を誓いながらもどこか腹の底ではその「退屈」を小馬鹿にしているような「裏切り」の表情をその愛用の剣のようにいつも隠し持っているようにも見える、


ジャック・ド・バシェアは、1989年にエイズで死んでいる、トランプの代わりに、プルーストを思わせる19世紀の倦んだ退屈の表情をみせてソファに寝そべるジャックをホックニーが描いた水彩画にその姿を残し、それはポスターとして今でも世界中で売られている、

けれど、この絵を見知っていても、ジャック・ド・バシェア本人を知る人は少ない、あれほど巴里の夜に異彩を放っていたジャックも、今やトランプの「ジャック」のように寡黙な記号として見過ごされている、


「ジャック・ド・バシェア」のことを語るのをパリのジャーナリズムが避けてきたのは、パリオートクチュール界のアイドルであるサンローランの運命を、結果的には変えてしまったジャックとのフェイタルな出口のない「恋愛関係」と、エレガントだがかなり複雑に螺子曲がったジャックのパーソナリテイに「理由」があったのだろう、


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/罰/罪を犯した者は、その罰を受けざるを得ない、

















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by momotosedo | 2009-09-29 04:01 | ■「悦楽園記録ノォト」


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